学生による新入生向けガイダンスブックの作成

   西川伸一『大学時報』321号(2008年7月)90-93頁。

1)不本意入学意識に悩む新入生
 毎年4月、新入生たちは様々な思いを胸に大学の門をくぐる。「入学おめでとう」という言葉を、素直に喜べない学生たちも少なくない。偏差値で入学難易度がランキングされている限り、いわゆる不本意入学者は必ず出てくる。コンパなどで同席すると、共通の話題が受験の失敗談しかない彼らの会話を、わたしは苦々しくながめてきた。
 不本意入学者をどうケアして、入学した大学・学部に誇りを持ってもらうか。これは、わたしの勤務先に限らず、大学教育に携わる多くの者にとって直視せざるをえない課題であろう。
 いきなり大教室に放り込んで、一方通行の授業を受けさせるだけでは、「こんな大学に来るんじゃなかった」と彼らの失意をますます深めかねない。君たちは匿名の「マス」ではなく、一人ひとりが顕名の「個」なのだ──このようなメッセージを学部教育から発することができれば、彼らの心に巣くう不全感はかなり払拭されよう。それゆえ、わたしは1年次での少人数教育が重要だと考えている。
 とはいえ、わたしの勤務先のように1000人を超える1年生全員にゼミナールを履修させるのは、物理的に不可能にちかい。次善の策はないものか。いいアイデアを思いつかないままに、毎年桜が散っていった。

2)学部長「命令」下る!
 さて、2005年4月6日(水)のことである。新年度第1回の教授会の前に学部長によばれた。おそるおそる学部長の前に座ると、学部教育振興プロジェクトの一環として、大学生の学び方についての冊子を作成してもらえないか、という依頼であった。これを学部の新入生全員に配布したい、と。私の所属する学部では、学費に含めて学部独自の予算となる「実習費」を、毎年度1万円ずつ学生から納付してもらっている。4年間在籍するわけであるから、一人4万円の負担である。
 学部ではこの4万円を学部教育振興プロジェクトに使用して、同額分を学生に還元する方針をとっている。これを原資にTOEICを全員に受験させたり、就職支援セミナーや企業実習を学部独自で実施したりと、学部の個性をアピールしてきた。そして、新1年生に対する導入教育にも「実習費」を活用したいというのが、学部長の内意であったようだ。
 その折、学部長から他大学が発行した類書をお貸しいただき、『地球の歩き方』の政経学部版のようなものができないか、とコンセプトを示唆された。その日の日誌にわたしは「断る選択肢はなさそう」と書いている。事実上の学部長命令と観念した。

3)『政経の歩き方』誕生まで
 1年生全員が最初に手に取る本として、どのような内容にしたら読んでもらえるのか。学び方をわかりやすく解説するとしても、類書のように教員が書くとなると、やはりカタイものになってしまうのではないか。
 学部長からの宿題に、わたしはしばらく頭を悩ませた。やがて思い当たったのが、わたし自身の不本意入学という負の記憶、さらに同じ思いを断ち切れずにいる新入生たちを励ましたいという年来の願いである。
 明大政経に入ってよかったと彼らの心を入れ替えさせる、「元気が出る」本をつくるのだ。そのためには、教員ではなく政経学部の学生自らが政経の魅力を熱く語ってくれるものがいいのではないか。ようやく本のコンセプトが固まっていった。書名は学部長のヒントからすぐに『政経の歩き方』と決まった。そこに、学び方に限らず、政経学部生としての学生生活の道案内になる本にしたいという意味を込めた。
 こうなると、学生スタッフを集めなければならない。若手教員3名の応援をいただき、それぞれのゼミから3〜4名の志願者が出てきた。1年から4年まで総勢15名である。当然のことながら、初年度がいちばん苦労した。手本とすべきもののない白紙からのスタートである。
 初回会議では、この企画の趣旨を説明し編集長をはじめ「幹部」を選任した。夏休み前の第2回会議はブレーンストーミングであった。学生スタッフ各自に記事にしたい事柄を思いつく限り、1件ずつカードに書いてもらった。それをテーブルの上にランダムに並べて、トランプの神経衰弱のように類似の項目を重ねていった。文化人類学者の川喜田二郎が考案したKJ法を応用したわけである。こうして記事項目の骨格がおぼろげながらできてきた。
 大学での勉強のやり方や履修ガイド、ゼミ案内やサークル選びのコツ、学生生活で注意すべきこと、大学付近で学生に人気のある飲食店の紹介、1年生にはまだ早いが就職活動体験談、政経の学生俗語を辞書配列でまとめた「政経用語の基礎知識」、さらに、政経学部生に投句してもらう「政経川柳」をはみ出しで欄外に載せる、などなど。教員ではとても思いつかないバラエティに富んだ企画案がそろった。わたしのリクエストで「脱不本意入学講座」も入れてもらった。
 そして、スタッフそれぞれへの夏休みの宿題として、担当記事を割り当てた。スタッフ間の連絡はメーリングリストで行い、原稿はHP上にアップさせ、相互に意見を述べ合うというシステムも整えた。学部教員の立場から不穏当な表現を改めさせる「検閲」が、わたしの仕事となった。

