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インド系英語文学 ――ルシュディ、ゴーシュ、タルーア、ミストリー、シーアル 講演者:大熊榮 先生(筑波大学教授)
2005年7月16日、明治大学大学院英文学研究会は第一回目の研究会を行った。院 生三人による研究発表のほか、特別講義が設けられた。講義をしてくださったのは、イ ンド系英語文学の研究者・翻訳者として広く知られる大熊榮先生である。先生は現在、 筑波大学の大学院で教鞭をとっておられ、最近『サルマン・ルシュディの文学――「複 合自我」表象をめぐって』(人文書院、2004)を上梓されている。以下はその講義の報 告である。 インド系英語文学とは――国家、国語、国民文学 国家、国語、国民文学がそれぞれ表裏一体になっているという思想は、イギリス文学 とアメリカ文学という二つの大きな区分けを機能させてきた。つまり、イギリスという 国家に住むからには英語を使い、なにか英国人についての文学を書くのだという漠然と した考えかたが、英語で書かれた文学の研究においても支配的だったといえる。 すぐにわかるように、こうした規範に明確な根拠があるわけではないし、世界の現状 にもまったくそぐわないものになりつつある。きわだった例として、ウラジーミル・ナ ボコフを挙げることができるだろう。『ロリータ』や『アーダ』の緻密で美しい英語は、 周知のとおり、その二度目の亡命にさいして選びとられた言語である。米国に帰化した ナボコフは世界の主流言語、英語で書く。しかしその成功にもかかわらず、彼はたえず 失われた母国の言葉への郷愁について語り、二つの言語間の翻訳に自ら着手する。もは やアメリカ文学という既存の枠組みでナボコフの文学をとらえることはできない。 今日のイギリスもまた、従来の区分けが無効になる場所のひとつである。ブラッドフ ォードの集会所で行われる定時礼拝の声、ソーホーをぶらついていると不意にあらわれ る漢字のぎっしりつまった看板、そうした風物を私たちは簡単に思いえがくことができ る。イギリスにいながらそれぞれの母語と慣習を保とうとする人々は、国家と言語の確 固とした関係を侵食するだけではない。彼ら自身もまた英語と混じりあい、在来の枠組 みから外れていく。彼らの子供たち、孫たちもそうだ。亡命者、移民、国際的な根なし 草のつくりだす街角にあっては、もはや英語はあたりまえの言葉ではない。ましてや自 我を保証してくれるものでもない。表現媒体として選びとられるツールになる。そうし た現代の風景を端的にあらわすのが、インド系英語文学の興盛であるといえる。 サルマン・ルシュディと自伝の世紀 インド系英語文学のルーツは、ムルク・ラジ・アーナンド、R・K・ナラーヤン、ラー ジャ・ラオといった20世紀初頭生まれの作家たちにあるとされている。彼らが生まれ てほぼ百年たった今日、インド系英語文学はますます注目されている。『郊外の仏陀』 のハニフ・クレイシ、『理性の円環』のアミダウ・ゴーシュ、『偉大なインドの小説』 のシャシ・タルーア。より若い世代では、『ホワイト・ティース』のゼイディー・スミ ス、『その名にちなんで』のジュンパ・ラヒリ、『タマリンド・メム』のアニタ・ラウ ・バダミ。しかしインド系英語文学の代表的作家をひとりあげるとすれば、サルマン・ ルシュディをおいてほかにはいない。それはもちろん、『悪魔の詩』事件とその十五年 にもわたる潜伏生活によるというよりは、その7つの小説作品がいずれもインド系英語 文学と移民たちの現在を予見的ともいえる力強さをもって描きだしているという理由に よる。 ルシュディの達成について語られるとき、一般的にマジック・リアリズムと呼ばれる その小説作法が話題になることが多い。