滞英9カ月をふりかえって

   西川 伸一  * 『カオスとロゴス』第13号(1999年2月)掲載

 勤務先より在外研究の機会を与えられ、98年3月末からイギリス・シェフィールド市に家族ともども在住した。家庭の事情で急きょ、2年の在外研究期間を打ち切り帰国することになった。この文章は年末の日本で書いている。結局、わずか9カ月だったが、異文化体験に驚くことの連続。「百聞は一見にしかず」を実感した。その断片を記してみたい。

 シェフィールドSHEFFIELDはイングランド北部、「ミッドランドMIDLAND」とよばれる地域の中核都市。人口は50万を擁し全英で5番目の規模を誇る。それにしては、最近の人気映画「フルモンティ」の舞台となった街として以外、日本ではあまり知られていない。しかし岩倉具視ら使節一行が視察に訪れるなど、明治期の日本とはゆかりの深い土地である。

 平たくいえば典型的な地方都市。街はいたってのんびりしている。人々はよくほほえむ。何気ないあいさつでも笑顔でいわれるとなんとも気分がいい。たとえば、コーナーショップ(日本でいえばコンビニ)やスーパーで買い物をすると、レジの店員が「THANK YOU」といいながらほほえんでくれる。無表情にマニュアルどおりに応対する日本の接客現場とはずいぶんの違いである。この温かさには心を打たれた。おかげで、学生のころ母親から「もっと愛想をよくしなさい」と口酸っぱくいわれた私も、自然に笑顔をつくれるようになった。

 スーパーのレジに中年男性がすわっている(こちらでは、レジに店員がすわってバーコードをスキャンする。)のにも、軽い衝撃を受けた。日本には、スーパーで中年男性がレジを打っている光景はまずないのではないか。彼らにはいじけた気配はなく、誇りをもって仕事をしているようにみえた。自分というものをしっかりもっているのだろう。中年男性にかぎらず、こちらの人々に卑屈さを感じることはまったくなかった。

 ところで、私の勤務する大学は関東大震災のあとに建てられた「記念館」を取り壊し、この秋に「リバティタワー」なる新校舎を落成させた。おそらく、このようなことはイギリス人には狂気の沙汰とうつることだろう。彼らは古いものを大切にし、古さに価値を認める。現地で世話になったイギリス人のお宅に招待されたとき、彼は「うちの家は19世紀末に建てられたんだ」と自慢げに話していた。スクラップ・アンド・ビルドではなく、あるものを修理して息長く使うのがイギリス人の美徳と合点した。

 とはいえ一口にイギリス人といっても、多種多様なエスニシティがここでは暮らしている。過去の帝国主義政策に対するツケ払いなのか、イギリス社会は様々なエスニシティの受け入れに寛容だ。スポーツ界はもちろん、ジャーナリズム、芸能界、政界、法曹界などあらゆる分野で非アングロ・サクソンが活躍している。これほどマルチ・エスニシティ化が進んでいるとは想像していなかった。もちろん、彼らのルーツは大英帝国の旧植民地。私は床屋でマレーシア人にみられたことがある。

 その床屋は私が籍をおいたシェフィールド大学の近くにある。大学へは徒歩30分くらいの道を週に3日ほど通った。午後5時過ぎに大学の図書館を出て家路につくと、仕事を終えて帰るクルマの渋滞にぶつかる。ところが、6時を過ぎるとぱったりクルマの量は減る。みんな定時に帰宅しているのだな、と肌で感じた。シェフィールド大学につとめる日本人の先生は、土曜日は研究室に出づらい、まして日曜日はなおさらだとこぼしておられた。こちらでは、土日まで研究や仕事を持ち越すと「お前はそこまでやらなければできないのか」と白い眼でみられるという。残業や休日出勤は無能の証なのだ。日本でも昔の職人にはこうした気質があったのではないか。

 幸い私はこの9カ月間で医者にかかるほどの病気はしなかったが、生後4カ月でつれてきた娘がアトピー性皮膚炎にかかった。日本なら皮膚科か小児科を受診するところだが、イギリスの医療制度は初期治療の段階では診療科目に分かれておらず、どんな病気でもまずGP(General Practitioner;一般開業医)にかかり、それでも回復しない場合にはじめて専門医を紹介される。イギリスの健康保険NHS(National Health Service)に加入が認められれば医療費、薬代は一切かからない。わが家もその恩恵に浴することができた。

