きみは、テクノ・ディストピアの悪夢を見たか
JGバラード『コカイン・ナイト』(新潮社 2001)
これは、南欧スペインの高級保養地を舞台にした、日本語の訳稿にして九百枚を超えるミステリの大作である。イギリスの人気旅行作家チャールズ・プレンティスは、犯行を自白した弟のことばを信じられずに、真犯人さがしをもくろむ。そして、主にイギリスの退職したエリート層のために作られた高級住宅地におもむき、そこに見え隠れする「犯罪」の迷路をさまよっているうちに、ついに出口を見失う。
この小説は、セックスとドラッグと金にまつわるプロットが巧みだし、構成にも破綻がない。しかも、絶えず真犯人をめぐる核心的な謎をちらつかせるので、最後まで飽きがこない。まるでヨットに乗って、珍奇な光景が次々と現われる未開の沿岸地域をすいすい航行しているようだ。
ウマイなあ。『太陽の帝国』や『クラッシュ』以外に、バラード、映画との相性はよくないって話だけど、これだったら、ハリウッドも飛びつくよね。
確かに、サスペンスはこの小説を突き動かすエンジンである。だけど、バラードはただの犯人さがしをしているのではない。社会的なメッセージがそこここに埋め込まれているのだ。たとえば、監視カメラとセキュリティシステムによって過剰なまでに保護された未来の閉鎖社会、そのテクノ・ディストピアの悪夢をバラードは予告する。小説の中で「犯罪のない閉じられた洞窟」(313ページ)と表現される、そうした特殊な共同体では、かえって住民たちが生きる気力を失い、「仮死」状態に陥ってしまうのだ、と。
さらに、犯罪こそがそんなまどろむ共同体を活気づける「中枢神経刺激剤(ルビ:アンフェタミン)」であるといった反社会的な思想がぶちあげられ、その思想を実践に移す「カリスマ」も登場する。移民たちが平等の力をもちつつあるこのポストコロニアルの時代に、自分たちだけのために境界壁を高々と張り巡らすヨーロッパの少数のエリートたち。かれらは意思のないゾンビと化して、狂人なのか救世主なのかわからない「カリスマ」にたやすく操られてしまう。バラードはそれが未来社会の一縮図といいたいのだろうか。この小説は、上質の社会派的ミステリが好きな人には、かなりのオススメ品だといえる。
「けど、そんなの中途半端じゃん、エンターテインメントにそんな勿体ぶった社会批評なんて、いらないよ」と、僕の中のへそ曲がりミステリファンがいう。
いっぽう、僕の中のバッドテイスト好みは、「犯罪と狂気をめぐるテーマだったら、沼正三さまのもっと過激な小説があるじゃないの」と、意地悪くささやく。
なるほど、確かにそのとおりなのだ。だから、そんな欲張りには、とりあえず「だったら、ハリウッドに期待しなさい」との一言をかましておこうか。
(『すばる』2002年4月号を改稿)