マジック・リアリズムというと、イスパノアメ リカ作家、とりわけガルシア・マルケスの『百年の孤独』が有名ではあるが、ルシュデ ィの『真夜中の子供たち』は英語で書かれたはじめてのマジック・リアリズム作品とも いわれている。この技法を使いこなすことによって、彼は自伝的要素と集合的記憶、す なわち歴史とを融解させることに成功している。その消息について簡単に説明してみよ う。そもそも、二十世紀は自伝の世紀であったといえる。プルースト、ジョイス、ウル フ、みな人間の内面を描くことを現代文学の課題としてきた。そのための形式として自 伝は非常に有効であったといえる。しかし時代が下るにつれ小説のあつかう課題はより 広がっていく。とくに第二次世界大戦以降、およそ真面目にものを考えるとは、たえず 自他の歴史認識を問い直す態度のことである。ここで従来の自伝の欠点が明らかになる 。個人の記憶に最適化した形式では、社会や歴史といった集合的記憶を物語に取り込む のが難しいのである。一人称、あるいは視点を固定した三人称では、時代の動きを視野 におさめるためには物足りなくなった。そこでルシュディらが採用したのがマジック・ リアリズムの手法である。もっとも、ルシュディ自身はそれを「ノン・ナチュラリズム 」と呼んでいる。これは自然主義に対抗するということではなく、リアリズムもファン タジーも作品に導入するという立場だといっていい。例えば『真夜中の子供たち』にお ける主人公サリームと現代インド史とのつながりは、インドの神話の幻想と旧植民地の パワーゲーム、卑小な人物のモノローグと宿命を背負った貴種の受難物語との混在なし には描かれえなかった。複数の物語り方を同居させることにより、ひとつの作品に自伝 的な要素と歴史記述的な要素を導入することが可能になったのである。 複合自我とインド系英語作家 こうした複合性がルシュディ文学の中心をなす概念である。ルシュディ自身、1997 年に『タイム』紙に寄稿したエッセー「豊穣の邦」において、「複合自我」という言葉を 提示している。ひとりの人間の中に複数の人間がいる、という状態のことだ。こうした考 えかたは、G・H・ミードの「社会的自我」やマーヴィン・ミンスキーの「多重自我」概念 と通じるものがあるかもしれない。文学者としては、まずフェルナンド・ペソアを先達に 挙げなくてはならないだろう。アルベルト・カエイロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・ デ・カンポス・・・ペソアはきわめて多くの異名を使って執筆していたことで知られる。 のみならず、それぞれの名前に性格や身体的特徴などをこまごまと設定することによって 多声性を獲得しようと試みた。あるいは、フリードリヒ・ニーチェによる「神の死」を「 複合自我」の根源にあるものとらえることもできる。ニーチェによれば、そもそも人間と は完璧な存在である「神」を参照することによって自分自身をかたちづくってきた。その 「神」が社会において機能不全となったとき、人は座標軸の原点を失う。現代的な言葉で いえば、オリジナルのないコピーとなる。「神は死んだ」とは、「統合的自我は終焉した」 と言いかえられるだろう。 ルシュディは世俗主義者として、自らの「複合自我」を20世紀後半のポストコロニアル 時代に由来する自我だと述べる。インド・パキスタン分離をはじめとする国家の再編を間近 で見てきたこと、『悪魔の詩』事件によって十数年にわたって潜伏と流浪を強いられている ことが、彼の「複合自我」ひいてはその文学作品に反映されていると考えられる。インド系 英語文学の豊穣の中にひとつ共通点があるとしたら、こうした「複合自我」表象ではないだ ろうか。先に述べたように、国家と言語と文学との関係はより流動的になっている。亡命者 や移民が経験する根こぎは、英語で書かれた自らの物語をいかなる枠組みからも放擲する。 それは国境も安住の地もない文学である。