ぼくの子育て歳時記(1)まぶしい保母さん

   西川伸一  * 投書で闘う人々の会『語るシス』第7号(1999年2月)掲載

 〈口は禍の門〉というが、うっかり書いたものも油断できない。森田代表あての年賀状に、「そのうち子育ての愚痴でも書かせてください」とつい筆を滑らせたのが運の尽き。「じゃあ、《シェフィールド便り》の続編で、、」と事があらぬ方向に転がっていってしまった。まあよろし。「他力」という時代の気分に乗ってみるのも悪くなかろう。

 ともあれ、私は1月に帰国してから、妻とタッグを組んで一昨年11月に生まれた娘の子育てに明け暮れている。もちろん、保育園のお世話になりながら。妻が妊娠した当初、「この少子化のご時世、簡単に入園できるのだろう」と安易に考えていた。確かに定員割れの園もある。しかしそれは4−5歳児の場合。3歳未満では希望しても入園できない子どもがたくさんいる。

 なぜか。理由は簡単で、3歳未満の子どもの保育定員が少ないからだ。ではどうして少ないのか。前田正子『保育園はいま』(岩波書店、1997年)によると、主な理由は二つ。

 第一に、これまで低年齢児保育があまり顧慮されてこなかったこと。3歳までは母親が育てた方がいいという根拠不明な「3歳児神話」が、それに大きな影響を与えていた。第二に、3歳未満の保育には人手がかかること。つまり、経営的に採算がとれないのだ。

 国の基準では、3歳児なら20人に保母一人だが、1−2歳児では6人に一人、零歳児では3人に一人となる。低年齢児保育にはそれだけ多くの保母が必要とされ、園の経営を圧迫する。「採算」という尺度と保育・教育が相いれない典型例だ。行政による補助がなければ、低年齢児保育は立ちいかない。

 私たちの住む府中市でも低年齢児保育の定員は少ない。娘が生まれる前から、妻が職場に復帰するときに認可保育園に年度途中で入園できる可能性はゼロだった。その時点で私たちは無認可保育園に預けることを決めた。

 「無認可」ときくと、なにか半人前のような印象を受けるが、国が決めた細かな基準を満たしていないというだけ。決していい加減な保育が行われているわけではない。娘が通う園も施設や園庭に手狭感はあるものの、保育方針はしっかりしていて不満はない。園のプリントに元号を使わないのも気に入っている。

 入園に先立って、妻と娘ともどもあいさつにいった。その際、ベテランの保母さんにまじって、まだ短大を出たばかりとしか見えない若い保母さんもいた。内心「こんな学生みたいな人で大丈夫なのか」と不安を感じた。が、それはとんでもない考え違いだった。

 娘の送り迎えで園に足を踏み入れるたびに、彼女たちの働く姿を目のあたりに見る。子どもたちに囲まれた彼女たちはたくましい。いろいろな子の相手をしながら、次から次に着替え、おむつの交換、食事の世話などをこなしていく。出勤すれば、園児のお昼寝の時間以外、休む暇はないのだから頭が下がる。しかも、そのお昼寝の時間には、その日の子ども一人ひとりの様子を、父母あてに「連絡帳」に記入しなければならない。看護婦さんもすごいと思ったが、保母さんもすごい。人の働く現場を見ることは視野を広げてくれる。

 少し困っているのは、園がやや遠いこと。ベビーカーを押して片道20分はかかる。しかも、途中の道が狭くて歩道もない。クルマが進入してくると電信柱に隠れてやりすごす。みたなおみ氏の詩集『道はいつも戦場だ』(杉並けやき出版)というタイトルがぴったりだ。このときばかりは、イギリスの広い歩道が懐かしくなる。

 夕方5時になると、この道を歩いて娘を迎えに行く。彼女が私を認めると、両手をこちらに差し出して抱っこをせがむ。きょうもよくがんばったね、とぎゅっと抱きしめてやる。この瞬間はちょっと感動ものだ。身近にこんな感動のネタが転がっていようとは。親ばかとお笑いください。


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