「西川君の著書に関しおすすめレビューを書いた」(2007年4月18-19日) 著者の西川伸一氏は明治大学政治経済学部教授、私の大学院同期生中の秀才である。ここで私が「秀才」という語をなんのケレンミもなく使用していることに注意して欲しい。氏は本当に語の全き意味での秀才である。そんな氏の書に関して私のようなものが書評めいたことを書くのは本当はおこがましいのだが、どうかご容赦いただきたい。 氏が明治大学政治経済学部で教鞭をとられてからもう十数年になる。月日のたつのは早いものだ。 氏と私が同期生であることは実は奇妙なことである。氏は私より3つ若いのだ。なんのことはない、それは、私が浪人や留年をくりかえしたのに比し、氏が全くストレートに進学されたことの差にすぎない。 当時、政治経済学研究科政治学専攻は5名ほどで、氏は「国家論」のゼミに属していた。私が「日本政治思想史」のゼミであることは申し上げるまでもない。 いろいろな怪奇な個性が横溢する雰囲気の中、氏はじつに端正な紳士であった。われわれ思想史学徒が激論を闘わせている中、通常の政治学徒はそれを「避けて通り」、「見て見ぬフリ」を決めこむのだが、氏はいつもニコニコと議論に参加してくるのである。「思想としてのアナキズムの可能性」について、私が熱き想いを一くさり述べると、氏は「僕もアナキズムには注目してるんですよ」と共感してくれた想い出がある。思いおこせば1983年の夏、政治学専攻の学徒数名で丹沢のキャンプに行ったときのことである。ほとんどが思想史学徒の中、氏が敢然と参加されたのは今でも記憶に新しい。日向薬師のキャンプ場に着くやいなや飲み始めた私たちは、飯ごう炊さんをするいとまもなく酔っぱらい、キャンプファイヤーをはじめてしまった。渓流で冷やしたスイカを某氏(橋川コミュでは有名な野球部出身の人だが…敢えて名は秘す)が素手でたたきわり、それに食らいつきつつ一升瓶をラッパ飲みしてると、遅れて博士課程のK先輩が現れたのである。K先輩の吉田松陰に対する思いは尋常一様のものではなかったのだが…その出で立ちたるや、何とスーツ姿なのである。しかも「浮世絵(広重の美人画!)」のネクタイ。いきなり「かまいち、酒だ!」とばかり瓶ビールをラッパ飲み。この世のものとも思えぬ姿に一同息を呑む中、西川氏は普段と変わらずニコニコと韓国からの留学生(かわいい女性だった)から、当時の全斗煥政権の人権抑圧状況についてしっかり「フィールド」調査しているのである。これは尋常一様の人間ではない!思想史学徒である私は、その西川氏の姿に本物の学究の姿を見たのだ。 前置きが長くなった。当時の想い出を語り出すときりがないのでもう止める。 さて、本書は、氏が本年度から一般教養課程の「政治学」を担当するにあたり、あらたにテキストとして書き下ろしたものである。必ずしも将来において「政治学」を専攻しようとする学徒向けに書かれたものでないことをあらかじめおことわりしておく。 現在の学生は幸せである。なぜならこのようなテキストで「政治学」を身近に思えるようになれるから。と、「山上の垂訓」のような文章になったが、思えば私たちの時代の一般教養「政治学」はつまらなかった。有斐閣か何かの「政治学入門」か何かをテキストに、500人は入ろうかという大教室で教師はノートを棒読み。自分の知りたいことは何一つ得られなかった記憶がある。結局自分の知りたいことは自分で調べ読みかつ考えて血肉化していった記憶がある。 本書は著者も「はじめに」で述べるように、「入門書であれば、どれも体系性にこだわっているはずである。政治学の諸分野をまんべんなく取りあげることに、配慮がなされていよう」と述べ、類書の画一性に対する異和を表明した後、こう来る。「それを逆手にとって、この本では政治学の体系性をあまり意識しないことにした。代わりに、私の問題関心に従って、身近で具体的な材料から等身大に政治現象や政治学のものの見方を解説したいと思う」。「政治学入門」がつまらなかったのは、じつにこの「体系性」(その体系そのものに共通の了解があるのかという問題はいつもこの分野にはつきまとうが…)にこだわった故なのだ。これでは初学者はついてこれないというか、興味を示しようがない。故に氏は以下のように章立てする。 ●プロローグ 「政治」とはなにか?