旧ソ連社会の地の声に接して

   西川伸一  * 『ブズガーリン招待委員会ニュース』第3号(1997年6月1日)掲載

 旧ソ連の知識人が共産党1党支配体制下で辛酸をなめてきたことは、本や新聞をとおして「知ってるつもり」でいた。しかし、その時代を生きた人の生の声でその現実が語られてみると、やはり迫力が格段に違う。活字や映像による追体験は、まさにバーチャルリアリティでしかなく、体験者の肉声はその仮想性をはぎとるのだ。

 ブズガーリン氏が「自己検閲が知識人の身体の一部になっていた」と苦渋に満ちた表情で述べたとき、私は深い同情を禁じえなかった。旧ソ連体制下では知識人はみな御用学者になりさがったと一括するのはやさしい。しかし、彼らは唯々諾々と体制にからめ取られたわけではなく、煮え湯を飲まされつつも、面従腹背で闘っていた証拠をこの耳で聞いたからである。自著の10頁に1回、ブレジネフの言葉を文脈にあうのを捜して引用することを「身体の一部」にさせられたおぞましい社会。そこに生きざるをえない知識人の苦悩はいかばかりか。

 それでも、ブズガーリン氏は、自己検閲を「仕方がなかったのだ」と開き直ってすまそうとはしなかった。率直な自己批判によって、その体験を血肉化しようとする。彼によれば、「われわれが犯した重大な誤り」は以下の4点である。第1に、体制矛盾を正面きって衝けなかったこと。第2に、党のイデオロギー的注文をこなす仕事に甘んじてしまったこと。第3に、マルクス、エンゲルス、およびレーニンらの「教条」に批判的になれなかったこと。そして第4に、いわゆるブルジョア科学や他の学派との交流をもてなかったこと。

 「みなさんからみれば、プリミティヴにすら感じるこうした境地に達するまで70年かかりました。」ブズガーリン氏はこういって、やさしく笑った。だが、果たしてわれわれはこれら4点を十分クリアしているのだろうか。陳腐で独りよがりな発想から完全に自由になっているのだろうか。不断の自己点検のみならず、他者との絶えざる意見交換を忘れてはなるまい。人間は、自分に対しての「批判」を経ていないかぎり、真に意志する事柄を意志することはできない、との哲学者の教えもある。

 ところで、モスクワ大学の教授職にあるブズガーリン氏の月給は200ドルだという。現在のロシアでは、インテリ層が一番厳しい状況に置かれている。なぜ立ち上がらないのか?70年間、イニシャチブの発揮を否定され続けてきたため、「社会的筋肉」が萎えきっているそうだ。活動家でもある彼にとって、もっとも頭の痛い問題がここにある。実はわれわれも同じ問題を抱えているのだが。


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