象徴の向こう側へ――Paul AusterのMoon Palaceと父性の転覆

山辺省太

広島経済大学専任講師

 

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 かつてHal Fosterによって編纂された論文集、The Anti-Aestheticに収められている "The Discourse of Others"において、Craig Owensはポストモダン的な表象批判とフェ ミニズムの交差点を論じながら、"It is precisely at the legislative frontier betw een what can be represented and what cannot that the postmodernist operation is being staged――not in order to transcend representation, but in order to expo se that system of power that authorizes representations while blocking, prohibit ing or invalidating others"(Owens 59)、と述べている。表象可能なものと不可能なも のとがその境界線上で触れ合う一瞬、言い換えれば両者の相反する力が衝突する場におい て、表象システムから排除された不可視なものが、そのシステムの根幹を揺るがし転覆す る装置として機能するとオーウェンスは指摘する。そして、たとえば我々は、そのような 二つの力が衝突する場を、表象された可視的存在の父権と表象から排除された不可視な存 在の母権(もしくはその逆)が入り乱れた家系、というコンテキストにおいて考えること はできないであろうか。

 ユダヤ系アメリカ作家、Paul Austerの1989年に出版された長編、Moon Palace 1を一言 で集約すれば、孤児が自身の源である父を探す物語である。父探しという構図は、戦後ア メリカのユダヤ系文学において顕著にみられ、故にこの物語に関しての批評もBernd Her zogenrath が、「起源、不在の父、そして家への渇望は、オースターの登場人物における 最も際立ったひとつの特徴である」(Herzogenrath 119)と指摘するように、父と息子の関 係を強調している。なるほど、この作品は孤児が失われた父を探すことにより、自己を確 立するプロセスを書いていることは間違いないとしても、この物語において問題とされて いるのは、不在としての父親像だけなのであろうか。

 MPは、幼少の頃から父を知らず、また母を交通事故で失ってしまった孤児Marco Stanley Foggが主人公の物語であり、主な舞台はアメリカが月面着陸に成功した激動の1960年代と彼 の祖父Julian Barberが西部へと旅立った1916年である。マーコは、母方の叔父Victor Fogg によって育てられるが、大学在学中に今までの貯蓄の財産をすべて使ってしまい、セントラ ルパークの浮浪者と成り果てる。中国系の孤児であり後に恋人となるKitty Wuによって危機 的状態から救われたマーコは、車椅子に乗った盲目の老人、Thomas Effingの世話というアル バイトをすることになる。エフィングは、かつてジュリアン・バーバーという名前の画家で あり、33歳の時、妻を残し仲間と共に西部へと旅立つ。彼は途中仲間を失い、一人西部の峡 谷に取り残されるが、その時偶然洞窟で見つけた盗賊の莫大な金を手に入れ、そこで新たに トマス・エフィングと名乗り、生まれ変わる。死期が近づいてきたエフィングは、マーコに その時のことを話し、書き写させ、そしてその話を伝えるために、エフィングの息子、Solo mon Barberを探して欲しいとマーコに頼む。マーコはエフィングが亡くなった後ソロモン・ バーバーを探し出すが、彼が自身の父親である可能性があることを次第に知り始める。徐々 に親しくなっていった二人は、かつてエフィングが行ったという洞窟に再び訪れようと西部 に旅立つ。その途中で立ち寄ったマーコの母親の墓前で、ソロモンは突然悲しみのあまり泣 き崩れる。その姿をみたマーコは、ソロモンが自身の父であることを確信し、そして彼は突 如激昂してソロモンを罵るが、それにより後ずさりしたソロモンはうっかり墓穴の下に落ち てしまう。結局その時のけがによりソロモンは死んでしまい、一人残ったマーコは旅を続け 西部の果ての浜辺に辿り着く。そこで彼が見たのは、丸い満月が海に映りながら上っていく 様であった、というのが物語の主なあらすじである。

