JW編集部+北方ジャーナル編集部 総力取材

彼らを蝕む責務、孤独、不安

壊れる前に、

裁判官を何とかしてくれ

公判中の居眠り。過労による鬱、自殺。性犯罪での弾劾。

近ごろ、裁判官が疲れているらしい。

考えてみれば、法の神テミスの府は生身の人間の職場でもある。

人を裁く人の息切れに、我々はあまりにも無関心だった―。

 

取材・文/ ジャーナリスト小笠原 淳

Text by Jun Ogasawara

協力/北方ジャーナル編集部

 

PROFILE 小笠原淳(おがさわら・じゅん)

1968年北海道生まれ。「札幌タイムス」の記者を経て、05年よりフリージャーナリスト。「北方ジャーナル」を中心に執筆。同誌連載中の『貧しき亜寒帯 極北の貧困』など徹底した社会問題の取材記事に定評がある。

 

 

その職場、ストレスの温床

 

 2009年春、北大法科大学院を卒業する札幌市の中西将人さ27)は、法曹を志した5年前から、もっぱら弁護士を目指している。裁判官の職に魅力を感じたことは、一度もない。

「法と良心のみに拘束されるべきはずの仕事が、実際にはそうなってない。『裁判官の独立』って言うけど、独立志向のある人は裁判官を目指さないですよ」

 裁判官を「組織の人」と表現する中西さんは、その職場の窮屈なことを想像してかぶりを振る。

「ヨーロッパには労組をつくってる判事もいるし、支持政党を公にすることさえ普通でしょ。日本の裁判官だけが、言いたいことも言えず、判例のコピーみたいな作業ばかり強いられる。そんなストレスたまる仕事、やりたいと思う人の方が珍しい。ぼくの周囲には ……1人かな」

 自由に声を出せないだけではない。裁判官は、とにかく多忙といわれる。膨大な量の資料に埋もれ、次々回ってくる事件に追われ、非の打ちどころのない判決文を求められ─。その待遇こそ法で厚く保障され、社会的なステータスも行政職の公務員をしのいで余りあるが、それでも若者の目には魅力ある職業に映らない。

「ストレスたまる仕事」の現場で、何が起きているのか。

 

       ◆

 

 08年12月、女性職員にストーカー行為をはたらいたとされる宇都宮地裁元判事に、裁判官弾劾裁判所が罷免の判決を言い渡した。同所発足以来、弾劾訴追された裁判官は同元判事で8人を数える。うち、性犯罪あるいは準ずる行為を問われて罷免されたのは2人。2件ともに、今世紀に入ってからのケースだ。

 ここ10年余り、裁判官が自殺する事件も少なくない。事例がどのぐらいに上るか、最高裁事務総局は「そうした統計をとっていないため、総数は把握していない」(同広報課)としているが、新聞などの報道では07年10月(山口地裁下関支部判事)、06年12月(大阪高裁判事)、03年3月(同高裁判事)、01年3月(東京地裁判事)などのケースが明るみに出ている。多くは過労による自殺が疑われ、03年の事例では遺族が最高裁に労災認定を求めたが、認められなかった。事情を知る元同僚の一人は、のちにこう綴っている。

《仕事の重圧は彼の受容限度を大きく超え、「心」を痛めつけたのであろう。仕事を離れた彼は、家庭ではよき夫であり父であった。彼を精神的に追い詰める他の要素は何もなかった》(日本裁判官ネットワークHP)

 先に挙げた「性犯罪」の当事者たる元判事も、過労を訴えるかのような発言を残している。01年5月に少女買春で逮捕され、警察の取り調べに対して「刑事裁判にストレスを感じて息苦しく、法廷でも椅子から転げ落ちそうだった」と供述した元判事は、当時の同僚らから「まじめで仕事熱心」「事実認定が緻密」などと評されていた(『ドキュメント裁判官』読売新聞社会部)。

 明治大学政治経済学部教授の西川伸一さん(47)は、「昨年(08年)ストーカーで弾劾された判事も、仕事上の悩みを抱えていたのではないか」と推測する。

「各地の地家裁支部を転々とさせられ、鬱としてストレスを溜めたとも考えられます。報道を見る限りでは落ち着いた人のような印象を受けるし、人事面で冷遇され続けたことと犯罪に走ったことに因果関係がまったくないとは思えない」