 医療がただ!さすが福祉国家の元祖とほめたいところだが、事態はそう単純ではない。国民の間では、NHS医療についての評判はすこぶる悪い。NHSは実はNo Hope Serviceの略なんだ、と口の悪いイギリス人の友人が教えてくれた。受診は日本の歯医者のような予約制なので、風邪で予約を入れても数日後の自分の診察日にはすでに治っていたりする。イギリスで病気を治すには予約患者の列に並べばいいだけだというジョークがあるくらいだ。専門医に回されても順番待ちで、娘の場合2カ月待たされた。私は感じなかったが、NHS医師(このほかにプライベートPrivateという有料開業医もいる。)に対する患者の信頼もあまり高くはない。ろくに診てくれない、水を飲んで寝ていれば治るといわれたなど不満をよく耳にした。

 とはいえ、予約制のメリットも書かなければフェアではなかろう。日本の病院では「3時間待ち、3分間診療」が当たり前になっている。医師は患者をさばくので精一杯。待合室で長時間待たされる患者もたまったものではない。こちらでは、私の娘はほぼ待ち時間なく診てもらえたし、医師もゆとりをもって話を聞いてくれた。日本でも歯医者にだけできて、他の医院にできないこともないはずだ。

 一方で、ただほど高いものはないという言葉どおり、無料のサービスは浪費をもたらすことがよくわかった。患者にしてみればどうせただのなのだからと、薬を余分に求めたり、いらない薬までもらおうとする。日本の医院や病院は薬は数日分しか出せないが、こちらでは使いきれないくらいの薬が出される。すべてはNHSの負担となるため、NHS財政はいつも苦しく、今年度も追加予算が組まれたようだ。つまりは国民の負担となる。

 無料の医療、教育、福祉はかつての社会主義国の金看板だった。理想としてはすばらしい。しかし、そこには人間を性善説的にとらえすぎていたうらみはなかったか。いうまでもなく、人間には利己的に、つまり自分の効用が最大になるように行動する側面が多分にある。これを道徳的に批判してもはじまらない。だれでもただのランチが食べたいのだ。確かに道徳心が人間を克己的にする(例・ただでもむだづかいしない。)かもしれないが、それを前提にして政策を立てれば破綻は避けられまい。道徳心に頼らずとも資源の有効利用が達成されるような、別のしかけはないものか。

 資源の有効利用で思い出したが、ごみの回収はシェフィールドはまったく遅れている。分別せずごみ袋につめて出すだけ。清掃車が週に1回それをとりにくる。日本では細かく仕分けすることに慣らされていたが、ごみの分別がないと、こんなに手間がかからないものか。もちろん、再利用できるビンやカンをそのまま他のごみといっしょに捨てるとき、いい気持ちはしない。郊外の大型スーパーには分別回収用のごみ箱が設置されているが、捨てるためにわざわざごみを持参してスーパーに来る人はどれだけいよう。恥ずかしながら、私は一度もそれをせずじまいだった。

 VATというイギリス版消費税(正式には「付加価値税」)は17.5%なので、総じてモノは高い。ただ食料品にはかからないため、スーパーにいけばけっこう安く食材が手に入る。激安が売り物のスーパーで2斤5ペンス(約10円)のパンを見たときはわが目を疑った。野菜や果物も豊富で世界各地から入ってくる。スペイン産のレタス、イスラエル産のオレンジ、ケニア産のサヤエンドウ、ザンビア産のインゲン、ニュージーランド産のタマネギなどなど。日本ではお目にかかれない産地のものが食べられる。イギリスの農民人口はここ半世紀以上3%前後で変動がない。この国では食糧は輸入するものなのだ。鉄道でシェフィールド郊外へ出ても、ムーアMOORとよばれる高緯度地方特有の荒地で羊が草をはんでいる車窓が果てしなく続く。ついぞ農民の姿は見かけない。

 以上、思いつくままにつづってみた。一つ心残りといえば、マルクスの墓に行けなかったこと。彼にただのランチをどう思うかきいてみたかった。

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