 MPが、祖父、父、息子という男性三代の系譜をたどる物語なら、この作品は、三人の男性 を繋ぐ一本の線を形成していると、とりあえずは指摘することができる。特に、ソロモン・ バーバーの名前について、"Solomon, the wise king of the Hebrews, a man so precise i n his judgements that he could threaten to cut a baby in half. Later on, the dimin utive was dropped, and he became Sol. The Elizabethan poets taught him that this w as an old word for sun"(251)とあるように、男性の象徴である太陽がマーコの父に付与さ れていることを考慮するなら、この作品が男性性を結ぶリニアーな線を太陽という父性のシ ンボルと共に演出する構成になっているのは当然といえるかもしれない。しかし、「ムーン ・パレス」という題目に注目するなら、なぜ女性性と結び付く月のイメージが使用されるの かという疑問が頭をもたげた時に、父性という線では収まりきらない残余が月のイメージと 共に滲み出ている、という仮説を立てる事が可能となる。

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 この作品を読んで自然と湧き起こってくる疑問が二点、一つは、父に対して母はどこに存 在するのかということ。不在の父が物語の過程で発見され、意味付けられていくのに対し、 マーコの母は、冒頭部分で多少微かな記憶と共に触れられるにせよ、それ以降は物語の中で 姿を現わさない。Steven WeisenburgerはMPの家系図における父性と母性の位置を、"Marco's genealogy formally inscribes the insanity, absence, and abortiveness of its matern al side, as compared to the alienated, unstable, and obsessive (yet equally success ful) features of his recovered paternal side"(Weisenburger 133)、と指摘しているが、 母性についてはそれ以上の意味付けはしていない。この物語において、母性は全く存在しない のであろうか。そして、もう一つは、この作品の題名でもある月がどのように物語と結びつい ているのか、という問題。今までの批評論文は、この二点に関してあまり論じてはいない。

 月の象徴性について、たとえばマンフレート・ルルカーが、『シンボルのメッセージ』の中 で「月は繰り返し、水・豊饒・植物と関係づけられて登場する。その際、およそ女性の方が男 性より月とのかかわりが深いことが注目を引く」(ルルカー 183)と述べるように、(極めて男 性主義的な)神話において月と女性の関連性はしばしば指摘されることである。月のイメージ は、物語の中で随所に出てくるが、特にマーコがトマス・エフィングに観てくるように言われ たRalph Albert BlakelockのMoonlight(1885)は、MPにおける月の意義を考える上で中心的存在 であり、そしてマーコは、この絵について以下のように思いを巡らしている。

A perfectly round full moon sat in the middle of the canvas….[The sky] swirled…tak ing on a spiralling aspect, a vortex of celestial matter in deep space….Perhaps, I t hought to myself, this picture was meant to stand for everything we had lost. It was n ot a landscape, it was a memorial, a death song for a vanished world….Blakelock's bes t years as an artist had been devoted to painting moonlight scenes….The moon was al ways full in those works….(137-140)
マーコはシラノ・ド・ベルジュラックの著した月旅行の話を引用しながら、「エデンの園は他 ならぬ月にある」(38-39)とキティー・ウーとの出会いの場面で演説するが、同様にこの絵画は 満月という調和の円を描写しながら、消滅したエデンの園を月光によって照らし出している。 しかし、母性としての月は、この物語において失われた無垢で調和の世界と同時にもう一つの 世界を演出している。

 ユング派の精神分析学者Esther Hardingは、"The Moon Goddesses are in literal fact the mothers of all living things and yet, strange though it may seem, not only are they the life-givers but they are also the destroyers"(Harding 86)、と述べているが、月はこ の物語において、マーコが「愛と狂気の女神」(31)と二面的に捉えているように、愛と調和、 と同時に狂気と破壊という相反する様相を表象している。そしてこの二面性は、MPに出てくる 女性、夫に対し狂気と憎しみを持っており、また自身の意に反して男子を誕生させた、マーコ の母と祖母について共通したイメージでもある。マーコの祖母、Elizabeth Wheelerがソロモ ン・バーバーを生むとき、"I'm not going to let him[Barber] out….I'll smother him in there first. Monster-boy, monster-boy. I won't let him out until I kill him"(270)と叫 ぶように、この作品において女性は、生命を与えるだけでなく、狂気や破壊を内在しているこ とが確認できる。

