『続・クルマ社会を批判する』

   西川伸一  * 浅沼ゼミナール『ZoonPolitikon』第10号(1993年3月)

 1万1451人。この数字は昨年1年間に交通事故で死んだ人の数である。昨年もまた死者数は1974年以来最悪の記録を更新した。政府は89年に「第二次交通戦争」を宣言しこの問題に取り組んできたが、「戦死者」は一向に減らない。この数字の前では、免許保有者1人当たりやクルマ1台当たりの死者数は一貫して下がっている、と言ってみたところで何の気休めにもならない。しかも警察庁が発表するのは事故後24時間以内の死者数であり、欧米の統計のように事故発生後30日以内の死者数だと、およそ3割増、つまり1万5千人近くにも達する。そしてこの墓標の各々は、目を背けたくなるような、文字どおり凄惨な事故死の鮮血によって血塗られているのである。

 その一例を紹介しよう。これは1991年11月、鳥取で幼い3姉妹が瞬時にして亡くなったときの模様である。「無残だったのは、いちばん下の郁里ちゃんだった。首がちぎれ、歩道上にはバラバラになった手や肉片が、白い通学帽、靴、ランドセルなどとともに散乱した。…のちに地区の人たちが、郁里ちゃんの細かい肉片をきれいに拾って、お棺に入れてくれた。肉片を拾っている様子の写真が、地元の新聞に載った。現場は血の海で、その後何日も跡が残っていた。」

 形なき遺体…。交通戦争の激戦ぶりがわかろう。それにしては、普段耳にする通り一遍にニュースのなんと無機質なことか。これでは、5年連続で毎年死者が1万人を超えたと聞いたところで、何の痛みも感じない人がいても、無理からぬ気がする。しかしこの数字を累計すれば、そうした人々の心も動くかもしれない。46年から起算して戦後の交通事故死者数を合計すると、46万3551人に及ぶ。これだけで優にヒロシマ、ナガサキの死者数を上回る。もちろんこれは警視庁の発表であるから、実際の「戦死者」はこの3割増である。すると60万人。太平洋戦争の戦死者(兵員)の半数を超える数だ。スケールをアメリカに求めると、1899年(交通事故死者第1号が出たと言われる年)以来の交通事故死者数の合計は、湾岸戦争も含む、アメリカ独立以来のすべての戦争の戦死者の合計を上回っている。戦争は遠い国の出来事ではない。まさに我々は常に戦場にいるのだ。

 では、輪禍の被害をなくすためになにをすべきか。事態を重くみた運輸省は、つい先日の1月18日、時速50キロ同士で正面衝突しても人体に深刻な損傷を与えない衝撃吸収性能の義務づけなどを骨子とした、10項目の保安基準の改正を発表した。これには「棺おけ型」といわれる乗車中の死亡事故対策として、後部座席にも3点式シートベルトを装着することや、未着用で運転した場合に警報を発する装置の着装の義務化も含まれている。しかしクルマの保安基準をいくら厳しくしたところで、歩行者や自転車利用者を巻き込む事故が減るとは思えない。誤解を恐れずに言えば、憤怒にたえないのは、無謀運転のクルマが無くの第三者をあやめる事故であって、クルマ同士の事故ではない。いくら「安全車」をつくってみても、それを運転するのは人間である。

 ドライバーの「心」の問題は大きい。だがそれと併せて指摘したいのは、日本の道路事情のひどさである。いや渋滞のことではない。歩行者の視点が欠落していると言いたいのだ。狭い道の両側に歩行者は追い込まれ、そのすぐ脇をクルマが疾走してゆく。歩行者はビクビクあたりを見回しながら「戦場」の「前線」を「匍匐前身」しなければならない。人間よりも機械であるクルマの方がエライとはなんと倒錯していることか。高速道路やバイパスをつくる資金があるのなら、歩行者や自転車利用者が安心して使える「低速道路」づくりに回してほしい。そうすれば確実に悲劇は減る。だいたい、バイパスをつくっても、便利な道をつくれば利用者も増えるわけだから、また渋滞する。この悪循環を断ち切り、人に優しい国土づくり、まちづくりへの発想の転換をできないものか。

