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村岡到「ユートピアの陥穽とその超克 書評:西川伸一『オーウェル「動物農場」の政治学』」(ロゴス)*『プランB』第26号(2010年4月)58頁。 著者は気鋭の政治学者で統治機構の構造と内情を人事システムから解剖する独自の手法で数冊の著作を著わしているが、新著は、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を下敷きにして、政治のからくりや恐るべき罠を日本や世界の現実の事象を素材に解き明かしたユニークな内容となっている。 オーウェルは、イギリスの作家で『一九八四年』や『カタロニア讃歌』でよく知られ、今でも広く読まれている。とくに後者は一九三六年のスペイン市民戦争に自ら志願して人民戦線の兵士として参加した体験に基づいて、そこでのスターリン主義の背信と虚偽を暴き出したがゆえに、一九六六年に翻訳刊行された時、新左翼の活動家の推奨文献ともなった。 だが、どういう訳か『動物農場』のほうは文庫版でもあり読みやすいはずなのに新左翼の中ではそれほど読まれることはなかったと思う。私自身も『動物農場』は今度初めて手にした。そして、この扱いの違いの意味が理解できたような気がする。『動物農場』のほうが、政治や政党・党派の否定面をより鋭くえぐり出しているからである。『カタロニア讃歌』なら、スターリン主義の誤りだけを強調するのに使えるが、『動物農場』だと「反スターリン主義」を掲げる自分たちの党派の弱点に気づくきっかけになりやすいからである。 オーウェルは、『動物農場』を一九四五年に刊行した。スターリン批判が一九五六年だからその一〇年以上も前に、スターリン主義の虚偽を寓話にたとえて暴き出した。オーウェルは反共主義者ではないが、心ならずも反共産主義の宣伝にも使われた。日本では戦後GHQの検閲を通った翻訳第一号であったという。 本書の帯に「小さな特権がいつの間にか大きな権力へ」と書かれているが、そこに政治の魔力が存在する。支配者は、言語を統制・悪用し、情報を秘匿・コントロールする。単語を簡略短縮して作り替えることによって、原義を見失うように操作する手法が暴かれている。あるいは「敵」を作りだして、不満と批判を逸らす手法も洋の東西、古今を問わず実行されてきた。著者は実例を豊富にあげて、『動物農場』でオーウェルが警告した要点を現実分析のテコとして再現している。偶像崇拝、非決定権力、優生思想、位階叙勲などの意味と機能が明らかにされている。 本書から学んだことの一つは、福田康夫政権の時に、彼が情熱を傾けて公文書管理法が二〇〇九年に制定されたことを知ったことである。福田は、立派な大統領図書館が歴代大統領ごとに建設されるアメリカの先駆例に学んで、この法律制定に尽力した。折から、日米密約に絡んで多くの機密文書が行方不明となっていることが報道されているが、情報公開の前提は情報の管理・保存である。 ユートピアの追求は落とし穴にはまりやすい危険性を伴っていることを深く理解し、強く警戒・自戒しなくてはならないが、それでもなお、左右の谷底に注意しながらユートピアを追求する細い尾根を歩まなくてはいけないし、先の福田首相の努力のように、転落防止の手段も小さくゆっくりではあるが創り出されている、と考えるべきではないだろうか。だから、オーウェルも読まれている。 |