子育ての現場から ●第1話 日本のクワガタが絶滅する日?規制緩和を問い直す ●第2話 なぜ金メダルにジーンとくるのか?オリンピックに「国民」を感じるわけ ●第3話 当ってなんぼ?「ただの人」にはなりたくない! ●第4話 「天下り」という人事慣行?定年まで勤められないキャリア官僚たち ●第5話 アメリカ映画から「赤狩り」時代を考える?「自由の国」の思想弾圧 ●第6話 「社会主義国家」とはなんだったのか?「半国家」が強大化するメカニズム 1.3.4話は西川氏得意のフィールド調査の結果である。この分野は私は弱いので、というか「現実政治に興味がない」という頽廃を有しているため、あまり論評はできないが、高校を卒業後、初めて社会科学に触れる若者たちには最もアクセスしやすい「話題」なのではないか。この分野での、西川氏の他の一連の著作を連想させる叙述である。 すなわち、 『官僚技官?霞ヶ関の隠れたパワー』 『会計検査院の潜在力?この国の政治を変える』 『立法の中枢?知られざる官庁 新・内閣法制局』 『最高裁事務局の「裁判しない裁判官たち」?日本司法の逆説』 の諸著である(いずれも五月書房刊)。 この中で『官僚技官』は私も発売と同時に読み、とても参考とさせていただいた。ある種「技術者」のもつ頽廃が浮き彫りにされていて、巷間言われる官僚の「利権」問題を考えるとき、圧倒的な「実証」となっている、といわざるを得ないのである。 「第3話 当ってなんぼ」では、国会議員センセイたちの涙ぐましいまでの選挙区有権者接待の有様が語られている。バスをチャーターして国会見学。議員食堂で地方のオジサン、オバサンに、議員やその秘書がお酌をして回る光景が描かれている。そして氏は、映画『国会へ行こう!』から主人公「松平重義」のホンネを引用する。 「これが日本人なんだ。甘えとたかりの大好きな右向け右の農耕民族。例外は、ない。政治家のレベルが低いといっている国民自体、サカナなみのおつむしかもちあわせてないんだ。この連中の意識改革なんか待っていたら100年たってたったって国は変わらねえ。だからとにかくいまこいつらをとりこんでトップとるしかねえ。トップにならなきゃ国は動かせねえ!」 どうにもこうにもコメントしようがないが、映画のせりふとはいえこの国の代議士のオツムの構造が透けて見えるようで、ある種の「ニヒリズム」まで感じてしまう。 そして、氏はあの糸山栄太郎(!)のホンネを引用するのである。 「なぜ、政治家が飯を食わせなくてはならないのか。結婚式だ、葬式だと引っ張り出され、連中はたかりだ」 これには爆笑してしまった。だって空前の選挙違反事件を引き起こした張本人ですよ、糸山は。 この章で興味を引かれたのは「我田引鉄?利益誘導の原風景」という項である。これは第14回総選挙(1920〔大正9〕年5月10日)に岩手県第7区から立候補した佐藤良平(政友会)の話である。時あたかも盛岡出身の原内閣(!)による選挙法改正が行われ、岩手県は7つの小選挙区に分割されたのである。その利益誘導に利用されたのが現在の大船渡線というわけだ。その異様さは本書で読んでいただいた方が良いので詳細は記さないが、「ゲリマンダー」もかくや、と思わせる行状ぶりである。 その他、秩父の荒船清十郎「急行深谷停車事件」、中曽根、福田、角栄、大平の選挙エピソード、初めてこれを知る学生は唖然とするのではないか。もしかしたらはやばやと現実政治に見切りをつける真面目な学生も出るかもしれない。でもそれはそれでいいのだ。知らないよりは。 「プロローグ 「政治」とはなにか?子育ての現場から」。西川氏には可愛い二人のちいさなお嬢さんがいる。そのお嬢さんたちのおもちゃやお菓子をめぐる「闘争」の仲裁過程に「政治」見るという視点が披露されている。私などは政治の本質は「奴は敵である。敵を殺せ!」(埴谷雄高)という言葉に尽くされていると思う口だが、西川氏はもう少しマイルドに政治の本質を語る。「政治は妥協と説得」という立場か…。そうして氏は、デヴィット・イーストンの、政治を「希少価値の権威的配分(authoritative allocation of scarce values)」とする見解を披露する。そうして「権力と権威」という大問題に話をつなげるのだ。こうした問題をわかりやすく伝えるとういことが、どれだけ途方もなく困難かはこれを読まれる方ならおわかりいただけると思う。