 

「ヒラメ」量産システム

 

 自身の訴訟体験を機に裁判制度の研究に取り組むことになった西川教授は、05年の著書『日本司法の逆説』(五月書房)で、司法制度の問題点を浮き彫りにしている。

「裁判官は建前上独立していることになっていますが、司法行政の中では、はっきり上司・部下の関係に組み込まれている。多くの勤め人同様、タテ社会の住人です」

 同教授が批判する「司法行政」とは、裁判所の人事や予算などにかかわる営みのこと。司法の独立を保障するため、その行使権は裁判所が持つことになるが、権限の集中に伴っては功もあれば罪もあるのが常だ。

「私に言わせると、優秀な裁判官ほど出世しない。最高裁の司法行政は個々の裁判所の裁判権に影響を与えないことになっていますが、現実には多くの裁判官が『上』の評価を気にしている。そういう上目遣いの裁判官は、俗に『ヒラメ裁判官』と呼ばれています。休憩時間にも序列の順に並んで職員食堂に入り、『上』が食べ始めるまで下は箸をつけない、なんて笑えない話もありますよ」

 なぜ評価が気になるのか。司法行政が人事の鍵を握っているためだと、西川教授は言う。

「裁判官はよほどのことがない限り罷免されませんが、一方でほぼ3年ごとに転勤を繰り返す人事慣行がある。次はもっといい任地に異動したい。それが無言の督励効果となって、みんな必死に限界以上の仕事をこなすことになるんです」

 事実「限界以上」ならば、例えば人員を増やしてはどうか。最高裁事務総局によると、現在の裁判官の定員は判事・判事補合わせて3491人、実人数は定員を6%ほど下回る3272人だ。参考までに、判事が常駐していない地家裁支部は全国に49カ所ある(同広報課)。

「定員割れの放置も問題ですが、それ以上に深刻なのが『裁判しない裁判官』の存在です」

 裁判官の中には、裁判実務に携わらない人も多くいる。各地の高裁長官や地家裁所長、最高裁事務総局の役職者などだ。2000年までの資料で西川教授が計算したところでは、232人がそれに該当した。

「さらに、裁判官が行政の役所に出向することもある。出向者は、裁判官の定数に含まれません」

 現在、行政機関に出向している裁判官は146人。最大の出向先は法務省で、その数は全体の7割強を占める106人だ。うち22人は訟務(国がかかわる訴訟に国側の立場で参加すること)関係の部署に出向している(同前)。

「もともとは、みんな現場をやりたかったはずなんです。気概や責任感もあったでしょう。それが、司法行政のシステムに組み込まれることで、いつしか出世ばかりを気にする『官僚裁判官』になっていく」

 そして、「中からそうした状況を改める機運が出てくるとは考えられません」と、西川教授は断言する。

「内部に自浄作用はないでしょう。また、ほかの役所と違って、裁判所だけはいつまでたっても国民の監視の目にさらされない。行政府じゃないから情報公開制度も適用されない。最後の伏魔殿です」

 指摘が的を射ているとしたら、現場の憂鬱はこれからも続くことになる。実務経験のない学生の目にもその憂鬱が見え隠れしていることは、冒頭に記した通りだ。

 

「読み書き」に明け暮れる

 

「官僚裁判官」ならぬ最前線の現役たちの中には、あえて「監視の目」にさらされようと努めている人たちもいる。09年秋に設立10年を迎えることになる、日本裁判官ネットワークの面々だ。神戸家裁判事の伊東武是さん(64)は、発足直後から同ネットに参加し、外に向けて積極的な発言を繰り返してきた。

「裁判官の過労に原因があるとしたら、仕事そのものに集約されるでしょうね。裁判所の組織に問題がないわけではありませんが、それは少しずつ改善されてきていますし」

 司法行政については「裏方として努力してくれている」と一定の評価を与えつつ、同時に「可能なら人員増を望みたい」とも訴える。言うまでもなく、多忙だからだ。先の西川教授の著書によれば、大都市の地裁・高裁民事部やその周辺の地裁支部に勤める裁判官が特に忙しく、常に抱えている事件の数はおおむね200件から300件。家裁で少年事件にかかわる伊東判事も「次々に事件を処理していく日常は、時間的にも肉体的にもハード」と話す。

