ああ、コンピュータ依存社会

   西川伸一  * 『政経論叢』(明治大学政治経済研究所)第68巻第4号「編集後記」掲載

 いよいよ新たな千年紀(ミレニアム)の西暦2000年を迎える。それにあわせて、新たに2000円札が発行される。守礼の門と源氏物語のデザインになるという。むしろ女性の肖像を表に飾ってほしいとの新聞投書を読んだが、思わずうなずいてしまった。

 それに配慮したわけでもなかろうが、新紙幣の裏側に紫式部の絵が登場する。女性がモデルになるのは、1883年発行の10円札での神功皇后以来二人目。また男性よりはマシだが、紫式部ではあまりに古すぎないか。

 紙幣の「現役」3人と並び立つくらいの近代の女性はいくらでもいよう。そういえば、わが政治経済学部にも女性の先生がたが増えている。大変喜ばしいことだ。

 いずれにせよ、2000年にちなんだ新紙幣の発行がわたしたちの生活に重大な影響を及ぼすとは考えられないが、コンピュータの2000年問題に関しては、深刻な事態が心配されている。

 近所の酒屋で買い物をしたら、レジに「家庭における2000年問題」というパンフレットがおいてあった。「なにが起こるかだれにもわかりません」と注意を喚起して、食糧、水などの備蓄を呼びかけている。自転車が「2000年問題の影響を受けない移動手段です」と明記されているのが、なんだかおかしい。

 一般の災害と違って、2000年問題は原因もいつ起こるかも事前にわかっている。しかもコンピュータは人類がつくりだしたものだ。それでいて、「なにが起こるかだれにもわからない」とはどういうことか。ある著名な国際政治学者は「文明が生み出した道具による人類への反抗だ。負けるわけにはいかない」と力を込める。

 いつの間にやら、わたしたちの暮らしはコンピュータなしには立ちいかないものになってしまった。「コンピュータ依存社会」というにふさわしい。

 たとえば、わたしはこの1000字程度の文章ですらパソコンの前にすわらなければ書けなくなっている。朝起きてから夜寝るまでをふりかえると、確かに、コンピュータに頼っていないと断言できるのは自転車をこぐことくらいしかない。こうなると、2000円紙幣はともかく、この政経論叢が無事刊行されるか心配になってくる。

 なんでもコンピュータ化すればいいというものでもなかろう。

 JR中央線のダイヤ回復が遅いのは、97年に導入された「ATOS」とよばれる最新鋭のコンピュータ・システムに原因があるという。2時間ほどのダイヤの乱れがあると、システムダウンを起こし信号を制御できなくなる。職員による手作業のポイント操作のほうがダメージははるかに小さくてすむ。

 このようにコンピュータの2000年問題は、一見すると便利で快適な現代社会の意外なもろさを教えてくれた。これがローテクを見直すきっかけになれば、究極のローテク社会から2000円札に引っぱり出された紫式部も喜ぶと思うが、いかがか。

1999年11月


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