帝国海軍は生きている~海上自衛隊幹部候補生学校に見る帝国海軍来の伝統

学部第7期・大学院第1期 太田原 祟宏

 私のサークルの後輩に、海自で3等海尉(旧軍の少尉に相当)をしている者が居る(平成21年1月現在)。彼が大学4年の時、当時院生だった私に『江田島の青春~海上自衛隊幹部候補生学校の1年』というDVDをくれた。曰く、「これこそが自分が求めていた場所であり、来年の4月にはこの学校で教育を受けられるように、今、必死で頑張っている」とのことであった。私はさっそく、家に戻ってDVDを再生してみた。画面一杯に「伝統墨守」の文字。帝国海軍の兵学校から受け継がれた、江田島の生徒館の前を整然と行進する幹部候補生たち。陸・海・空三自衛隊の幹部候補生学校の中で、厳しさは格別、と謳われる教育・訓練。このDVDを見て印象的だったのは、随所に旧兵学校との精神的・文化的連続性が謳われていることであった。
 海上自衛隊幹部候補生学校は、広島県江田島市にある。この場所は、帝国海軍の士官養成所「海軍兵学校」があったところであり、海自幹部候補生学校は、その校舎をそのまま使用している。この学校は約150名の一般幹部候補生(防衛大学校卒業者が半数と一般大学等卒業者が半数)、航空学生出身の飛行幹部候補生、海上自衛隊部内から選抜された一般幹部候補生(部内)、海曹長・准海尉で昇任試験に合格した幹部予定者、防衛医科大学校及び一般の医科歯科大学の出身者からなる医科歯科幹部候補生等の教育を行っている。教育期間は、6週間から1年であり、卒業後、3等海尉(大学院修了者及び医科歯科幹部候補生は2等海尉)に任官する(1)
 分隊対抗のカッター競技である「総短艇」の実施、7月に行われる「遠泳」、ことある毎に裏の山に登り精神を鍛えなおす、節目毎に軍歌を歌う、など海軍兵学校の伝統が継承されているといわれている(2)。また、一般幹部候補生課程は同期間の連携を重視する旧海軍の伝統に基づき、防衛大学校出身者と一般大学等出身者とを混合した教育を行っている。この幹部候補生学校の卒業成績(任官順位)、いわゆるハンモックナンバーが自衛隊における生活を左右すると言われているが、このことも旧兵学校以来の伝統である。
 先のDVDを見て印象的だったものの一つに、「五省」というものがある。これも旧兵学校以来の伝統であるが、一日の終わりに、幹部候補生がその日一日を振り返り、代表生徒の号令の下、次の文句を唱えながら反省を行うのである。