かつて亡命者ナボコフは自らをシーリンと名乗っ た。ロシア民話に出てくる架空の極楽鳥である。ナボコフが死んだ年、ルシュディは最初の 小説『グリマス(Grimus)』を発表する。そのタイトルは「シムルグ(Simurg)」すなわち 「鳥の王」のアナグラムとなっている。この名前を伝える伝承は次のように語る。「鳥の王 」に会うため、膨大な数の鳥たちが巡礼の旅に出るが、厳しい旅の途中で仲間はだんだんと 減っていき、ついには四十羽が残るだけになった。彼らはなおも旅を続けるが、あるとき、 不意に自分たちが一羽の巨大な鳥の姿で輝いていることを発見した。「鳥の王」とは彼ら自 身のことだった。ひとつの姿でありながら内部にいくつもの個がさざめいているという点に おいて、この寓話の鳥ほどルシュディのいう複合自我の象徴としてふさわしいものはない。 また、旅を止めない者たちこそが祝福されるという点においても、昨今の移民文学の豊かさ に響きあうものがあるだろう。では、インド系英語作家の中からルシュディの提示する方法 論に近しいと思われる何人かを紹介したい。 アミタヴ・ゴーシュ アミタヴ・ゴーシュ(1956― )はベンガル人としてカルカッタに生まれ、子供時代は 東パキスタン(現バングラデシュ)、スリランカ、イラン、インドを転々とした。インド 分離独立の混乱期に血族の大部分がビルマへ移住し、残りはインド各地へ散らばった、と ゴーシュ自身がインタビューで語っている。彼が小説を書く動機に、「ディアスポラ( 離散家族)」の一員としての自己を見つめなおすということがある。ディアスポラである ことを嘆くのでなく、むしろ国境などを意識しないで生きる人間の強み、越境者の利点を 強調するという態度において、ルシュディ同様に多文化主義者であるといえる。現在はニ ューヨーク市立大学で比較文学を教えている。 最初の作品『理性の円環』(1986)はパキスタン内戦時(1971)のバングラデシュを背 景にしているが、その混乱は作家自身が体験したところのものである。この小説は放火の 疑いをかけられて逃亡する若者の物語であり、サスペンスタッチのピカレスクロマンとい う趣がある。アルー(ジャガイモ)と渾名されたこの若者の逃避行はアラビア海をまたに かける壮大なもので、東ベンガルにある故郷の村を出て、オンボロ船でまず向かうのは東 アフリカの港町アルガジラである。ここは石油が湧き出たために急速に豊かになった新旧 文化混在の町で、原始的魔術と先端技術が共存している。石油資源の需要が莫大なものに ならなければけして生まれなかった、きわめて20世紀的な町といえる。作者はそのような 町にアルーを向かわせることにより、アラビア海一帯の文化的多様性を描き出そうとした 。アルーが次に逃げのびる場所はアルジェリア領サハラ砂漠北東端にあるエルクエドとい う町だが、そこでも読者はインド人共同体という思わぬものに出会い、驚くことになるだ ろう。それこそが作者のたくらみなのである。アルガジラやエルクエドのような町の存在 をゴーシュが知ったのは、社会人類学者としてアフリカを研究していたからだと思われる。 ゴーシュはデリー大学を卒業した後、オックスフォードの大学院で社会人類学を専攻し 、博士論文のフィールドワークとして1980年にエジプトの農村ラタイファで生活した。そ の時の体験をもとにした小説が『太古の土地にて』(1993)という小説である。この物語 は一人称で書かれた章と三人称で書かれた章が交互に表われ、前者は作家自身を思わせる インド人青年の滞在記が、後者では12世紀のユダヤ系エジプト人貿易商ベン・ユイジュと 彼が所有していたインド人奴隷の物語が語られる。構成としては、一人称の語り手が奴隷 の番号札を文献の中で見つけ、それをきっかけとして数百年前の物語が立ちあらわれると いうふうになっている。