 太陽と月、このよく比較される象徴において決定的な差異がある。それは、太陽は常に地球 や月といった星の中心的存在であり、また不変の円環を形成しているのに対し、月は、常に変 化(満ち欠け)する存在であり、それが月の狂気と結び付くことはしばしば指摘されることで もある。そして、この物語においては、不変な太陽という父性に対し、変化、揺さ振りをかけ る月という母性の構図が、渦巻きという様相を伴いながら現われている。
 渦巻きは、MPにおいて月と呼応しながら表出されるが、マーコが卵を落としたことからそれ が物語において発生していることは、注目すべき点である。

Several days after my visit to the music store, a minor disaster nearly drowned me. Th e two eggs I was about to place in a pot of water and boil up for my daily meal slipp ed through my fingers and broke on the floor….The sunny, translucent innards sank in to the cracks…I felt as though a star were exploding, as though a great sun had just d ied. The yellow spread over the white and then began to swirl, turning into a vast ne bula, a debris of interstellar gases. (42-43, italics mine)
卵が割れて、太陽がなくなることはマーコの両親の不在を暗示している。また、太陽は父を表 わし、卵は子宮という母性、或いは卵の黄色は月の色とも結びつき、「滑って割れた卵」は「 雪に滑ってバスに轢かれて死んだ」(3)マーコの母親を連想させるが、ここで重要なことは、卵 が割れることにより渦巻きが発生していることである。この渦巻きは、この後、マーコの没落 が始まることを示す兆候として機能すると同時に「まるで大いなる太陽が死んでしまったよう だ」という表現は、彼が後に直面することになる父性の消滅の前兆と考えられる。卵という母 性から生じた渦は、どのような方向にそのベクトルを向けていくのであろうか。

 この揺さ振りはMPにおいて、「なぜアメリカの西部は、あんなにも月面の風景に似ているの か」(32-33)と、マーコが指摘するように、月と共に、西部という地球の空間において現れる。 かつて、Henry Nash Smithが、Virgin Landの中で「アメリカの森林はほとんど魔法の森と変 わり、アンティウス[海神ネプチューンと大地の神テラの間に生まれた巨人]のイメージが西部 の土の力をほのめかすのに呼出される」(Smith 253)、というイメージを付与しているが、渦巻 きを形成する海の神と、豊穣な大地の神という両面性を西部は演出する。また、ブレイクロッ クのMoonlightを注意深く凝視するなら、白人が西部開拓をする以前の調和した世界を描いてい るだけでなく、「天空が螺旋のように渦を巻いている」とあるように、一方では、西部のカタ ストロフィー的世界を叙述するという、その二重性を見逃すことはできない。

 「愛と狂気の女神」である月と呼応する西部は、「無数の罠と迷路からなる物騒この上ない悪 夢だった」(18)として、二人の男性、ソロモン・バーバーと、Moon Menという音楽バンドを組 んでいたマーコの叔父、ビクター・フォッグを死に追いやった土地である。と同時に、ジュリ アン・バーバーがトマス・エフィングとして再生する西部の洞窟は、まさに新たな生命を生み 出す子宮、母性を想起させる。つまり、西部とは渦を巻きながら人を飲み込む破壊者であると 同時に、新たな生命を与える再生者という月のイメージと呼応し、二律背反的な母性の表象可 能な場として機能する。"Reality was a yo-yo, change was the only constant"(62)という 言葉を思うにつけ、MPの現実は単に父性を探すリニアーな線などではなく、東から西に、そし て死から再生へと「揺れつづけるヨーヨー」のようなものであり、この「変化」こそが、月と 呼応しながらこの物語の男性の運命を揺さぶっていく。

