1.労働教育を実施するようになったきっかけ
複合的困難を抱えた生徒たち


私は、27年の教員生活の大半を定時制高校や職業高校で過ごしてきた。近年は、2009年より6年間C高校(定時制総合学科)に勤務し、2015年より現任のE高校(定時制普通科・専門学科)に勤務している。

定時制高校には、学力面に課題がある生徒だけでなく、不登校経験者、DVやネグレクトなど家庭環境に問題がある生徒、自傷行為経験者、さまざまな障害をもつ生徒、外国出身で日本語が不自由な生徒など、多様な生徒が在籍する。ひとり親家庭や生活保護家庭であったり、保護者が非正規雇用労働者であったりして経済的に厳しい家庭も多く、在学中から家計を支えるためにアルバイトをする生徒が少なくない。

私は、働かざるを得ない生徒の現実をキャリア教育と結びつけ、生徒が学校生活に慣れてきたところで、週2~3日、1日あたり3~4時間程度を目安に学業に無理のない範囲でアルバイトをすることを勧め、実社会で働くことを通して成長を促すよう指導してきた。昼間に仕事をして夕方から学校に通う生活はけっして楽なものではないが、家計の厳しい生徒が月々の学費、給食費、生活費をまかなったり、進学希望者が専修学校への進学資金を貯めたり、発達面で課題のある生徒が社会性や言葉遣い、マナー、基本的な生活習慣を身につけたりすることをとおして、4年間をかけてゆっくりと自己肯定感を育んでいくのである。

一方、生徒が実社会で働くと、さまざまな労働トラブルに遭う。2009年に前任校のC高校定時制で「産業社会と人間」の授業担当になって以降、私は生徒のアルバイト先での労働実態を調べたり、卒業生の遭った労働トラブルを聞き取ったりして、彼らの置かれた職場での現実を詳しく知るようになった。

アルバイト先では、学業に支障をきたすほど長時間労働や連続勤務をさせる、シフトや勤務時間を一方的に変更する、辞めさせてくれない、最低賃金違反、パワハラ、セクハラ、いじめ、暴力、自爆営業(アルバイト先の商品を買わせられること)、サービス残業、賃金未払い、休憩時間を与えない、選挙ビラを配らせるなどの事例が見られた。

卒業生が就職した企業では、パワハラ、いじめ、暴力、サービス残業、休憩時間を与えないなどのほか、労働条件が求人票と大きく異なる、有給休暇取得の申請を拒否する、「優良エコドライバー」として表彰しながら居眠り運転事故を起こすほどの長時間労働を強いる、入社後間もない新人にパートや外国人労働者の教育をさせて、うまくできないと皆の前で「だから定時制は使えねえんだよ!」と大声で恫喝するなどの事例が見られた。

知識注入型の授業の限界


キャリア教育の授業では、アルバイトの陰の面であるこうした労働トラブルの事例を教材化し、視聴覚教材やワークシートを活用して代表的な事例を紹介しながら最低賃金違反や残業代未払いの問題、パワハラ、セクハラ、トラブルに遭ったときの相談機関などについて労働教育を試みた。

しかし、知識注入型の授業では労働現場の実態や労働法の知識を理解させるにとどまり、労働トラブルを自分たちの生活にかかわる切実な問題として受け止めさせることはできなかった。そして2013年秋、私が携わっていた高等学校進路指導協議会で高須裕彦さんや労政事務所職員に講演を依頼したことがきっかけで、翌2014年春にC高校で出前授業をしていただくことになった。

2.出前授業をやってみて
授業改善:予想されるつまずきを減らす


定時制の生徒の中には、小学校で習う漢字が読めない、かけ算の九九が怪しいなどの学習面ばかりでなく、集中力が持続しない、授業規律が守れない、生徒同士の話し合いができないなど、行動面にも課題を抱える者もおり、授業内容が理解できなかったり、自分には関係ないと感じたりして興味を失うと、すぐにスマートフォンをいじったり、私語や居眠りを始めたりするなど、授業は困難を伴うことが少なくない。

 2014年春のC高校での出前授業は、生徒との対話を中心にすすめるスタイルで、高須さんが実際に発見した最低賃金違反の事例を取り上げたり、生徒や教員に寸劇をさせたり、視聴覚教材を挟んだりした。2015年7月のE高校の実践では、C高校での反省を踏まえて漢字にルビを振ったり、生徒同士の話し合いにサポートの教員を積極的に関わらせて発言しやすくしたりするなど、予想されるつまずきを減らして授業に集中させる工夫・改善を加えた。授業中の様子や事後の感想を見る限り、多くの生徒が強い関心を持って真剣に取り組んでいたようだが、36協定や労働組合など高校生になじみのない言葉が出てくると、さすがに難しかったようである。