「忙しいというなら、民間企業の人たちも行政の公務員も忙しいでしょう。ただ、裁判官の忙しさというのは特殊なもので、非常に集中力を要する作業が年中繰り返される。若手裁判官が午後9時、10時まで裁判所で仕事に追われるのはよくあることで、山と積まれた資料に11時、12時まで囲まれ続ける人もいます。『宅調』(自宅で作業すること)が多い年配の判事であれば、夕方に退庁して自宅で夕食をとり、それから3、4時間とか、あるいは早い時刻に休んで早朝から、とか。私は後者のほうで、だいたい9時半から10時までに床に就き、午前4時半ないし5時には起きて机に向かいます。休みは週2日の建前ですが、1日は仕事でつぶれる人が多いですね」

 現在の職場を「比較的落ち着いた部署」と評する伊東判事は、「私の睡眠時間は一般的な基準にならないでしょう」と言う。つまり、多くの裁判官はもっと忙しいということだ。どういう種類の忙しさなのか。

「仕事を一言で表わすと、『読み書き』。記録を読み、判決を書く。それをひたすら繰り返す毎日です」

 特に刑事裁判の調書などは膨大で、小さな事件でも厚さ20、30センチはザラ、大きなケースでは天井まで積み上がるほどだ。そのすべてを漏れなく精査する作業が、常に「200件から300件」。

「そして、判決。精緻な理論で説得力ある判決文を書かなくてはならないから、どうしても力が入る。近年は特に判決文が長くなる傾向にあるので、その辺の合理化・簡略化が求められるところです」

 裁判員制度の導入も合理化を進める手段の一つだと、同判事は言う。裁判記録が凝縮され、判決文も短くなるというのだ。先の西川教授も同制度に期待する一人だが、それは「裁判所を変えるには外部からの風に期待するしかない」との考えによる。

 ただ、手続きが合理化され、「外部」の市民感覚が取り入れられても、なお問題は残るとする声もある。やはり裁判員制度を支持する札幌市の弁護士・和田壬三さん(63)は、「書類偏重の風潮を変えない限り、裁判所は変わらない」と強く言う。

「刑事裁判の『調書主義』も問題ですが、民事も近年ますます『書面主義』になりつつあります」

 

書類重視の、日本の裁判

 

 和田弁護士の考えでは、「書面主義」が加速したのは裁判の迅速化が叫ばれ始めてからだ。

「遠隔地の裁判で『電話会議システム』が採り入れられるなど、確かに合理化は進みました。ただ、それに伴い仕事に使える時間が短くなるので、裁判官のプレッシャーは増したと思います」

 審理を加速すべく、裁判官は書面の価値を異常に高めてきた ─。和田弁護士はそう分析する。

「『こんなのあり?』というケースが、ここ数年で非常に増えました。書面と矛盾する重要証言が出ても、簡単に排斥されてしまう。証人の申請も却下される。迅速化そのものに異論はないですが、真実を放置したゲームのような裁判が増えていくのは問題です。一般常識や市民感覚との乖離も加速していくでしょう」

 書類を重視するあまり、肝心の公判に集中していない、極端な例では「内職」や居眠りをしてしまう、といったエピソードも一般の報道や市販書などからうかがい知れる。刑事裁判ともなれば、物証よりも自白調書を重視することで誤判・冤罪を招く恐れもある。年間80件以上の刑事裁判を傍聴しているジャーナリストの中尾幸司さん(46)は、そうした調書が成り立つこと自体が問題だと考えている。

「一刻も早く、自白調書偏重の慣行を改め、物証主義を徹底することです。そうすれば裁判官の心理的負担だって減りますよ」

 中尾さんが強調するのは、「人は間違える」という前提だ。自白に頼る警察・検察ばかりではない。物証の不充分な中での審理を求められる裁判官もまた、常に間違いの陥穽(かんせい)にさらされている。