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 しかし、死と再生ということを考慮するなら、更に象徴的な物語がこの作品には隠されてい る。Kepler's Bloodという題の本は、ソロモン・バーバーが17歳のときに書いたものだが、こ の本が内容も非常に類似しながらメタフィクションとしてMPを支えている。John Keplerとい う人物から派生する、東部と西部の二つの場所で生まれる家系が入り乱れながら様々な父殺し を演出するこの物語において注目すべきは、東部のケプラー家が途絶えてしまうこと、そして 西部に生まれたケプラーの息子Jocominが、自身を変化させる技としての12の変容を飛び越え 13番目の変容を達成していること、さらにはその変容が、男性から女性に姿を変え、東部で 生まれたケプラーの孫を誘惑し新たに西部において家系を作ることである。ルルカーは『象 徴としての円』の中で、「十二という数は完全性と全体性を表現するが、その数によって整 序され、その数にしたがって区画された円も同様に完全性と全体性を意味する。……十二と いう数は幾度も元に回帰する『まるい』数である」(ルルカー 14) 2と指摘している。つまり 、ジャコミンの女性に姿を変える12から13への変容は、かつてマーコが、"A whole chain o f forces had been set in motion, and at a certain point I began to wobble, to fly in greater and greater circles around myself, until at last I spun out of orbit"(19 )と言っていたように、父権と母権という力の連鎖の中で「ぐるぐる」と渦を巻きながら、父 性という不変の円環である太陽の軌道の外へ飛び出してしまうことでもある。

 思い起こせばMPの冒頭部分で、"The signs pointed to a total eclipse….Total eclipse. The beast had been slain, its entrails had been decoded. The moon would block the sun , and at that point I would vanish"(21)とあるように、この物語はこの皆既日食、つまり「 月が太陽を覆い尽くす瞬間」に向かっていると考えられ、太陽から月へと軌道を移動すること は、MPにおいて二度反復される"The sun is the past, the earth is the present, the moon is the future"(97, 293)という言葉からも窺い知れる。男性から女性に変化すること、それ は太陽から月へ、そして過去から未来へと軌道移動していくことに他ならない。

 オースターの最初の散文作品、Invention of Solitudeの中の"Portrait of an Invisible Man"は、自伝的要素を含みながら、オースター本人の見えない父について考察するものであっ た。3 この作品がオースターの父を知るだけでなく、オースターの祖父、つまりオースター 家の系譜とその秘密を知ることを考えるなら、構造的にMPと類似しているが、その秘密とはオ ースターの祖母Anna Austerが祖父Harry Austerを撃ち殺したという事件であった。父の謎を 知ろうとしながら、この自伝的作品に祖母について多くの記述が書きこまれていることは興味 深い点である。この中でオースターの祖母は、MPにおける母性と同様な"a crazy little wom an with red hair"(Invention of Solitude 34)であり、そして彼女は排除された存在ではな く、"At the center of the clan was my grandmother….Fierce, refractory, the boss. I t was the common loyalty to her that kept the brothers so close"(Invention of Solit ude 49)、として中心的位置に存在する。つまり、"Portrait of an Invisible Man"における 父の系譜を辿れば、「頭のおかしい祖母」が中央に坐っているという家系の全体像が浮かび上 ってくるのだ。

 この間テキスト性は、MPにおいて、父の系譜を辿れば母がいたと示唆しているのではない。 ただ、この作品において父を探す過程の背後に、もしくはメタレヴェルに、月という母性の影 が見え隠れし、最終的にマーコの旅も「未来」としての月に収拾されるということである。「 子供を二つに切ると威嚇した厳正なる裁判官」であり「太陽」でもあるソロモンは、逆にマー コによって殺されることになる。マーコは母親のエミリーの墓を訪れたとき、突然泣き出した ソロモンに対し、「まるで大地に声をかけられたような思い、墓の中から死者が語りかけてき たような思い」と共に、「火のように激しい憤怒と嫌悪の念」(292)を感じながら、ソロモンを 罵倒して、彼を墓穴の縁まで追いつめていく。父殺しを引き起こした目に見えない「墓の中か ら語りかける死者」とは、父性にとって不可視な他者である母性であり、死んだマーコの母エ ミリーに他ならない。ただその力は現前化されることなく、息子のマーコという媒体を通して 作用する不可視な力であり、この物語の母体なのである。

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 父殺しという太陽を二つに切る行為の後にマーコを迎えたのは、西部を突き抜け海岸に辿り 着いたとき海上に姿を現わした満月であった。

