追悼・斎藤晢教授

西川伸一 『政経論叢』第77巻3・4号「編集後記」(2009年3月)

 斎藤晢教授の突然の訃報に接したのは、2007年12月7日のことである。しばしことばを失った。2007年度を病気療養で休まれていた斎藤先生に、わたしが最後にお会いしたのは2007年2月1日である。とある研究助成を受ける席に同席し、そのあと飯田和人学部長(当時)と3人で新橋ちかくの居酒屋に二次会へと繰り出した。
 先生のスーパー・ドリンカーぶりはつとに知られている。このときも先生はよく飲まれ、政経学部が抱える課題やご自身の研究生活について、縦横にお話しされた。その貪欲な研究姿勢に襟を正したことを覚えている。
 これが斎藤節の聞き納めになるとは、まさに夢にも思わなかった。そのときは、ご自身の体調に触れられることはほとんどなかったが、すでに病魔と闘われていたのだろう。ご心中を察して余りある。
 さて、私事にわたるが、斎藤先生にはわたしの昇格審査のすべてに副査としてかかわっていただいた。とりわけ、専任助手から専任講師へ、専任講師から助教授への審査では、審査の学科会議終了後に「欠席裁判みたいで悪いから」と先生が書かれた報告メモを渡された。
 それらは、わたしの拙い論文を十分に読み込んだ上でのシャープな批評であった。先生が貴重な研究時間をさいてここまでしてくださったことに、恐縮したものである。鋭利な刃物のような先生の直言をわたしは「永代保存」し、論文執筆に行き詰まると決まって読み返すことにしている。そして、己の進歩のなさに必ずため息をつくのである。
 奥様の斎藤絅子文学部教授からの香典返しに添えられた書状には、「九月末に再発が確認されましてからも、いろいろな本をむさぼるようによんでおりました」とある。研究者のすさまじい執念をみる思いで、感動しつつ拝読した。斎藤先生のこの執念を万分の一でも受け継いでいくことが、残された者の責務であろう。
 衷心よりご冥福をお祈りしたい。
2008年10月21日

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