高橋一行「決算制度はなぜ機能しないのか」〜書評・西川伸一『この国の政治を 変える 内閣法制局の潜在力』(五月書房、2003年)」 * 『QUEST』第27号(2003年9月) 本書『この国の政治を変 える 会計検査院の潜在力』は、『立法の中枢 知られざる官庁 新・内閣法制 局』、『霞ヶ関の隠れたパワー 官僚技官』(いずれも五月書房)に続く西川伸一 氏の第三弾である。内閣法制局は、人に知られることの少ない官庁であるが、法 令をチェックする、という立法部の中心的な役割を果たしている所である。また 技官とは、これも世に存外知られていないのだが、技術系の官僚のことで、とり わけ全国の公共事業を取り扱う国土交通技官や農業を取り仕切る農林水産技官は 、政策立案に始まって、業者の選定、仕事の発注等、実質的な仕事の全てを担当 している。 あまり知られていな いが、事実上、立法や行政の中心的な役割を果たしている、ということは、そこ が容易に、あらゆる種類の腐敗の温床になる、ということを示している。権力が そこに集中し、しかしメディアや世間から注目されることがないために、自己改 革がしにくいからである。しかし同時にまた、そのことは逆に言えば、そこから 改革のメスを入れることによって、政治の仕組みや官僚機構全体を刷新するため の、戦略的な拠点を確保出来るということも示しているのである。 本書は、まさにその著者の戦略の、ストレートな延長線上にある。会計検査院 は、政府の編成、執行した予算を検査するところである。政府のすべての収入と 支出についての決算を検査し、各省庁の会計経理について監督する。そしてその 結果を、後の予算編成に生かそうとするものである。日本の政治が、政治家によ る地元への利益誘導、公共事業のばら撒き、そしてそのための予算のぶんどり合 戦に終始していることはしばしば指摘されるが、会計検査院がそれらの実態を正 確に検査し、後の予算編成に反映させれば、これらの多くを防ぐことが出来るは ずである。しかし現実にはそのためのフィードバック機構が必ずしも十分に機能 していない。しかも、その機能不全が、マスコミや世間の話題になることも少な く、国会で審議されることもまれである。 機能不全の現れの第一は、その決算審査があまりに遅れることである。来年度 の予算編成に、今年度の予算執行の決算審査を得ることは理論的にも不可能であ るが、昨年の審査結果は反映させたいと思う。しかし現実には、昨年の決算審査 は、来年度の予算がすでに編成された後になって、国会に提出される。従って、 現実的には3年前の決算審査が予算編成に生かされるのであるが、驚くべきこと に、著者の調べたところでは、5年もたってからやっと決算審査が報告されたこ ともあるそうだし、2年分の審査の決算議決が同時になされたことも度々ある、 というのである。これでは確かに、この役所の仕事は「死体解剖のようなもの」 に過ぎない。 第二に会計検査院 は、政府の決めた予算配分の内容については口出しせず、単に形式的な支出の正 確性と合規性のみを問うものに過ぎないということである。つまりただ単に不正 経理があるかないかを調べるに過ぎず、具体的な政策の当不当を会計検査院は評 価することが出来ないし、従って複雑な行政活動の実質的な審査を行うことは出 来ないのである。 このような会 計検査院の限界は、人事にその根本を求めることが出来よう。官庁の人事の分析 は、著者の最も得意とするところであるが、本書でも遺憾なくその手腕が発揮さ れている。まず、検査官という、各省庁ならば、大臣に相当する部署は3名から 成り立つが、その中でとりわけ人事を牛耳っている検査官は内部出身者である、 ということが指摘される。これでは国会の同意人事であり、議会に対して責任を 負わねばならない検査官をわざわざ置く意味がない。また他の一人は従来、大蔵 省OBであったそうだ。これでは予算編成の検査が適正に出来るかどうか、疑わ しい。さらには、自治省、建設省、防衛庁などからもたくさんの出向人事がある 。それが会計検査院の内閣からの独立性を脅かす。そして極めつけは、会計監査 院幹部の特殊法人への天下りである。これらが本書では細かく分析されている。 会計検査院の仕事の権限を増やし、それに権威を与えること、他省庁からの出 向を禁止すること、天下りの誘引を減らすこと。こういった当然の処置を取るた めにも、まず、この知られざる官庁の仕事の実態が世間に知られることが必要で ある。本書の意義はまさにそこにあり、そしてそれは実に大きなものであろうと 思う。 さて私の気になるのは、 「三部作」を終えた今、著者はどの分野に新しい仕事を求めるかということだ。 確かに世間に知られていない官庁の存在はそれほど多くはないかもしれない。し かしよく知られている官庁の中に、あまり知られていない部門があったり、その 具体的な役割が認知されていなかったり、というケースはまだまだたくさんある に違いない。著者に休みを与えず、すぐに次作への期待を述べるのはいささか酷 かもしれないのだが。 |