「倒錯者」のユーモア――島田雅彦詩集を読む
『島田雅彦詩集』(『現代詩手帖』2002年10十月号)

盲目の宮城道雄は、「春の海」をはじめとして、琴と尺八のための名曲を数多く作った偉人 であるけれど、すぐれた文章家でもあった。
かなり前に読んだものなのに、いまでも覚えているあるエッセイの一節がある。 手もとに本はないし、細部は忘れてしまったので、少々ちがっているかもしれないが、 要点のみを書く。
――ある夜のこと、宮城道雄が弟子たちに琴のレッスンをほどこしていた。 すると、突然ヒューズがとんで、家中が停電になった。住み込みのお手伝いさんが新しい ヒューズを取りつけにいこうとしたが、懐中電灯が見つからない。 真っ暗で、ヒューズが取りつけられない。皆、大慌て。そこで、主人の宮城道雄がおもむろに 立ちあがり、ヒューズを直しにいきながら、ふと漏らすのだ。 「目明きって、不自由なものですね」
いま、島田雅彦の処女詩集のなかから、ぼくの胸の中の「無意識」にグサっと来た一節を 取りだしてみると、意外にも宮城道雄が最後にいい放った言葉と似ていることに気づかされる。
地上に存在しなければ、不幸に見舞われることもない。
墓場でくつろぐ者には永遠の平和がある。
(「嘆きのタイムマシーン」より)
宮城道雄と島田雅彦の言葉を並べてみよう。
@目明きって、不自由なものですね(宮城)
A墓場でくつろぐ者には永遠の平和がある(島田)
いったい、どこが似ているのだろう? ぜんぜん似てないですね。 (バカ野郎!ふざけんな!という皆さんのヤジが聞こえてきそう)。 でも、ちょっと待ってください。まだまだあるのですから。
B死者は夢の中の人と同じだ
夢の中ならいつでも会える
夢を見なさい。
(「自由人の祈り」より)
「夢」という言葉は、「退屈」とか「旅」と同じように、島田雅彦の詩のなかに よく出てくるキーワード。この詩集では、頻出度が一番高い言葉である。 かつて、ぼくは小説家・島田雅彦の想像力に敬意を表して、かれを「妄想作家」と 称したことがある。たとえば、ピンカートンと「蝶々夫人」の血をひく混血児をあつかった 『彗星の住人』や、スペインのバルト地方(ナバラ王国)出身の イエズス会修道士ザビエルをあつかった『フランシスコ・X』など、最近の作品には、 もう一つの有りえたかもしれない「歴史」をつむぐ「妄想の作家」の 面目躍如たるところがある、と。
だとすると、果たして、詩人・島田雅彦の使う「夢」も、「妄想」に 置き換えてもいいのだろうか?
C死者は妄想の中の人と同じだ
妄想の中ならいつでも会える
妄想を見なさい
「夢」を「妄想」に置き換えても、意味はぜんぜん変わらないように思える。 むしろ、意味的には、詩の空漠たる「夢」のイメージとちがって、 「妄想」のほうがより散文的(分析的)になる。理解しやすくなる。 具体的に、それはどういうことだろうか?
一言でいえば、「倒錯者」のユーモアということではないか。島田雅彦の「夢」 (あるいは「妄想」)は、「人生」を肯定的にとらえる「常識」に明るく挑む逆説的な装置である。 そうしたこの世の「常識」に囚われている限り、「自由」はない。 「どうせこの世の中生きていても地獄だ、退屈だ」と考えてはじめて、 「死者を嘆いてどうする、嘆くべきは自分たち生者のほうではないか」という発想がでてくる。
島田雅彦は、この詩集の後半に載せたエッセイで、ポーランドの文学者シュルツの 性的マゾヒズムに触れて、こういっている。「シュルツにとってそれは卑小な世界を神話化し、 不愉快な人生を笑いとばすヒューモアであり、死の欲動を先送りする個人宗教であったのだ」と。 ぼくは、島田雅彦の文学の本質も、マゾヒストのユーモアにあるのではないか、と疑っている。
さて、ぼくは盲目ではないのに、盲目の宮城道雄の放った言葉@にグサっときた。島田雅彦の 「墓場」や「死者」を「平和」に連結させるAにもグザっときた。
そんな宮城や島田の言葉には、ぼくもきっと染まっているはずの世間のステレオタイプ(常識) に対する一発逆転のユーモアがある。それこそ、ぼくが文学を捨てられない理由かもしれない。 最後に、宮城道雄や島田雅彦に通じる「倒錯者」のユーモアをもうひとつ掲げて、 この小考を閉じることにしよう。
詩は僕を見ると
結婚々々と鳴きつゞけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた
(中略)
詩はいつもはつらつと
僕のゐる所至る所につきまとつて来て
結婚々々と鳴いていた
僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと鳴かなくなった
いまでは詩とちがった物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の陰にしゃがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ。
(山之口貘「結婚」より)
Text by Yoshiaki Koshikawa Design by OKADA Tomoyuki
Nov.6, 2002