4)「学生手作り」にこだわる
 原稿ばかりでなく、表紙やカットなどもすべて学生の手作りにしたい。しかし、当初のスタッフに絵心のある者はいなかった。ある学生スタッフから、美術研究会に照会してみてはと言われ、ウェブで明大美研のHPをさがし、そこに出ていたメールアドレスにこちらの意向を伝えた。やがて先方の幹事長から返信があり、手を挙げた者が一人いるとのことであった。
 手みやげをもってその学生を「くどき」にいったことが、懐かしく思い出される。文学部所属の彼女には1冊目〔2006〕と2冊目〔2007〕の表紙を描いてもらい、3冊目〔2008〕(写真参照)はやはり文学部の彼女の後輩にバトンタッチされた。


【写真説明:『政経の歩き方2008』の表紙

 「手作り」にこだわるポリシーは、1冊目の「はじめに」に明確に宣言されている。書いたのは当時の3年生スタッフである。
 1.政治経済学部の“生きた情報”を
 2.“現役”の政治経済学部生によって
 3.わかりやすく、明快に、親しみやすく伝えたい!
 もちろん、すべてが順風満帆だったわけではない。編集方針をめぐって、一部の学生スタッフとわたしが対立したこともあった。彼らは一切合切を学生に委ねてほしかったようだが、学部の公金を使う事業の1年目でそこまで任せる度胸はわたしにはなかった。そのため版下をわたしがワードでつくる羽目になり、できばえには素人臭さが目立った。おまけに、1冊目は一部の頁をのぞいてモノクロであった。
 結局、わたしの懸念は杞憂であったことがわかり、2冊目以降は編集をほぼ全面的に学生スタッフに任せている。フルカラーになったことも手伝って、面目を一新した。また、2冊目からは「校閲が趣味だ」という大型新人がスタッフとして加わり、わたしの「検閲」の負担を大幅に減らしてくれた。
 もはやわたしの仕事といえば、2か月に一度の編集会議(写真参照)の会場を確保すること、数を間違えずにお弁当を注文すること(これだけは学部のお金で出る)、さらに編集会議後の飲み会で財布をはたくことぐらいか。


【写真説明:編集会議の様子(2007年10月27日)】

 とまれ、『政経の歩き方』の奥付には、発行責任者である学部長名の下に、編集責任者である学生編集長の氏名が燦然と輝いている。

5)『政経の歩き方』の教育的効果
 『政経の歩き方』の裏表紙には、「歩き方」編集局のメールアドレスが掲載されている。1年生から「ご意見・ご感想」をフィードバックしてもらうためである。ところが、残念なことにほとんど反応がない。わたしの当初の狙いがどのくらい達成されているのかは、3冊刊行してもまだよくわからない。
 しかし、手応えもある。学生スタッフが着実に成長していく姿だ。ゼミの先生に勧められ、あるいはすでにスタッフとなっている先輩や友人に誘われてスタッフとなった学生が、編集会議を重ねるごとに、わたしに対しても、スタッフに対しても心を開いていく。わたしに対する呼びかけのことばが、「すみません」から「先生」に変わる瞬間が必ず訪れる。スタッフ同士の学年を超えた交流が毎年度生まれる。
 記事を書くために、彼らは大学周辺の飲食店に取材にいき、学部OB・OGの社会人にアポを取り居ずまいを正してインタビューにいく。相手が星野仙一氏のような超有名人であっても物怖じせず、コメントを取ってしまう(ついでに写真も!)。文章表現も最初は要を得なかったものが、くだんの校閲担当者のキビシイ指導よろしく、格段に上達させていく。
 わたしはたびたび彼らの行動力に驚嘆させられ、その潜在力が花開くことに目を細める。少なくとも、学生スタッフにとっては、たとえ入学時に不本意感を抱えていても、それは消し飛んでしまっていよう。
 すでに『政経の歩き方』は2009年度版の準備に入っている。学生スタッフからは、よその学部や大学が真似するんじゃないですか、と心配する声がたまに上がる。その都度わたしは、それまでに他の追随を許さないものにするんだ!と檄を飛ばしている。

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