 だが、クルマの「性能」の向上や道路事情の「改善」といった程度では、対症療法の次元にとどまるにすぎない。クルマ社会による戦争の常態化の抜本的な廃絶を目指すには、その構造を睨んだトータルな批判が必要となろう。そこで参考になるのは、「戦争は政治の継続である」という教えである。かつて、クラウゼヴィッツのこの言葉に学んだレーニンは、第一次世界大戦という悪魔的戦争を引き起こす本質的動因を帝国主義段階に達した資本主義に見抜き、資本主義の廃絶こそが地上からの戦争の一掃につながると考えた。同様に、ローザ・ルクセンブルクもこの戦争に際会して、「社会主義か野蛮か」というスローガンを提起した。社会主義を実現しなければ、戦争がもたらす野蛮状態から永遠に逃れられないと断じたのである。このひそみにならえば、今日は「脱クルマ社会か野蛮か」である。

 すなわち、交通戦争を不可避とするこの社会の根本原理から批判しなければならない。前項でも触れたように、それはフォーティズムとよばれる大量生産、大量消費を軸とした現代資本主義の編成様式に求められよう。フォード・システムと言えば、通常、テイラーの「科学的管理法」をベルトコンベヤの導入によって機械化したものを思い浮かべる。しかし、むしろここで重視したいのは、ヘンリー・フォードが採用した「ファイブ・ダラーズ・デイ」である。彼は自分の自動車工場の労働者の日給を、一挙に当時の相場の倍の5ドルに引き上げたのであった。これにより彼らの 3ヶ月分の給料でT型車が買えるようになった。もちろんこの大幅賃上げは、労働者に対するフォードの恩情を示すものではない。その狙いは、タコが自分の足を食べるように、流れ作業によって大量生産される商品の消費者を自前で調達することにあった。かくてクルマが爆発的に普及し、交通犠牲者の数も急増したのは言うまでもない。

 その意味では、「社会主義」はフォーティズムに敗れたのだった。要するに、単調な労働に従事する労働者に自由な消費生活を享受させることができなかった。それが「敗北」の大きな原因であろう。たとえば、かつて「社会主義の優等生」という「枕詞」をもって語られた東ドイツですら、国民軍トラバントを申し込んでから手に入るまでに12年もかかったのである。こうしたことを察知してか、「和平演変」を恐れる中国は、国を挙げて自動車産業を育成しようとしている。自動車産業は関連産業の裾野が広く国の近代化にはもってこいの側面もある。しかし10億を越す人口を抱える中国がモータリゼーション化したらどうなるか、考えただけで空恐ろしい。

 ところでマルクスは、「必要に応じて」という必要分配原理が支配する共産主義社会を実現するためには、あふれるほどの富を生み出さなければならないと述べた。生産力至上主義とも言えよう。皮肉なことにそれへの近道は、資本の側の蓄積欲求を根底に据えたフォーティズムを採用することだったのである。自動車産業のみならず、現代の資本主義社会を切り回してきたのは、フォードの工場ではじまった生産=消費のメカニズムを全社会に浸透させた蓄積体制なのである。だが今や、フォーティズムは交通事故にその弊害を象徴的に示しつつ、地球環境のエコロジー的危機まで引き起こし、人類の存続そのものと対立している。どこまで成長すれば気が済むのか。ウェーバーの表現を借りれば、現代は生産力至上主義という「魔術」からの「解放」(Entzauberung)が日程に上っている。

 交通事故という身近な問題を出発点として、それを必然化する社会のしくみまで考えてみた。実は輪禍の犠牲者は、フォーティズムによる「構造的暴力」の所産であったのだ。「脱クルマ社会か野蛮か」というスローガンはこの文脈でこそ把握されなければならない。しかし、通常の戦争と異なり、交通戦争は被害が局所的である。そのため「反戦」運動も交通安全という皮相にとどまり、構造的本質までは迫りにくい。自分さえ事故に遭わなければよいということではなく、もっと大きな視点に立つことが必要とされる。そこから、イデオロギー的絶叫に終わらない有効な社会批判の武器が研ぎすまされると思うのだが。

 付記・今年の「戦死者」は2月6日に、すでに千人を超えている。

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