安心感と行動力が生まれてくる授業


高須さんの授業のポイントは、事前にアルバイトに関するアンケート調査をして集計結果を示すことで、自分の問題として意識させるところから出発する点にある。E高校では事前アンケートで時給まで書かせるようにした結果、授業を通じてアルバイト先の最低賃金違反に気づいた生徒がいた。まさに自分の問題であったのだ。

さらに、労働相談の現場で働く労政事務所職員が生徒に直接語りかけることで、労働相談へのハードルを大幅に下げたことも大きなポイントだ。教員の異動サイクルが3~6年と短くなり、職場でトラブルに遭った卒業生が母校に相談に行っても、知っている教員がほとんどいないという状況が考えられる。学校を離れてしまった後で労働トラブルに遭った場合、ひとりで抱えて悩むのではなく、この人のところに行けば親身に相談に乗ってもらえるという情報と安心感を持たせることができたのは大きい。

授業では、労働法を生きていくために絶対知っておいた方がいい知識、身を守る行動につながる知識として認識させることができた。労働トラブルに遭っても何もせずに泣き寝入りしていた生徒たちに、行動すれば状況は変えられる、行動しなければ損をすると思わせることができた。E高校の授業の後で、ある生徒は最低賃金違反を会社に訴えて時給を上げさせ、別の生徒は日給制のためにわかりにくかった最低賃金違反に気づき、最終的にそのアルバイトをやめた。

出前授業を受けたC高校の卒業生の中には、雇用保険の未加入や契約社員扱いなど、求人票と異なる労働条件をおかしいから改めるよう経営者に声を上げ、母校に相談に来た者も複数いた。基礎的な学力が不足している生徒でも、生きるために必要な知識を身につけ、権利を行使する行動を起こすようになる。
 

3.今後の課題
外部の専門家との協働


C高校に続きE高校でも高須さんらに出前授業を依頼したのは、研究者や相談員という外部の専門家の立場だからこそ得られる教育効果はもちろんのこと、厳しい環境にいる生徒に寄り添い、彼らの生活や将来のことを本気で考え、試行錯誤しながら真摯に労働教育を研究しよう、あるいは労働トラブルに遭ったときの対応を知ってもらおうとする姿勢に共鳴したからである。

私を含めて、労働法の知識を身につけさせる必要性を痛感しながら、どのように労働教育を実践したらいいか模索している教員は多い。そうした教員が外部の専門家による出前授業の実践と研究成果からヒントを得て、生徒の行動に結びつく労働教育の授業ができるようになればと思う。 

大学生の労働トラブルについては、学生アルバイト全国調査によりようやく実態が把握されるようになった。しかし、若者を使い捨てる会社への馴化を防ぐためには、高校の段階からアルバイトの実態調査を実施し、労働教育をしていく必要がある。アルバイトを経験していない進学校の生徒も、大学進学後に労働トラブルに遭遇する可能性が高く、真面目な学生ほど悪質な企業に利用されがちである。

アルバイトの実態に合わせた生活指導も必要


ただ、生徒のアルバイト経験がほとんどない進学校での労働教育は、かえって定時制や職業高校よりも難しい面があるかもしれない。また、アルバイトを禁止している学校の生徒は、労働トラブルに遭っても隠れてアルバイトをしている後ろめたさから学校には相談できない。労政事務所職員の話では労働相談に来る高校生は非常に少ないということなので、多くの生徒は相談機関へも行かず泣き寝入りしていると思われる。そうした高校では、アルバイトの実態調査をすること自体がタブーであり、その結果を活用して労働教育を行うことなど不可能である。生徒を守るためには、高校側がアルバイトの実態に合わせて生活指導のきまりを柔軟に変えていくことも必要ではないだろうか。

適切な労働教育、生きた知識は若者の相談や行動に結びつき、彼らの生命を守る大きな助けになる。雇用システムが大きく変化し、若者を育てずに使い捨てる企業が問題になっている日本社会の中で、生徒や学生が過労死、うつ病、過労自殺に追い込まれないよう、高校、大学、短大、専修学校のそれぞれで教え子の命を守る労働教育を実践していくべきである。労働教育は、日本社会を変えうる。