滞在先の村で彼が世話になる金持ちのウスタズ・ムスタファは怪 異なほどに太っており、若い妻や子供を含むたくさんの係累に囲まれている。村人たちか ら見ればインド人の青年は不可解な存在であるため、彼はその土地の文化を知るというよ りは自分の文化的中身と対峙することになってしまう。ヒンドゥー教徒は神を信じないの か。インド人はなぜ人を焼き殺すのか。なぜ牛などを神聖視するのか。そうした質問は、 青年の精神を裸にするのであった。村人たちの熱心なイスラム教信仰の前では、多文化主 義や多元主義はまったく理解されない。それに比べて12世紀の人たちはアフリカからイン ドまでのアラビア海沿岸の広大な地域を自由に往来する多文化主義者たちであった。青年 は古い時代を羨望の念を覚える。 ゴーシュは以上の二作のほかに最近作の『飢えた潮流』(2004)を含めて長編四作を書 いているが、いずれも広い意味での自分史であり、自分に関わりのある家族や血族の歴史 を題材としている。 シャシ・タルーア シャシ・タルーアは現役の国連幹部職員であり、外交官である。ゴーシュと同じ1956年に ロンドンで生まれる。ボンベイ、カルカッタ、デリーと移り住み、デリーのセント・スティ ーヴンズ・カレッジを卒業した後、アメリカのタフツ大学大学院フレッチャー・スクールへ 進み、22歳の若さで博士号を取得し、直ちに国連職員になるという経歴を持っている。この 堅実な経歴からすると、タルーアの文学はルシュディの猥雑と活力とは正反対のところにあ るのではないかと推測したくなるが、実際はそうでない。 『偉大なインドの小説』(1989)という人を食ったようなタイトルの作品は、八八歳の老 人が記憶の中にあるインドの歴史を一人称で語るという趣向になっていて、これを読む読者 はその独特な語り口に引き込まれるだけでなく、ピーター・ケアリーの『イリワッカー』( 1985)を思い出さずにはいられない。139歳のハーバート・バジャリーが語るオーストラリア の小さな町ジーロングの物語が、実はオーストラリアの歴史に重なるという小説である。つ まり『偉大なインドの小説』は冒頭から正真正銘の「魔術的リアリズム」の匂いが漂ってい るということである。そこでは語り手ヴェド・ヴィアスの自分史が20世紀のインドの歴史 と重なり合うだけでなく、叙事詩『マハーバーラタ』の世界とも重なり合い、きわめて古い 歴史を持つインドが意識される。「魔術的リアリズム」の語りと歴史と神話の組み合わせと なれば、これはまさに『真夜中の子供たち』の世界である。タルーアはルシュディからの文 学的影響について公言したことはないが、『インド―真夜中からミレニアムまで』(1997) というインド論のタイトルや、文中でのルシュディへの頻繁な言及からして、彼が『真夜中 の子供たち』の作家を強く意識してきていることは間違いない。 タルーアには『偉大なインドの小説』のほかにも、インド映画界ボリウッドを扱う『ショー ・ビジネス』(1997)と、ヒンドゥーとムスリムの対立に起因する1989年の暴動を扱う『暴動』 (2001)という、いずれも一人称の語りと実験的な手法による作品があり、それらはタルーア がルシュディの後継者の中で最もルシュディ的な作家であることを示している。 ロヒントン・ミストリー 「すべてのフィクションは自伝的であり、記憶の碾き臼を潜り抜けた想像力である」とロヒ ントン・ミストリー(1952− )は言う。そのように主張する限りにおいて、彼はほかの後継 者たちと同様、ルシュディに近い立場にある。彼はボンベイの宗教的マイノリティであるパー ルシー教徒の家庭に生まれ育ち、23歳でカナダへ移住してからずっとトロントに住んでいるが 小説の舞台は常にボンベイである。 