西川伸一新著『会計検査院の潜在力』を読む 
現代研究所 常岡雅雄

(一)

 私は今まで書評というも のを唯の一つも書いたことがない。書評するには、その領域の俯瞰図や予備知識 や理論をもっていなければならないはずだ。どの領域をとっても、不満足を痛感 している自分としては、他者(ひと)の労作を書評することなど到底できるはず がない。この思いは今この瞬間でも変わらない。にもかかわらず、社会主義理論 学会事務局長である山口勇さんから次のような便りが届いたら、つい、引き受け てしまっていた。自己有史いらいの事態である。

 「(前略)社会主義理論学会の会員・西川伸一氏から新著が寄贈され、その書 評を社会主義理論学会会報に掲載したいと思います。どなたにお願いするかと探 していましたが、貴兄にお願いしたいと考え、西川氏から貴兄に寄贈してもらう ことにしました。近日中に着くと思います。貴兄のものを読ませていただいての 感想として、資本主義内部における制度のあり方を批判的に分析する観点がほし いというのがあり、西川伸一氏の諸著書は、貴兄の観点を深めるうえからも有益 なものになるに違いないと考えたからです。(後略)」

 特に、この「資本主義制内部における制度のあり方を批判的に分析する観点が ほしい」というご指摘が、「ああ、これは断ってはならない」と私に書評を決断 させた。

(二)

 残念ながら面識はないが、西川伸一氏は若干四十二歳の明治大学助教授である 。最新作『官僚技官 霞ヶ関の隠れたパワー』(五月書房、二〇〇二年)、『立法 の中枢知られざる官庁・新内閣法制局』(前同)などで政治学者として存在感を しめしはじめている。特に山口さんからの便りによれば「『知られざる官庁・内 閣法制局』などは、『週刊金曜日』でも詳しく取り上げられるなど各方面から注 目」を集めた労作なのである。今回の『この国の政治を変えるー会計検査院の潜 在力』は、その西川氏の「政治変革論」三部作の第三弾ということになるのでは ないだろうか。

 西川氏の主張は きわめて明快である。

 冒頭「は じめに」で明言するように「日本政治の質的転換」である。この政治変革の主張 を、西川氏は単なる「政策」論としてだけ論述するのではない。具体的には、今 日まで殆どの者がその政治的意義を確認できなかった会計検査院という政治制度 内の要衝に焦点をさだめる。そして、明治以降の歴史と海外状況にまで視野を広 げながら、この政治要衝=会計検査院にたいする学的追究をおこなうことをもっ て、その時代的主張「日本政治の質的転換」を裏付けようとするのである。

 そして、そこからでてくる結論的核心は、国会政治制度の核心に「決算結果を 予算編成にフィードバックさせる」回路を「確立せよ」ということである。

(三)

 

 三〇〇頁の本書は七つ の章をもって構成される。第一章「なぜ決算は重要なのか」、第二章「なぜ決算 は軽視されてきたのか」、第三章「決算改革に向けて」、第四章「会計検査院と はいかなる役所か」、第五章「決算報告書とはなにか」、第六章「事例研究 ― 防衛庁調達背任事件」、第七章「いかにして『独立性』を確保するか」である。

 この七章編成をもって、西川氏は、(一)「予算に対する決算の意義」を鮮明 におしだす。一般には当たり前のことであるが、それを政治改革の要点として原 理的・憲法的・現実的に根拠付けして世に推しだそうとするところに西川氏の「 コロンブスの卵」がある。(二)この「予算」を規制する「決算」機能を政治制 度のなかで担うべき機関が会計検査院なのである。(三)この原理的かつ制度的 に政治制度の核心に位置しながらも、そして、国会論議の質問と政府答弁ではそ の意義をくりかえし強調確認されながらも、実際には、顧みられないままの政治 要衝であり、「政治改革」政治の盲点である会計検査院について、(四)その明 治憲法上の位置、それを引き継いで現行憲法に規定された政治制度上の決定的意 義、歴代首相がその意味を確認する政府答弁の意義などを、西川氏は詳細に実証 してゆくことによって、まずは、「決算の予算へのフィードバック回路の確立」 のためにもつこの会計検査院の決定的意味を論証する。

(五)それにもかかわらず、現実には、なぜ、この会計検査院は軽視され顧み られないままできているのか。政府や議会にたいして原理的には「独立して並び 立つ」べき、政治制度上の「会計検査院の独立性」が、なぜ確立されないままで きているのか。その現実の政治構造上の問題を西川氏は具体的に解明してみせる 。官僚制度の本質的な欠陥、政界と官僚界と財界の癒着一体化の構造などを「会 計検査院の独立性」の視点から解明するのである。官僚機構の一環に埋めこまれ 政官財癒着のなかに腐敗転落してしまった会計検査院が「独立性を喪失しまう」 のは必然であることを鮮やかに浮き上がらせるのである。

 もちろん、西川氏の論述は、大方の講壇学者たちのような理論開陳と現実の分 析と解明だけでおわるものではない。彼は、だから「如何にあるべきか」「何を なすべきか」へと向かうのである。すなわち(六)会計検査院の機構と国家論上 の意義を解明して、(七)この会計検査院がその「予算への決算のフィードバッ ク」という本来の政治機能の発揮のために「如何にすれば独立性を確立できるか 」― そのための基本政策を西川氏は提起するのである。(なお、ここでのカッコ 内番号は私の論述都合上の整理番号であって、西川氏の第一から第七までの本書 章分けと完全に一致するものではありません。)

(四)

 

 西川氏の論述は、私に 未知の新しい領域を照らし出してくれた。大変勉強になった。同時に、一つの疑 問が頭の隅に残って消えなかった。会計検査院が「独立性を確保しえた」にして も、国民の中から選挙を通して選出された者(すなわち政治家)ではない、少数 の任命された権限者(検査官)が、国民の中から選出されてきた政治家とならぶ 位置で、その政治(予算)を左右し規定するほどの権限を保有して行使すること は合理的なことであろうか。仮に、それらの任命された権限者(検査官)が申し 分ない立派な人物(賢人)であったとしても、その少数の賢人たち(三人)に政 治家たちの議会にならぶ権限を与えることが合理的なことであろうかという疑問 である。この疑問の解消には、こんごの西川氏の解明と提起に待たなければなら ない。

 とは言え、西川氏の今回 の解明と提起は、二十一世紀日本のいよいよ焦眉の課題となってきた「政治改革 」問題にたいして「政治制度の構造的内側から肉薄してゆこう」とする学的試み として画期的である。まだ、その衝撃が記憶に鮮明だが、「与党の連中がひっく り返るような」大疑惑事件の調査途上で昨年一〇月二五日に右翼テロによって刺 殺された石井紘基衆議院議員(民主)は「決算制度や会計検査院制度のあり方に 強い疑問」を抱いて一九九六年四月に「よい国をつくる市民の会=国民会計検査 院運動の会」を「憲法の保障している『会計検査院』の権威と権能強化を求める 」ことを行動目標の一つに掲げて呼びかけ設立して活動してきていた。西川氏は この「石井議員の遺志」を「万分の一でも継げれば」という思いを本書に託して いる。このように命のかかった政治実践と響きあう西川氏の学的追究とは、現実 の政治の制度と構造の内側に迫って「政治変革」という時代の要請に応えようと する見事な学的実践である。(二〇〇三年十一月十二日)

 

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