世界の大学紀行 〜 シェフィールド大学

   西川伸一  * 明治大学政治経済学部『政経フォーラム』第11号(2000年3月)掲載

 1998年3月末から99年1月末まで、イギリス・シェフィールド大学に客員研究員としてお世話になった。シェフィールドはイングランド北部、サウスヨークシャー州の中心都市で、人口は全英5番目の約50万人。ロンドンからはインターシティで2時間半ほどで着く。日本からは、アムステルダムを経由して、直接シェフィールド空港に入るのが便利である。

 ○シェフィールド大学とは

 本学同様、シェフィールド大学も都心型大学というにふさわしい。市の中心部からは歩いて15分、トラム(路面電車)ならば5分くらいのものだ。キャンパスらしきスペースはあまりなく、校舎と街に境目がないのも本学の駿河台校舎と似ている。それが縁というわけでもなかろうが、本学とは1995年に学術交流協定を結び、98年度からは学生の交換留学も行われている。

 シェフィールド大学は1905年創立の国立大学で、前身のシェフィールド医科大学ができたのは1828年にさかのぼる。1996/97学年度で8学部80学科を擁する総合大学である。その自慢は何といっても、4名のノーベル賞受賞者を出していることだろう。1953年に医学・生理学賞、67年に化学賞、93年に医学・生理学賞、そして96年に化学賞をそれぞれ、シェフィールド大学の教員ならびに卒業生が受けている。

 学生数は1996年12月1日の数字で、フルタイムの学部学生で13144名。女子学生がずいぶん多いなと感じたが、それもそのはずで、男子学生6600名に対して、女子学生6544名とほぼ同じ割合である。教職員についてみると、97年7月31日時点で5051名が勤務しており、そのうち常勤の教員は1086名(教授230名、助教授329名、講師527名)を数える。留学生が多いのも特徴で、やはり96/97学年度の数字で、115か国から2968名が学んでいる。学内では、実に様々な肌の色、服装、言葉に出会う。

 ○東アジア学科に在籍して

 私が籍を置いたのは、社会科学部東アジア学科で、アーツタワーというリバティタワーよりはやや低い高層校舎のワンフロアにある。余談だが、このアーツタワーはシェフィールド一高い建物で、シェフィールドの観光絵はがきに収められているほどだ。シェフィールドを舞台にした喜劇映画「フルモンティ」にも、風景のショットに出てくる。

 この東アジア学科に置かれている日本研究センターは、すでに1960年代につくられ、ヨーロッパにおける日本研究のパイオニア的存在である。図書館の日本語文献の充実ぶりには驚いた。新聞は朝日新聞の国際衛星版を読むことができる。図書館にいって、そのスポーツ欄をみるのが無上の楽しみだった。

 もちろん、日本研究センターは日本の各大学にも広く知られており、そのおかげで私と同じ時期に5名の研究者が東アジア学科に在籍されていた。生活情報を交換したり、パブでパーティーをやったり。11月からは、現代日本社会研究会と銘打って、交代でそれぞれのテーマを報告しあった。

 ○キャンパスを歩く

 学生は総じて勤勉のようだ。午後になると図書館で席を捜すのに苦労する。イギリス人はどこでも行列をつくるというが、それをここで実感した。図書の貸し出し・返却カウンターの前で、検索用のパソコンの前で、コピー機の前で、彼らは自然に整然とした行列をつくってしまう。そして、同時に行列に並ぼうとすると必ず双方が譲り合う。とてもすがすがしく感じたものである。

 また、学生の自治会活動は活発で、売店、軽食堂から旅行代理店、銀行まで入った学生会館を運営している。政治的には労働党支持である。さらに、「WHAT'S ON」という「ぴあ」のようなリーフレットを毎週発行。これは学生たちにけっこう人気があって、キャンパスライフをエンジョイする参考になっている。

 学生会館でびっくりしたのは、各階のトイレにベビールーム(授乳やおむつ換えができる)が別個にあったこと。まだ0歳の娘を大学に連れていったときには、とてもありがたかった。ベビーカーを押して構内を行き交う若い夫婦もときに見かけた。リバティタワーにはパウダールームはあるが、ベビールームはない。地域に開かれた大学を目指すなら、ベビールームもほしかった。

 ○ピークディストリクト国立公園

 観光案内も少し。市街地からバスで西へ15分ほどのところに、ピークディストリクトという全英一の訪問者数を誇る国立公園がある。ピークとはいうものの高い山はなく、最高でも637メートルにすぎない丘陵地帯である。

 とはいえ眺めはすばらしい。バスに乗って10分もすると急に人家が途切れ、ムーアとよばれるイングランド北部に特徴的な荒れ地が広がる。大陸を思わせるような(といっても、いったことはないが)雄大な光景が眼に飛び込んでくる。息をのむ景観だ。いけどもいけども人家があり、街に切れ目がない日本の車窓と好対照で、新鮮な感動だった。

 ここには岩場も散在し、ロッククライミングのメッカでもある。それが、「フルモンティ」のヒットで、二匹目のどじょうを狙った映画「マイ・スウィート・シェフィールド」の冒頭シーンになっている。

 ○英語に悪戦苦闘

 最後に反省。わずか10か月に満たない滞在であったが、それまで留学経験はおろかヨーロッパ旅行の経験もなかった私には、異文化を知る絶好の機会となった。まさに百聞は一見にしかずである。一方で、もっと周到に準備してくるべきだったと痛感した。

 なんとかなるさという甘え。ところが、現地に入ってみると、簡単な英会話すら満足にこなせない。そのため、研究以前の事柄に、相当の精神的エネルギーを割かなければならなかった。

 たとえば、大家さんに「バスルームの漏水を直してほしい」と頼むとする。まず和英辞典を引っぱり回して英作文をつくり、メモにして何度か音読してみる。気持ちを集中させてエイッとばかりに受話器を取り上げ、ダイヤルする。大家さんにメモを読み上げる。もちろん、相手が何と答えているか9割方は聞き取れないから、適当にイエス、ノーをいうしかない。それにくじけずに修理の日時を決めるまで話をたどりつかせ、やれやれと受話器を置く。

 これだけでへとへとになる。向こうの建物はあちこちがすぐ壊れるので、こんなやりとりをしょっちゅうやらされる羽目になった。

 理想としては、英会話のレッスンを積んでからいくべきなのだろう。雑事に神経をすり減らすことなく研究に集中するために。そう思うと、在職中一度しかとれない長期在外研究をむだづかいした気がしてならない。それでも、30代後半の若い(?)時期にいかなかったよりはよかったのだ、と自分を納得させている(からだめなのか、、)。


back