そしてチャールズ・メリアムの言説を紹介するのだ。「ミランダ」(「不思議な、驚くべき」=感情象徴)、と「クレデンダ」(「信ずべき、信用に価する」=知的象徴、という概念である。 「権力は物理的強制力という裸体を、ミランダとクレデンダという衣装で着飾っている。」 そして最後はウェーバーの有名な「支配の正当性3分類」を紹介して本章は終わるのである。 too muchな大問題群を政治学の最初の講義でやるものだから大概の学生は挫折してしまうのだ。本章のように子育ての現場からの体験をふまえ、徐々に理論的なことに接続していくあたり、氏も講義では相当苦労されたことがしのばれる。 「国家は共同なる幻想である。」などど述べても、いまの若者は述者を「狂人」と思うだろう。国民国家創成の「作為」を若者に説明するにはどうすれば良いのだろう。 「第2話 なぜ金メダルにジーンとくるのか?オリンピックに「国民」を感じるわけ」は秀逸である。ナショナリズムや国民国家というこれまた大問題を解説しているのだが、トリノ五輪の荒川静香の金メダル受賞の光景をマクラに本章は始まるのである。なんでも荒川選手の「表彰式」がトリノ五輪の瞬間最大視聴率を記録したのだというのだ。なぜ、荒川選手の「演技」ではなく「表彰式」なのか、そこに「ナショナリズム」の罠を氏は見るのだ。 話はかの悪名高いベルリン五輪に飛ぶ。「日本人男子」がマラソンで金メダルを取ったのだ。そんなこと誰も知らないだろう。 彼の名は孫基禎(ソン・ギジョン)。そう、当時植民地だった「朝鮮人」選手だったのだ。詳細は本書に譲る。その方がずっと知的興奮が得られると思うので。 「私たちは『国民』にさせられるのではないか」と、西川氏は若者に問うのである。我々には自明のことかも知れないが、人為的に「国民」が創出されるという言説は、初めてこれを聴いた人間にはある種の知的衝撃であろう。ほんとうはこのような知的衝撃が「教科書」に必要なのだ。そして、日の丸・君が代に話がうつり、東京都教育委員会の各都立高校式典に対するほとんど異常とも思える「監視」状況を西川氏はレポートする。その「異常さ」だけでも一読の価値はある。さらに論述は「『国家語』による『地方語』の駆逐」へ進み、20世紀初頭の沖縄における「方言札」への言及となる。「方言札」とはなにか。教育現場で沖縄語(しまくとぅば=島コトバ)を駆逐するために沖縄語を使用した生徒の首にかけさせた札である。本書にはそれが筆者撮影の写真入りで解説されている。こういうエピソードが知的刺激を与えるのだ。 西川氏は述べる。 「アルチュセールの議論を下敷きにして、あたかも自然で絶対的と思われている国民国家がいかにフィクションであるかを暴いた議論がある。「国民国家」論とよばれる。それは「国家のイデオロギー装置」を通じて、私たちの思考、感覚、さらには身体までもが「国民化」されると説く。すなわち、国民国家が人為的なしかけであることを明らかにする。」 その第一人者がもうひとりの西川氏(長夫氏?立命館大学大学院教授)である。 「国民化は、学校や軍隊や工場や宗教や文学や、その他あらゆる制度や国家装置を通じて、究極的には国家の原理を体現した国民という改造人間を作りあげる。そのような国民化が国民国家の時代を通して進行し、現在に至っていることに、すでに国民化されたわれわれは気がつかない。」(『国民国家の射程』1998) このあたりが本章のキモであろう。そうしていよいよ橋川文三の登場である。在りし日の橋川文三の授業はもちろん西川氏も受講している。 「それでは、わが国の場合、「国民」意識はどのように形成されたのであろうか。日本政治思想史の大家・橋川文三に従ってみてみよう。橋川が強調するのも「国民」の人為性である。 人びとは生まれ育った郷土に対しては「本能に似た愛情」を抱く。しかし、「原始的な郷土愛は、そのまま国家への愛情や一体感と結びつくものではない……「故郷」はそのまま「祖国」へと一体化されるのではない」。というのも、ドイツの社会学者ミヘルス(Robert Michels)によれば、「後者は自分が生まれたものでもなく、見たこともなく、したがってまたなんら幼少期の思い出によって結ばれてもいない町や村のすべてを包含するからである」(橋川文三『ナショナリズム』) そうして郷土感情から国民感情への質的転位は、経済学上の「離陸」(ロストウ)に匹敵する事態だという橋川の指摘を引用する。 