I stood on the beach for a long time, waiting for the last bits of sunlight to vanis h. Behind me, the town went about its business, making familiar late-century Ame rican noises. As I looked down the curve of the coast, I saw the lights of the house s being turned on, one by one. Then the moon came up from behind the hills. It was a full moon, as round and yellow as a burning stone. I kept my eyes on it as it ros e into the night sky, not turning away until it had found its place in the darknes s.(306-7)
東部から西部を突き抜けて、西の果てに辿り着く構図は、征服を伴うアメリカ的進化の西漸 運動を反復しているが、ソロモンの死後海に上る月は、父性の太陽の没落を照らし出す。ま た、西の果ての海に太陽が沈み、そして満月が現れる変容は、『ケプラーの血』の如く、男性 から女性への13の変容と重なっている。

 更にここで注目すべきは、月が海と共に現れていることである。月が、海の波や潮の満ち欠 けと関連していることは言うまでもない。月は、マーコが話したように、「アダムとイブの堕 落以前の世界」を象徴するものならば、満ち欠けを伴う時間の変化、そして空間の変化は、海 の水と呼応しながらこの父性を消滅させ洗い流す機能を持っている。月は、MPにおける父性の 家系をメタレヴェルから照らしながら、そこから派生した「欲望と罪悪感」(263)を、渦巻き によって破壊し、水と共に洗い流している。 4 Toril MoiはSexual/Textual Politicsにおいて 、Helene Cixousに触れながら、水が神話的世界の終焉における母の子宮への回顧を表わすこ と、そしてラカン的な意味で父を知る以前の母と子が一体である想像界を反映していると指 摘する(Moi 117)。もちろんこの場面が言語以前の想像界を演出するという訳ではないが、父 が消滅した後、月と水が呼び交わすこの終わりの世界の中でマーコが見た満月は、全てが洗い 流された後に出現する、子宮からの新しい再生を示すものであり、Erich Neumannの言葉を借 りればこの海は、「単に包み込むだけではなく、変容させる母なる水」(Neumann 47)である。

 父殺しにより太陽が消え満月が出てくる構図は、トマス・エフィングの部屋に飾ってあっ たThomas Coleの5枚の連作絵画、The Course of Empire(1834-36、図1-5)の終幕である、 Desolation(1836、図5)における満月を連想させる。この絵が示す海の上の満月は、失わ れた過去における繁栄の夢の跡を示しているが、MPにおける満月は、「終焉」としての満 月ではなく、この連作の最初の絵であるThe Savage State(1834、図1)、つまり「荒野」へ と新たに変容し繋がる「はじまり」としての満月である。つまりMPは、父権を強調しなが ら自然の征服により文明が完成され、陽光きらめく世界が演出されるThe Consummation of Empire(1835-36、図3)を過去のものとして葬り去り、最終的にアメリカの西の果てに おいて月と出会うことで、逆に「終焉」を「はじまり」と変容させる物語である。

 月の満ち欠けが示す時間の中で、東から西へと空間的変化を伴いながら、死から再生という 変容が、この物語において行われており、そしてオースターは、MPにおける月について以下の ような言及をしている。

[T]he moon is also repetition, the cyclical nature of human experience. There are th ree stories in the book, after all, and each one is finally the same. Each generati on repeats the mistakes of the previous generation. So it's also a critique of th e notion of progress….Fogg wends his way among…pinball machine of associati ons, struggling to find a place for himself. By the end of the book I think he mana ges to get somewhere. But he only reaches the beginning….("Interview with Larry McC affery and Sinda Gregory" 324, italics mine)
太陽神を想起させる進歩の象徴としての宇宙船、アポロが、「アダムとイブの堕落以前の楽園」 である月に辿り着いたこと、このことが作品の基本構造となっている。つまり、「アダムとイブの 堕落以前」の世界への再生へとそのベクトルを示すMPの月は過去の象徴ではなく、「未来の月」と して、男性性と結びつく進化を批判しながら、「はじまり」の未来へとその光を照らしている。 5Julia Kristevaは、進化を前提とする近代的な直線の時間を父の時間とし、それに対する円環的な 時間を女の時間として提唱するが、最終的に月に辿り着く構図は、リニアであるはずの進化が、 「あちこち飛び回りながらもがく」ことにより、母性的な循環や渦巻きにからめとられたことであ る。と同時に、この物語の冒頭で描写され出発点となっている、いわば太陽が月に足を踏み入れ るアポロの月面着陸の陰画をこの物語は表象している。つまり、オースターが指摘するようにこ の物語は、男性的進化というアメリカの国家ナラティブを内部から突き崩し、それが生じる前の 始源の状態へとマーコを誘うのだ。