「一、 至誠に悖るなかりしか
 一、 言行に恥づるなかりしか
 一、 気力に欠くるなかりしか
 一、 努力に憾みなかりしか
 一、不精に亘るなかりしか」

 この「五省」は東郷平八郎(3)が大書した海軍軍人の心得を基にしていると言われている。自習の終わりに、この「五省」を唱える儀式が定着したのは、1932(昭和7)年4月24日に、勅諭下賜50周年記念祝賀会ならびに閲兵式の折、時の兵学校校長であった松下元少将が、訓示において「生徒は自習室に東郷元帥謹書の聖訓を掲げて五省を始める」よう指示したのが由来のようである。1932年5月2日に出された兵学校訓第37号により規定化され、生徒は自習止め5分前になって、ラッパが鳴り響くと(海軍では「5分前行動」を励行しており、ラッパも決められた動作の5分前に鳴らすようになっていた)、書物を素早く机にしまい、粛然と姿勢を正す。そして、当番の生徒が次週室正面に掲げられた東郷元帥謹書の「勅諭五箇条」(4)を奉読、その後、「五省」を一つ一つ問いかける。各生徒はそれを復唱し、心の中で各問いに答え、その日一日を反省するのである。これは、現代でも全く同じやり方で継承されているようである(5)
 こうした精神教育が行われているのが、江田島が江田島である所以であろう。また、江田島には教育参考館という施設があって、そこには帝国海軍の様々な資料が陳列してある他、東郷平八郎・山本五十六(6)・ネルソン(7)の各提督の遺髪が収められているという。幹部候補生は折りあるごとにこの施設を訪れ、旧軍の在りし日を思い、提督の遺髪に敬礼をするのだそうである。このことも、幹部候補生学校が旧兵学校を継承している象徴であろうと思われる。
 なお、幹部候補生学校の1年の教育は、「遠洋航海」という行事で締めくくられる。この遠洋航海も旧軍以来の伝統である。世界の主な港を回り、見聞を広め、広い視野に立って国防を考えられる「紳士」を育て上げる目的で行われるもの、とのことである。実際、昔の陸海将校を比較してみると、遠洋航海を経ている分、海軍士官の方が世界の実際の情勢を考えた発言をしていたようである(8)
 さて、帝国海軍には体罰が存在し、兵学校もその例外ではなかったわけであるが、この体罰の伝統はどうなったのであろうか。現在、体罰は、海自では全面的に禁止されている。その代わり、規則に違反したりした下位の者に対しては、上官は「腕立て伏せ」や「走りこみ」などの「懲罰」を課することが出来る。時には、幹部候補生学校の教官が「君たちの不祥事は自分の指導の不手際によるもの」として、一緒に腕立て伏せを行ったりするようである(9)
 以上、旧海軍兵学校から現在の海自幹部候補生学校へ受け継がれたものを、(主なものではあるが)追ってみた。まだまだ、筆者の知らない「継承されたもの」がありそうであるが、ひとまずは、自分なりのまとめが出来たのではないかと思っている。旧海軍兵学校と海自幹部候補生学校は、色々な共通点を有している。しかし、J.E.アワーや豊田穣の書物を読むと、両者の間には「決定的に違ういくつかの点」が存在するようである(10)。恐らく、それは単に海軍兵学校と幹部候補生学校の間の相違に留まらず、大日本帝国海軍と日本国海上自衛隊、ひいては大日本帝国と日本国の間の相違が現れているのではなかろうかと思う。特に、アワー(1972)上巻の第8章を参照するに、大日本帝国は、全てが天皇に収斂されていく社会システムであったが、戦後の日本国はその収斂されるべき中心の部分が曖昧であることが、(自衛隊としては)大きな問題となっているように見受けられる。
この問題に関しては、別稿にて、考察を行うこととしたい。

注釈
1. WIKIPEDIA「海上自衛隊幹部候補生学校」の項を参考にまとめた。

2. WIKIPEDIA「海上自衛隊幹部候補生学校」ならびに、海自公式DVD『江田島の青春~海上自衛隊幹部候補生学校の1年』における古庄幸一元海幕長(位2003.1.28~2005.1.12)の述懐などを基にまとめた。

3. 東郷平八郎(1848~1934)は、明治時代の日本海軍の名指揮官として名を馳せた人物である。特に日露戦争における日本海海戦の勝利は、彼の名を一躍有名にし、フィンランドでは、彼の名にちなんだビールまで作られたくらいであった(当時、フィンランドとロシアは激しく敵対しており、そのロシアを打ち破った名将として、フィンランド側が好意を寄せたことによる)。元帥海軍大将、侯爵。

4. 軍人勅諭(1882年に発された勅諭。大日本帝国軍人の心得が定められたもの。1948年失効)に書かれた日本軍人の基本理念。

   一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし
   一、軍人は礼儀を正しくすべし
   一、軍人は武勇を尚ぶべし
   一、軍人は信義を重んずべし
   一、軍人は質素を旨とすべし
  
   の5つである。

5. 但し、海自幹部候補生学校の歴史の中で、一時、「戦前回帰をやめよう」という動きが起こり、この「五省」も取りやめになった時期があったようである。しかし、現在は完全に復活している(『江田島海軍兵学校』99頁)。

6. 山本五十六(1884~1943)は、第二次大戦中の日本海軍の著名な指揮官である。日米開戦に伴って、真珠湾奇襲を決意、これを実行して一躍有名になった。早くから航空戦力の有用性について着目していた人物であったようである。連合艦隊司令長官を務めるも、任期途中に飛行機で移動中、米軍機に襲われ死亡。元帥海軍大将。

7. ネルソン(Horatio.Nelson、1758~1805)はイギリスの著名な海軍軍人。アメリカ独立戦争(1775~1783)やナポレオン戦争(1803~1815)などで活躍したが、トラファルガー海戦(1805)で戦死した。英国海軍の名将の鏡のような存在とされる。

8. 豊田(1983)128~131頁に、これに関する逸話が紹介されている。

9. 前述の私の後輩であるM3尉の談による。

10.アワー(1972)下巻 178頁、並びに豊田(1983)88頁。
参考文献
 J.E.アワー、妹尾作太男訳(1972)『よみがえる日本海軍(上・下)』時事通信社
 是本信義(2005)『日本海軍はなぜ滅び、海上自衛隊はなぜ蘇ったのか』幻冬舎
 新人物王来社編(2008)『江田島 海軍兵学校~写真で綴る江田島教育史』
 豊田穣(1983)『江田島教育』集英社

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