「続・明治大学改造計画」

第6期(2002年3月卒)
澤田 直樹

                  

「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」

 中国の偉人・孫子はこのように述べ、戦に臨むにあたり敵を知ることがいかに重要であるかを指摘した。

 前回、私は拙稿「明治大学改造論」において、明治大学の強み、そして弱点を指摘した。しかし、己を知るだけでは不十分である。鬼畜早慶に勝利するには、彼らの優れた点を取り入れなければならない。

 敵の強みを目の当たりにすることはつらいことではある。しかし、改革に痛みはつきものである。今の痛みに耐え明日を良くしようという米百俵の精神こそ、現在明大に求められているものではないだろうか。今こそ明大は「ほしがりません勝までは」をスローガンに、鬼畜早慶を打倒し、大明治共栄圏を建設しなければならない。

 皇明大ノ興廃コノ一戦ニアリ。各学生一層奮励努力セヨ!

1:独立自尊・慶應大学

 現在、私立大学界の頂点に君臨している大学、それが慶應大学である。「経済の慶應」という名声の上にあぐらをかくことなく、SFC(湘南藤沢キャンパス)を立ち上げるなど、斬新なアイデアを次々と打ち出し、現在、ライバル早稲田大学に対して半歩リードした感がある。その改革の成果から、偏差値も上昇傾向にあり、この少子化の中、相変わらず多数の受験生が殺到している。

 この慶應大学、伝統に革新を加えたことが、偏差値を上昇させた要因であることに違いはないが、筆者は次の点にこそ、慶應大学飛躍の理由が隠されていると考える。

「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

 人間は等しく平等である。その事実は、決して否定することができない真実である。しかし、日本は「一億総中流」と呼ばれて久しく、時に「悪平等」と言われることもある。そんな横並び意識がはびこる世の中において、学内に歴然とした階級社会を形成し、学生のハングリー精神を養おうとしている、非常に先進的な大学が存在する。それが慶應大学だ。

 親の社会的地位という、子供にとって如何ともしがたい要因によって、階級社会を形成するその姿。「天は人の上に人を作らず、人のしたに人を作らず」と言っておきながら、『脱亜論』において、後進国であるアジアの他地域を侵略することを容認した、創立者・福沢諭吉先生そのものである。

 これからの世の中は、人を蹴落としてでも上に登りつめようという意識を持たねば、社会で成功することはできない。われら明大生も、慶應大学のように「勝ち組み」を目指して切磋琢磨しようではないか。

2:私学の雄:早稲田大学

 わが明治大学にとって、最大・最強にして、不倶戴天の敵、それこそが都の西北・早稲田大学である。入学試験は全国トップレベルの難易度を誇り、一流大学として位置付けられている。しかも、単にそれだけにとどまらず、官界・財界・芸能界に多数のOBを排出し、「私学の雄」の名に名前負けしない巨大な力を有している。それゆえ、大学進学を希望する高校生から熱いまなざしを向けられているのだが、ときには、すでに他大学に入学した学生からも、熱いまなざしが向けられている。

 この早稲田大学、数多くのセールスポイントを有しているが、筆者は次の二点に注目したい。

(1)商才に長けている

 大学の本分、それは学問である。各大学は学問分野での実績を上げるために、日々切磋琢磨しており、そして、そこで挙げた実績こそが、大学の名誉となるのである。

 しかし、学問という一分野に収まることを拒否している、いわば「学界の暴れん坊」ともいえる大学が日本に存在する。それが、早稲田大学である。

 古い慣習にとらわれることなく、「大学=学問」という既成の枠組みを打ちこわし、ホテル経営という新分野を切り開こうとするその姿、まさに学界の「織田信長」といっても過言ではない。早稲田大学のたくましい成長ぶりを目にして、創立者・大隈重信公も天国で泪を流しているに違いない。

 わが明治大学も、早稲田大学のように現状に安寧することなく、新分野を切り開くベンチャー精神を持たなければならない。

(2)政界で大活躍

 早稲田大学のもう一つの特徴は、政界へ優秀な人材を多数輩出している点にある。その多大な影響力を考えれば、日本の政は早稲田大学によって動いているといっても過言ではない。皆さんの記憶にも新しいところでは、「キングメーカー」竹下登元首相や、「平成の借金王」小渕恵三元首相が共に早稲田大学出身である。

 今現在も、政界で活躍している早稲田大学出身の政治家は多数いるが、今回は海部俊樹元首相、森善朗前首相、この2人に注目したい。

 海部俊樹・・・彼ほど世間から正当に評価されない総理大臣はいないのではないか。小沢一郎氏からは「馬鹿と神輿は軽い方がいい」となじられ、佐々淳行氏(元内閣安全保障室長)からも「何もしない」と言われてしまう。

 しかし、彼はそんな安っぽい言葉が似合うような器の小さな男ではない。湾岸戦争において、多国籍軍に130億ドルを寄付した海部俊樹元首相。彼は「金持ち喧嘩せず」を国際舞台で自らやってのけたのだ。130億ドルもの大金を気前良く払ってしまうその豪胆さ。このスケールの大きさには、同じ「金持ち喧嘩せず」を座右の銘にしている野村沙知代氏(コロンビア大学・心理学部卒)も遠く及ばない。海部俊樹元首相に比べると、明治大学出身の政治家は、器が小さい気がしてならない。我が明治大学からも、海部俊樹氏のような豪傑が出てきてほしいものである。

 次に、森善朗前首相である。彼も武勇伝の多さでは、歴代の総理大臣達に引けを取らない。

 欧米人に対して自己主張ができない日本人が多い中、クリントン大統領(当時)に対して「Who are you?」と、喧嘩を売ることができるその度胸。「静脈」を「せいみゃく」と読むことによって、現在の日本語のあり方に一石を投じるという語学力の高さ。さらに、IT革命を「イット革命」と公言することで、当時ITバブルに踊っていた産業界やエコノミストに警鐘を鳴らすという先見の明。どれを取っても、今までの総理大臣をはるかに凌ぐ、八面六臂の活躍ぶりであった。そして、小粒な総理大臣が続いていた日本に、これほどまでに豪快な総理大臣を送り出した早稲田大学。やはり、その底力は計り知れない。愛弟子達のたくましい成長ぶりを目にして、創立者・大隈重信公も天国で泪を流しているに違いない。

 それに対して我が明治大学は、大仁田厚参議院議員など優秀な「乱闘要員」は輩出しているものの、本業の「政治」においては、やはり早稲田大学に遅れを取っている。明治大学からも、森善朗前首相のような優秀な政治家が輩出されることを切に願ってやまない。

 以上、他大学の優れた点を示してきた。この改革には大きな痛みが伴う。しかし、今後明治大学が発展していくためにも、この聖域なき構造改革は、是が非でも断行しなければならない。その際に出てくる、抵抗勢力からの訳の分からない論理は、この明大改造計画には通用しない。

 明治大学の有志諸君、この明治大学改造計画と共に立ちあがろう。そして、聖域なき構造改革を成就させよう。この改革が達成された時、明治大学は倒産と引き換えに、記憶に残る大学として、全国民の心の中で永遠に生き続けるだろう。

以上

2002年1月執筆


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