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 破壊と変容、そして再生という相反する要素を持つ月が天空から、つまりこの物語のメタレヴェ ルから、地球つまり現在という時に存在するマーコを見つめ、変化しながら進んでいく。そのいき つく先は、太陽という過去の象徴、つまり父権を葬り去ることであり、未来としての月に向かって 新たな再生の道を見出すことであった。もちろん、本論においてマーコは父ではなく、母を探して いたと言いたいのではない。不在としての父親像が強調されるオースター文学において、恐らく母 性は狂気として周縁に追いやられているのであろう。しかし、Carl Jungが、「太陽は男性の意識 を、月は女性の無意識を表わす」と説いたように、MPにおいて不在としてすら認識されない母性の 残像は、無意識としてこのテキストの進む方角を規定している。 6 母性は、父権的な二項対立の構 造の中で埋められて不可視になっているとしても、MPにおいてはこの母性が、テキストの無意識と して、つまり母というシニフィアンの形をとらない、テキストの混乱、偶然、比喩、イメージとし て働き、「子宮という言葉は、その語源として、うねる、巻き込むという意味を持つ」(Jung 245) というユングの言葉を引用するなら、内部から渦を巻きながら父性を破壊していく。つまり、月と いう無意識は、このテキスト上の様々なイメージに転移し、男性的な象徴作用のねじれを演出しな がら、その不可視な影の部分、裏側を映している。それはマーコが、ブレイクロックが描いた満月 を凝視しながら、"I was no longer able to see them[moons in Blacklock's pictures] as moon s. They became holes in the canvas, apertures of whiteness looking out onto another worl d"(141, italics mine)と思うに至ったように、月を通じて父性の世界の向こう側(another world) に移動しようとする衝動でもある。 7

 ビクター叔父さんは、MSフォッグのフォッグ(Fogg)という名前の由来について、ドイツ語のFogel (鳥)に由来しているとマーコに語り、そして、"A bird flying through fog…a giant bird fly ing across the ocean, not stopping until it reached America"(3-4)とマーコは思いをめぐら す。この鳥は、ヨーロッパから西のアメリカへ、さらにその東部から西部を突き抜け西の果てへと 、空間的に越境する鳥である。と同時に、マーコ・スタンリーのイニシャル、MとSが、moonとsun を暗示する記号と考えれば、彼の名はSunからFog(g)を抜けてMoonに飛ぶ鳥、つまり過去から未来 へと時間的に越境していく鳥でもある。霧という不可視な場、つまり子供であるマーコという身体 を通して、表象可能な父性と表象不可能な母性がその境界線上で交錯し、後者が父性の「表象の廃 虚」を演出する。それを示すように、鳥に由来するフォッグ家が、マーコの父親のではなく母親の 名字、つまり母の法を裏書きしていることは、決して偶然ではないはずである。

 父、太陽、父と息子の単一で直線的な歴史、それに対する母、月、渦巻きというカテゴリーを 使いながら、MPは、現行の象徴制度の軌道に一旦はのりつつもそこから脱出し、不可視な存在の 後者をして前者を破壊せしめている。つまり、"Moon Palace"というタイトルは、一見不在の父の 宮殿を再構築しているように見えて、実はそれを破壊し、再生としての未来である月の宮殿を構 築しようとする「はじまり」としての記号でもある。そして、オースターはアポロのトピック を上手く使いながら、再生という未来を太陽という父性にではなく、月という母性に付与する ことに成功していた、ということが本論の結論である。