処女作『かくも長き旅』(1991)は1971年のパキスタン内戦を舞台とし資金洗浄という裏業 を使って東パキスタンに資金を流す銀行員グスタド・ノーブルの物語だが、妻と三人の子供が いるこのパールシー教徒の家庭生活の綿密な細部には、作者自身のボンベイでの家庭生活の記 憶が惜しみなく注ぎ込まれているように見える。 ミストリーは細部にこだわる作家であり、ルシュディやタルーアのように構想に凝るタイプ ではない。ルシュディは『真夜中の子供たち』において自分の記憶の中にあるインドの歴史と してインディラ・ガンディーによる非常事態宣言の時代を扱ったが、ミストリーも『ファイン ・バランス』(1996)の中で、首相と都市の名を明示していないけれども、同じ時代のボンベ イを扱っている。ルシュディは歴史に対し比喩的‐積極的に立ち向かったと言えるが、ミスト リーは比喩的‐受動的な関わり方で、四人の主要登場人物たちが否応なしに政治に巻き込まれ ることはあっても、積極的に政治に関わることはない。ルシュディがボンベイの中産階級を扱 ったのに対し、ミストリーは貧しい人たちに焦点を当てる。1975年当時の作者と同じぐらいの 年齢の人物としてマネック・コーラーという学生が登場する。作者と違って山間部の生まれの この人物が下宿するアパートは、実はディナ・ディラルという40代初めの未亡人が借りていて 、奇妙な共同生活が始まる。二人はパールシー教信者という共通点があるが、それ以外に通じ るものはあまりない。ディナは中産階級の両親の死後、兄の強圧的支配に苦しんでいて、兄に 反発する形で結婚するものの、夫が交通事故で死んでしまい、兄から逃れるために自立の道を 選ぶのだが、収入の当てがない。そこでアパートをマネックに又貸ししたのである。彼女はさ らに出来高払いで裁縫の仕事をさせるために二人の男、47歳のイシュヴァル・ダールジとその 甥で17歳のオムプラカシュ(通称オム)を雇う。オムの父親は総選挙の不正に加担しなかった ため、土地の有力者から犯罪人扱いされ、殺される。そればかりか妻と娘たちも焼き殺される のだが、オムは偶然にも生き延びたのである。彼らはカーストの低いヒンドゥー教徒で、道路 に寝泊りしながらディナのために裁縫の仕事を続ける。しかし時の政府の貧困一掃政策や産児 制限政策のために、イシュヴァルは両脚を切断され、オムは断種手術を施されてしまう。非常 事態宣言下の都市の現実に絶望して、マネックは自殺するが、残った三人はしだいに「家族」 のような感情を持ちはじめる。そこにはカーストや宗教を乗り越える可能性が作者の願望とし て示されているわけだが、この結末は六百ページに及ぶ丹念な細部の積み重ねを考えると「荒 っぽい」という批判もある。 『家族問題』(2002)は1990年代初めの頃のボンベイを舞台として、パールシー教徒一家の 老人介護問題を扱いながら、当時台頭しつつあったヒンドゥー原理主義主導の政治的動きに庶 民が巻き込まれるようすを描いている。物語が焦点化する宗教的マイノリティの一家は、79歳 の老人ナリマン・ヴァキールと、物語の初めに彼の世話をしている義理の息子と娘(いずれも 独身中年のジャルとクーミー)、ナリマンの実の娘ながら父親と別居しているロクサーナとそ の夫ヤザド・チェノイ、および彼らの二人の息子ムラドとジェハンジルから構成されている。 この一家に政治が土足で踏み込むきっかけとなるのは、パーキンソン病患者のナリマンが足首 を挫き、介護がいっそうの重荷となったため、ジャルとクーミーが彼をロクサーナの許へ移す という出来事である。その結果として、ロクサーナとその夫ヤザドにとってただでさえ楽でな い暮らしがさらに苦しくなり、スポーツ用品店の店員ヤザドは違法な賭け事に手を出す。これ と相前後してヤザドの雇用主ヴィクラム・カプルがボンベイの市議会議員に立候補するという 出来事もある。当時のボンベイでは、ヒンドゥー原理主義グループの「シヴ・セナ」が勢力を 伸ばしていて、都市名をボンベイからムンバイへ変更しようとしている。