書評:柴田徳衛ほか編著『クルマ依存社会―自動車排出ガス汚染から考える』(実教出版、1995年)

   西川伸一  * 『カオスとロゴス』第3号(1995年10月)掲載

 つねづね、クルマこそ現代社会の諸矛盾を凝縮した結晶体だと思ってきた。ベルトコンベヤとストップウオッチで厳格に管理された「絶望工場」で、文字どおりの「疎外された労働」によって大量生産されるそれは、消費の現場では、凶器として毎年1万人以上の人を死に至らしめ、麻薬としてドライバーに「自我の拡張」を錯覚させエゴイズムを助長し、大気汚染、騒音等の公害をまき散らす環境破壊の元凶となり、その一方で、運転のできない交通貧困者の交通権を踏みにじる。さらに、大量生産と大量消費を結びつける、大量宣伝による「欲望の造出」と「ムダの制度化」の日常化。クルマの魅力とされる随時性、機動性、快適性を植え付けるために、あるいは人々の差別欲求をくすぐるために、膨大な資源が浪費される。

 その事態はまさしく、「クルマ依存社会」というにふさわしい。アルコール依存症と同じく、われわれはクルマの害を感じながら、その魅力の前に害に対して目をつぶり使用を続けるクルマ依存症にかかっているのだ。病が全身を滅ぼす前に、綿密に診断して、しかるべき手を打たなければならない。クルマ依存症の数え切れない病弊の中でも、とりわけ本書が取り上げるのは、自動車排出ガスによる大気汚染の問題である。「その「病理」と「処方箋」の多く」が「クルマをめぐる他の問題にもあてはまる」からであり、その科学的な現状把握と具体的な対策が示される。執筆者は「クルマ社会研究会」のメンバーを中心に、気象学、医学、法学、交通論、経済学などの専門家18名にのぼる。

 三部構成の第I部は、自動車排出ガス汚染の現状とその被害状況の考察である。自動車、とりわけディーゼル貨物車が排出する窒素酸化物(NOX)が大気汚染の元凶となっている現状が確認される。当然、大気汚染は沿道住民に、気管支ぜん息など呼吸器疾患を発症させる。ところが、1987年の公害健康被害補償法の「改正」により、公害患者の新規認定は行われなくなった。患者は発作と死への恐怖に怯えながら、重い医療費を自己負担せざるをえないのだ。NOX削減計画で失敗を繰り返すばかりか、被害者救済を拒否する行政の姿勢が厳しく問われる。その責任は司法にもあり、国を被告とした道路公害訴訟では、二酸化窒素と公害病の因果関係が非科学的な手法で否定されるからくりが暴かれる。

 第II部は、これらを受けて、汚染防止対策の具体的提案となっている。そこで注目すべきは、これまでの自動車単体への排出ガス規制が、最大の排出源であるディーゼルトラックには甘かった点である。その「NOX低減は技術的に困難」と説明されてきたが、実は背景には、環境よりも経済性を追求する技術利用を許す「経済との調和」論があったのだ。代わって「性能限界を使用制限でカバーする原則」が示される。一方で、単体規制の切り札「低公害車」が、さほど低公害でないとの指摘は興味深い。また、排出ガスの遮断・拡散なども精査されるが、結局、有効なのは「各種の交通量抑制策だけ」との見解に落ちつく。「交通静穏化」はそれを目指した都市設計であり、オランダのボンネルフなどの具体例が写真付きで紹介される。

 第III部は、このような自動車交通削減の可能性を社会科学的観点から論じている。その最も簡便な方法として都市バスの充実が推奨される。バス専用レーン措置をとり、道路交通容量を減らす、つまりクルマの利用を不便にすることで、公共交通機関への需要の転移が図られよう。もはや渋滞は道路整備によっては緩和できず、逆転の思考が必要なのだ。とはいえ、社会的合意がなければ事は進まない。市民の意識をロードプライシング(都心部乗入れ賦課金制度)について調べたアンケートでは、賦課金収入を広範な交通環境整備に使うという目的を組み込んだ場合、75%の市民が支持したという。社会的合意の可能性は十分にある。自動車関係税による際限ない道路建設をやめ、自動車はすでに過剰であるとの意識から、「交通需要マネジメント」など需要サイドに立つ道路行政が望まれる。

 以上、しばしば現れる高度に専門的な叙述にタジタジになりつつ一読した。しかし、400頁を超す大冊の分析から導き出される結論は意外に単純なものではないか。すなわち、いずれの可能性を追求しても、現在の自動車利用状況を前提にした事態の好転はあり得ず、総体として自動車それ自体を削減する以外に代案はないということである。そのためには、規制緩和の時流に背く規制強化はもちろん、人々にクルマを捨てさせる文化的インセンティブを植え付ける努力が必要であろう。卑近な言い方をすれば、「クルマに乗ることはカッコ悪い」といった文化が根付くときこそ、クルマ依存社会が克服されるときなのだ。大海を手でせくことのようだが、同じく依存症患者の多い喫煙をめぐる昨今の状況を見るとき、少しファイトが沸いてくる。


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