「日本の裁判官は、厳しい条件下でよく頑張ってると思いますよ。居眠りうんぬんにしても、暖房が効いて換気の悪い法廷にずっと腰掛けてたら、検事だって弁護士だって、傍聴人だって眠くなる。先日のストーカー事件も、あれが普通のオッサンなら不倫相手に十数回メールした程度でたたかれたりはしないでしょう。むしろ、一般市民よりも強く自分を律することに努め、実際に制御できてる裁判官が大多数だと思う」

 官僚支配、人員不足、書類偏重─。裁判官が疲れるのは、つまるところシステムや慣習の問題なのか。いや、必ずしもそうではないという指摘もある。声の主は、元判事だ。

 

裁くのは、神ではない

 

 06年に退官した元判事の井上薫さん(54)は、在職時から旺盛な執筆活動を続けてきた。法曹界では一風変わった存在だったが、その経歴もまた、裁判官としては珍しい。最終学歴は東大理学部化学科だ。

「論理と法に従って進める仕事に憧れ、裁判官を志したんです。実際になってみたら、法に従って動いてる人なんか周りにほとんどいませんでしたけど」

 ベストセラーとなった著書『司法のしゃべりすぎ』(新潮新書)は、在職中に書き、出版したものだ。同書で「蛇足判決」の弊害を説いた井上元判事は、裁判官一人一人の姿勢に問題があると主張する。

「司法行政のおかしなところは、確かにありますよ。ただ、個々の裁判官がそのおかしなことに必要以上に忠実で、肝心の法をおろそかにしてるのが問題なんです。法と良心のみにきちんと従って、慣行などに左右されずに正しい仕事を貫いていけばいいんです。蛇足判決を例にとると、判決と関係ないことをダラダラ書くのはそれだけで違法なんですよ。私はよく『判決文が短い』と批判されましたが、それは批判する方がおかしいの」

 井上元判事に言わせると、激務による過労も本人の責任によるところが大きい。

「ある時、行政の役所に勤める友人が『うちは、怠け者で仕事の遅い奴ほど評価が高い』と嘆いてた。私は言いましたよ、『うちもそうだよ』って。裁判官の仕事は、激務なんかじゃありません。みんな忙しぶって無用に時間かけてるだけ。無駄を省いて、必要なことだけやればいいんです。現に私は5時にはきっちり仕事を終えて、在職中に何冊も本を書くことができた」

 08年の著作『裁判官の横着』(中公新書ラクレ)では、民事裁判で和解を強要する判事の「横着」などを追及した。「現地検証」を嫌がり、判例に服従し、裁判記録をろくに読まない ─。もちろん、「横着」とは対照的な人柄の裁判官が、その責任感ゆえストレスに押しつぶされることはある。だが、「それは裁判官に限ったことではない」と、元判事は明言する。

「過労やストレスに伴う病気、事故、あるいは犯罪。これらは裁判官以外の仕事でも充分あり得ること。裁判官はあまたある職業の一つに過ぎず、従事する者は神でも聖人君子でもない、普通の人間です。おかしな裁判官も昔からいました。表面化しなかっただけですよ」

 最も大切なのは、その現実を一人でも多くの国民に知らしめることだという。そして、ほかの役所と同じように、裁判所は国民の厳しい監視の目にさらされるべきだとも。

「それを実現させるには、世論を喚起するしかありません。裁判所は世論に弱いですからね。だから、私はずっと書き続けてるんですよ」

 

法の番人は孤立する

 

「あまたある職業の一つ」とはいえ、万人がそう割り切れるとは限らない。「普通の人間」なればこその苦悩もあろう。あまつさえ、「良心」が「法」と真っ向ぶつかることもある。

 熊本典道さん(71)は、退職から40年近くを経た07年、かつての職場のルールを破って突然、口を開いた。かつての職場とは裁判所、破ったルールは「合議の秘密」、口に乗せた言葉は「彼は無罪」 ─。