 「運命を暗く、破壊的で魂と生命を破壊する傾向として経験する者とは、自我の感覚、『私』の 感覚が最も弱い者なのだ」(グリーン215)とLiz Greeneは指摘しているが、予測し難い運命によっ て揺さぶり続けられたマーコは思い起こせば孤児であり、「私とは誰か」という問いへの答えを 誰よりも切に欲する人間であり、そして恋人のキティー・ウーによって子供の誕生を拒絶され、 自らの家系の進化を停止された者である。彼が体験した自らの家系の消失という運命は、運命の 三女神ともいうべき物語の三人の女性によって密かに渦を巻きながら紡がれ、そして、この自我 の希薄なマーコこそが運命の糸の結び目、つまり彼の家系の終焉であり、海に映る月を見ながら 新たに自身を構築する物語が始まるのを待っているようである。   

 

本稿は、日本アメリカ文学会第40回全国大会(岩手県立大学、2001年10月13日)における発表原稿に加筆、修正したものである。

 

Notes

1
以下本論においてMPと簡略し、このテキストからの引用はページ数のみ示す。

2
たとえば、Campbellはルルカー同様、「12とは、形而下的世界の限界を定める獣帯の数であり、13は死を表わすのではなく、境界の創造的超越であり、死の向こう側で達成される生を表現している」と指摘し、さらには、「アメリカの最初の州の数である13は、死からの生の蘇り」(Campbell 127)と捉えているが、MPにおいて、「死の向こう側にある生」は、東部にではなく、アメリカの果てである西部の海岸に現われる月に反映されている。

3
RubinはMPに関するWeisenburgerの批評同様、オースターがこの作品を書く必要性は"a lack of fatherly love and attention"からきており、"[Auster's] earliest memory…is of his father's absence" (Rubin 62)と父親の位置づけを重要視している。

4
マーコが、かつてジュリアン・バーバーが莫大な財宝を手に入れ新たにトマス・エフィングとして生まれ変わる洞窟を訪れようとし、ナバホ族の交易場でOljetoという所に辿り着く。オルジェットとは「水の中の月」という意味で、彼は現地の人からかつての洞窟がすでに湖の中に沈んでしまったという事実を聞かされる(304)。この逸話は、かつての父性の痕跡が洗い流されたことを意味し、またマーコが西の果てで見る海上の月の場面と呼応している。

5
マーコ(Marco)の名前が、Marco Poloと結びついていることは、MPがアポロによる月の開拓を扱っていることを考えれば、決して無視できない問題であろう(6)。彼の名は、一見大陸を開拓する進化と結びつくが、彼が物語において進む道は、全くこの逆の道、進化の陰画をなぞっていくことになる。また、「マルコ・ポーロは中国を訪れた最初のヨーロッパ人」(6)として中国との結びつきを指摘する記述は、後にマーコが中国系のキティー・ウーと出会い恋人になることとも関連する。だが、彼は最終的にこの女性から、自らの家系を進化させる子供が誕生することを拒絶されることになる。

6
ノイマンは、「英語の動詞としてのto moon『ぼんやり時をすごす』『気のりがしない』は、『注意をやめること』がまた、月とその危険な要素によって、無意識へ引きずり込まれることでもありうる」と指摘している(ノイマン127)。また"to moon"は、「ぼんやりとさまよう」という意味も持っている。

7
この作用は、父親の埋葬が終った後にマーコが泊まっていたモーテルの壁を破り、彼の腕がその向こう側に突き抜ける場面(302)を想起させる。オースターは、「死はまさにひとつの壁であり、その壁の向こうへは誰も抜けられない」("The Death of Sir Walter Raleigh" 77)と述べているが、ここにおいてマーコはまさに父親の死を通してひとつの壁の向こう側へと突き抜けようとする。その先は、最後に彼を迎えた満月であり、それが彼にとっての新たな生、「はじまり」であり、「死にとってかわるひとつの場所……堕落以前のエデン」("The Death of Sir Walter Raleigh" 76)なのである。

 

Works Cited

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図1 The Course of Empire: The Savage State(1834).

図2 The Course of Empire: The Pastoral or Arcadian State (1834).

図3 The Course of Empire: The Consummation of Empire (1835-36).

図4 The Course of Empire: Destruction (1836).

図5 The Course of Empire: Desolation (1836).

 

 

初出誌
『英文学研究』80.2(2003):93-104.

 

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March 20, 2004