ぼくの子育て歳時記(8)魔の1月、あるいはかくも長き一日

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第14号(2000年2月)掲載

 私のような稼業の者は1月、2月がとくに緊張する。後期試験や入学試験の監督、採点があるからだ。代替がむずかしく、その場に必ずいなければならない。

 しかも、悪いことにこのシーズンはインフルエンザが猛威をふるう時期と重なり、私も毎年のように、ひやりとさせられている。いまでは自分の体調だけでなく、娘の体調によっても、仕事に穴をあけざるをえなくなるのがつらいところだ。先月はぎりぎりセーフの連続だった。

 昨年4月から通っているいまの保育園から「迎えに来て下さい」と電話で呼び出されたのは、去年は一度しかなかった。しかもそれは発熱ではなく、眼のかぶれが悪化したという理由だった。朝の体調がよければ、そのまま夕方まで安心できた。

 ところが、1月に入って、保育園から発熱を理由に呼び出されること4度。14日、19日、27日、そして31日。いずれも、朝は元気に登園しても、昼寝から起きると、熱が38度から39度に上がってしまうのである。保育園も慣れたもので、私が自宅で仕事をしている日が多いのを見込んで、まず自宅に電話をかけてくる。

 電話を受け、保育園に駆けつけると、娘が真っ赤な顔をして保母さんに抱っこされている。娘を引き取り、その足で小児科へ。診察を受け薬をもらって帰ってくると、5時前になる。どういうわけだか、そのころにはケロッとして、熱も37度台に落ちているのだ。

 さすがに翌日は熱が平熱ちかくまで下がっていても、登園させるわけにはいかない。不思議なことに、いずれの日も試験監督などどうしてもはずせない用事が入っていなかった。娘は私の都合のつく日を選んで熱を出しているのではないかと思ったほどだ。呼び出された翌日が土曜日だった15日以外は、私が娘と長い1日を過ごした。

 微熱くらいではおとなしく寝ていてくれない。娘の相手をする以外になにもできないと、こんなにも時間の経つのが遅いものか。19日に一度やっただけでうんざりした。2回目となった28日はキレてしまい、出勤前の妻に八つ当たりしてしまった。(妻よごめん。)妻は私が幼児虐待に及んでいないか、本気で心配したそうだ。

 こちらばかりでなく、娘も1日中家にいてはもたない。散歩に出たがる。やむをえず、厚着をさせて公園へ連れ出す。平日の、だれもいない公園で娘と滑り台をすべったり、ブランコをやったり。おれはいったい何をやっているのだ、と気が滅入ってくる。

 そうこうするうちに、娘と同い歳くらいのお嬢さんをつれたお母さんがやってきた。娘もその子もお互いに気になるらしく、すぐに近づいていく。「あいさつはこちらからするものだ」とだれかがいっていたのをとっさに思いだし、そのお母さんに声をかける。「娘さん、おいくつですか」。

 二言、三言話して話題が途切れる。すると、別のお母さんが子どもをベビーカーに乗せてやってきた。この二人は知り合いらしい。やばい。これ以上話が進むと、あの私が一番嫌悪する質問が出るに違いない。「きょう、お休みですか」と。なんとかここを去らなければ・・・。

 そんなくだらないことを一瞬のうちに考えて、娘を自転車の方向へ導くと、背後から声がかかった。「この公園、はじめてですか」。そうか、これは私の公園デビューだったのだ。こうしたあいさつをきっかけに、彼女たちは子育て仲間の輪を広げていくのだろう。

 朝8時半から見せた教育テレビの「おかあさんといっしょ」を、夕方もう一度その再放送で見せる。その間に夕飯の支度。専業主婦たちは毎日この繰り返しなのだろうか。作家の田辺聖子がある本に「子を持って知る普通の人の偉さ」と書いたそうだが、それを実感する。

 平日に子どもの相手をするくらいで音をあげているようではまだまだ。さらなる試練が待ち受けている気がする。


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