「あの事件は、司法修習生たちの教材にしてもらいたい。それほど重要な判決だったということです」

 1966年に起きた「袴田事件」。4人の殺害と放火の罪に問われた容疑者は、20日間に及ぶ取り調べの末に犯行を自白し、68年に死刑判決を言い渡される。被告人は冤罪を主張、上訴に臨んだが、80年に上告棄却、死刑確定。現在なお拘置所内から再審請求を続けている。

 熊本さんは、裁判官として一審の死刑判決を書いた。静岡地裁の判事補だった30歳のころだ。

「慣行でね、判決を書く『主任裁判官』は『左陪席』が務めるのが一般的なんです」

 裁判官3人の合議審で進められた袴田裁判で、最年少の熊本さんは左陪席判事を務めた。当初から無罪の心証を抱いており、それは起訴時から結審時まで変わらなかったが、あとの2人はそうではなかった。

「裁判官の独立と言いますが、現場でそれが守られるとは限らない。袴田裁判は、その典型例です」

 45通の自白調書があったが、「とても証拠採用できない」と思った。判決言い渡しを2回延期して議論を続けたが、W2対1Wは覆らない。はるか歳上の裁判長に「それでも裁判官か!」と喰って掛かったことを思い出し、今は「ほんとは彼も辛かったんじゃないだろうか」と振り返る。激論の末、最年少の主任裁判官は矛を収めざるを得なかった。

 無罪の心証を持ちながら、死刑判決を書く ─。「良心の自由を侵す」と、何度も抵抗した。最高裁に電話をかけて「どうしても『主任』が書かなきゃいかんのか」とただすと、若い職員の声が「そういうことになっています」と答えた。

 判決の翌年、熊本さんは判事補を退官する。

「任官間もないころにも辞表を書いたことはあったんですけどね、あれ以後はもう続けられなかった」

 のちに弁護士に転身してからも事件の記憶が薄れることはなく、「上級審で引っ繰り返ってくれたら」と密かに願った。80年の死刑確定後は心の傷が深さを増し、何度か「それらしい場所」を求めて発作的に遠出した。ノルウェーのフィヨルド(氷河谷)を訪れては1000b級の断崖に立ち、「この底に沈めば今世紀中には発見されまい」と思い詰めたこともある。

「私の体験は特異なケースだと思いたい。多くの裁判官は、心理的な重圧に耐えてしっかりやっている。ただ、職権が独立しているということは、すなわち孤独でもあるわけです。ざっくばらんに悩みを語り合える仲間がいればずいぶん違うと思いますが、最近はそうした語らいの機会も少ないんじゃないだろうか」

 合議の秘密を破り、40年間抱え続けた葛藤を人前にさらすことは、自分自身を救う行為でもあった。今、熊本さんは事件の再審請求活動を全面的に支援すべく、各地の講演などを通じて証言を続けている。

 

       ◆

 

 ロースクール修了が近い中西将人さんは、「裁判官に真の自由を与えるべきだ」と、持論を語る。

「制度を整えるにせよ、仕事を批判するにせよ、彼らも自分たちと変わらない一人の人間だという意識を持てるかどうかが大事ですよ」

 そういう前提で裁判官が語られる機会は、いかにも少なかった。ならば、まずはその視点を持つことだ。法服の主に「疲れた」と、「間違えた」と言わせることだ。

 法の番人を不自然に押し戴くことをやめるだけで、彼らの疲れはずいぶん癒やされる。

取材・文 小笠原 淳

 

P18写真:西川伸一さん

2003年、西川伸一さんは著作の記述を名誉毀損と訴えられた。一審で事実上敗訴、控訴・上告は棄却されたが、当該記述は新聞記事の“引用”だった

 

P19写真:伊東(たけよし)(たけよし)さん

取材中、一度だけ最高裁を「おやじ」と表現した伊東武是さん。「おやじに従順な子はかわいがられる―。裁判所だけは、そうあってはならないんです」

 

P20写真:井上 薫さん

井上薫さんは、裁判員制度には否定的。“民意”で人を裁くことの危険性を指摘し、「導入するなら裁判官の給料を下げるべき」と手厳しい

 

P22写真:熊本典道さん

「今でも主だった事件の判決はだいたい予想できますよ」と、熊本典道さん。「厳刑でも、機械的な裁きでなく、悩んだ末の判決だと思いたい」