そうして氏は、現在において「『国民』とは人為的な改造人間であるという醒めた自覚をもつことは、政治に対する冷静な判断力の基礎になるに違いない」という言葉で本章を締めくくっているのである。 第5話「アメリカ映画から「赤狩り」時代を考える?「自由の国」の思想弾圧」、も興味深い章である。 アメリカ下院「非米活動委員会(HUAC)」、ここがかの「マッカーシズム」の拠点だ。氏は1950年代に吹き荒れた「赤狩り」の経過を詳細にたどることによって、「自由と民主主義の祖国」米国が陥ったファッショ的集団ヒステリー状況を跡づける。これは私が要約し紹介するにはもったいなさすぎる。というのも、私は映画には詳しくなく、「赤狩り」とハリウッドとの確執、またはチャップリンの苦渋など改めて教えられることばかりだったからである。興味のある方は是非本書を読まれることをおすすめする。じつに良くまとめられていると思う。まさに、マッカーシーは戦後にあらわれた「簑田胸喜」である。 第6話「社会主義国家」とはなんだったのか?「半国家」が強大化するメカニズム、は個人的にはこの章が本書のハイライトだと思う。 わたしはかつて、レーニンの「国家の死滅」を信じたからこそ、一定の留保付きでボルシェビキを支持した。スターリンのナチスにも匹敵する悪逆非道を知るに至っても、その反対者たるトロツキーを肯定することで、私のロシアマルクス主義に対する支持は持続した。プロレタリア国家は「半国家」であるという言説も眉にツバをつけながらも受容した。私の記憶が誤りでなければ、氏はロシア語を独習し、「ソヴェト政治論」を研究していた時期があったはずである。これはあやふやな記憶に基づくもので、指摘があれば訂正するが、そうしたことを前提として考えると、本章は氏の若き日の研究成果の一部であると思わざるを得ないのである。本章の内容はあまりにも自明でありすぎるので、私には要約し説明することができない。おおかたの読者もそうであろう。ただ、氏が引用した次のレーニンの言葉には肺腑をえぐられるような思いがしたということをご報告させていただきたい。2007年になって私がようやく総体としてのロシアマルクス主義を否定する契機となったといえば大げさであろうか。あるいはとどめを刺されたともいうべきか。出典は1999年に出版された、『レーニン 知られざる文書』ではじめて公になったものであるそうだ。第5版『レーニン全集』にももちろん未収録のものだ。文書は1918年8月、農民蜂起に手を焼いたベンザ県のソヴェト議長に宛てたレーニンの書簡である。 「同志諸君!クラークの五郷の蜂起を容赦なく鎮圧しなければならない。革命全体の利害がこのことを要求している。というのは、今や至る所でクラークとの「最後の決定的戦闘」が行われているので、手本を示さねばならない。(一)100人以上の名うてのクラーク、富農、吸血鬼を縛り首にせよ(必ず民衆に見えるように縛り首にせよ)、(二)彼らの名前を公表せよ、(三)彼らからすべての穀物を没収せよ、(四)昨日の電報に従って人質を指名せよ。周囲数百ヴェルスタ[数百キロメートル]の民衆がそれを見て、身震いし、悟り、悲鳴を挙げるようようにせよ。」 …当時、大杉栄がこれを読んだとしたら、大杉は何といっただろうか…。そのようなあり得ない妄想にとらわれてならないのである。 本書は一見「軽い」題名をもっているため、通俗本と混同されるおそれもあるが、全くそうではないことを、申し添えておきたい。こういう入門書で、そしてこれを書いた本人から直接「政治学」のエッセンスを学べる本年度の明大政経の学生諸君は幸せである。 西川氏はゼミで、授業であのニコニコとした表情で学生と語り合うのだろう。ある種羨望の念にかられてしまうのである。 最後に、やや辛口の感想と疑問を述べたい。氏は「あとがき」で自分の座右の書は渡部昇一『知的生活の方法』であるとのべている。何かの冗談だろう?かの日本有数の「優生学」の泰斗がはたして氏の本当に尊敬する人物なのか?強烈なイロニーに思える。評価で星一つ減じたのはそのためである。 私は西川氏に伝えたい。「あなたのほうが渡部などよりずっと真摯で優秀な研究者ですよ」と。 |