その動きを止めよう と決意してカプルは選挙に打って出るのである。これがシヴ・セナの嫌がらせを招くことにな り、カプルは選挙に落選するばかりでなく、店の閉鎖を余儀なくされる。彼がパールシー教徒 のヤザドを雇っていたこともシヴ・セナの攻撃を受ける原因であったことが後で判明する。こ の動きの中でヤザドは賭け事で大損をするばかりでなく、仕事まで失う羽目になるのである。 一方で、ジャルとクーミーの生活も、クーミーの事故死によって激変する。ナリマンを家父長 とする大家族は崩壊寸前に追い込まれるわけである。しかしながら、この物語にはハッピーエ ンドが用意されている。ヤザドが自宅を売って借金を返済し、妻子やナリマンともども、今や 独り住まいのジャルの家に移り住み、文字通りの大家族となるからである。 一九九〇年代初めのボンベイとシヴ・セナの台頭を扱っている点で、この小説はルシュディ の『ムーア人の最後の溜め息』を思い出させずにはいない。前作の『ファイン・バランス』が テーマ的に『真夜中の子供たち』と重なっていたことを考え合わせると、ロヒントン・ミスト リーに対するルシュディの影響は小さくないものがあると思われるが、ミストリーはリアリズ ムに徹していて、「ノンナチュラリズム」のような新奇な方法を使うことがない。そのためル シュディよりも読みやすい文体だという評価もあるが、この作品の欠点のひとつとして「魔術 的リアリズム」の欠如を指摘しているのは、われわれがすでに取り上げたシャシ・タルーアそ の人である。 ミーラ・シーアル ミーラ・シーアル(1962− )がルシュディの影響下にあることを最初に指摘したのはアンド ルー・ブレイクだが、ルシュディの場合、自らが移民となったのに対し、シーアルは移民二世で 、彼女が生まれる一年前に両親はインドのパンジャブ地方からイギリス中部の都市ウルヴァーハ ンプトン近郊の村エシントンへ移住してきた。彼女は貧困の中で育つが、パンジャブ文化を守ろ うとする両親に逆らい、イギリス白人文化を積極的に摂取しつつ、マンチェスター大学を卒業後 に人気女優となり、現在も活躍中である。作家としての処女作『アニタと私』(1996)は10歳前 後のアニタがトリントンという(エシントンをモデルにした)架空の村で経験する親との対立、 友人や地域社会との出会いなどを描き、アイデンティティを模索する自伝的物語である。のびや かでユーモラスな語りは天性のもので、この作家は巧まずして「魔術的リアリズム」を実現して いる。シーアルには三〇代前半のインド・パンジャブ系イギリス人女性三人それぞれのロンドン 生活を扱う『人生はハッ、ハッ、ヒー、ヒーばかりでない』(1999)もある。 おわりに 最後にイギリス文学、アメリカ文学という二つの大きな枠組みとインド系英語文学の問題に話 を戻したい。国家と国民が一体となれない、つまり民族国家という概念が素直に受け容れられな い原因は、19世紀から20世紀にかけての植民地主義思想と大国による植民地支配の結果として民 族の大移動が起こったことにある。かつてはアメリカがそうであったように、「人種の坩堝」と いうことで、さまざまな人種を坩堝に入れて、英語とアメリカ的価値観からなるアメリカ人を作 っていたが、20世紀後半のポストコロニアルの時代となると、文化は多様なものだという思想が 普及し、「人種の坩堝」から多様性の共存する「人種のサラダボール」へと変わってきた。この ポストコロニアルの時代に生まれた新たな組成の自我とその言語表象媒体としての英語の関係は 、国家と国語と国民文学の関係としては捉えることができず、その文学は、英語で書かれていて も、国境のない文学となっている。
構成と文:岡田 智之(明治大学大学院博士前期課程)
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