鈴木宗男『闇権力の執行人』の衝撃度

   西川伸一  * ゼミ機関紙『Beyond the State』第7号(2006年) 巻頭言

 鈴木宗男といえば、恫喝、傲慢、腐敗といったイメージが染みついた政治家である。おとなしいお公家集団である外務省に食い込み、専横をほしいままにした。たとえば、態度が気に入らない官僚を殴りつける、「北方領土」の支援事業に横車を押して自分の息のかかった業者に受注させる、ODAによるケニアの発電所建設に介在して裏リベートをかすめ取る、などなど。

 「疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」とまでよばれ、二〇〇を超えるムネオ疑惑がマスメディアをにぎわせた。二〇〇二年のことである。

 ところが、本書『闇権力の執行人』(講談社、二〇〇六年)によれば、これらはすべて事実無根であり、検察の国策捜査による濡れ衣なのだという。

 国策捜査とはなにか。「国民の前に生け贄のヒツジ≠差し出して、失政に対する怒りや不満をそらすことだ」(三〇一頁)。容疑があるから逮捕するのではく、逮捕それ自体が目的となる。容疑はあとからでっち上げる。この場合、「特定の意図=『鈴木宗男の逮捕ありき』を持った捜査」(三〇三頁)だった、と。

 それでは、なぜムネオが狙われたのか。外務省のよそ者でしかない彼が「知りすぎてしまった」からである。外務省の裏側で行われる様々な錬金術を、外務官僚たちの赤裸々な生態を。要するに、外務省がつくる「闇権力」の腐敗堕落の根深さを。官僚組織という国民の審判を決して受けない権力者集団を、筆者は「闇権力」とよぶ。

 より広い文脈では、筆者の盟友である佐藤優(元外務省主任分析官。現在は外務省休職中)の指摘が的を射ているように思う。すなわち、小泉政権が推し進める「小さな政府」路線は、ケインズ型の公平配分の論理からハイエク型の傾斜配分の論理への転換を意味している。

  「鈴木氏の機能は、構造的に経済的に弱い地域の声を汲み上げ、それを政治に反

  映させ、公平配分を担保することだった。〔中略〕鈴木宗男型の『腐敗・汚職政治

  と断絶する』というスローガンならば国民全体の拍手喝采を受け、腐敗・汚職を根

  絶した結果として、ハイエク型新自由主義、露骨な形での傾斜配分への路線転換が

  できる。結果からみると鈴木疑惑はそのような機能をはたしていたといえよう。」

       佐藤優『国家の罠』(新潮社、二〇〇五年)二九三-二九四頁。

 本書には、数多くの外務官僚(退職者も含む)が実名・写真入りで登場する。対ロ外交責任者である松田邦紀(現・欧州局ロシア課長)は、赤坂の料亭で次のような「幼児プレー」を筆者の前で披露した。

  「松田さんは・・突然倒れこんで自分の両足を持ち上げて広げた。なんとオムツを

  替えてくださいというポーズをするのだ。〔改行〕さらに、座敷に寝転がって両脚

  をバタバタしながら、しばらく『幼児プレー』を続けた・・」二六-二七頁。

 これは単に酔っぱらいの醜態ではない。「自分の恥ずかしい姿を私に見せて、その秘密を共有し、運命共同体のような気分にさせるという狙いがある」と筆者は分析している。「きわめて高度な戦術」なのである。その後、松田ら外務官僚は「鈴木先生」に飲み食い代をツケ回し、その総額たるや一億円をはるかに超えていた。それを支払える筆者の政治資金の集金力もすごい。

 さらに、「私立大学出身者初の事務次官」の期待がかかる杉山晋輔(現・中東アフリカ局参事官)の「ろうそく遊び」は、もっと強烈である。

  「ある料亭では、裸になって肛門にろうそくを立て、火をつけて座敷中を這い回る

  という『ろうそく遊び』なる下劣な座敷遊びに興じていたとうのだからあきれても

  のがいえない。」二三四頁。

 実はこの杉山は、外務省機密費(いわゆる報償費)二億円(!)を着服した疑惑がもたれている。一九九七年二月下旬にある週刊誌がこれを報じたが、外務省が週刊誌側と「取引」して「実名と顔写真を出さない」迫力に欠ける記事になった。その後、疑惑報道は立ち消えになり、杉山は順調に出世していった。この二億円は「ろうそく遊び」をはじめとする料亭や銀座のクラブでの遊興に費消されたのである。

 杉山は外務省の幹部たちと血税を使った豪遊を繰り返し、「人脈作り」にいそしんだ。これだけでも言語道断であるが、もっと許せないのはこの杉山にたかった大手新聞社や放送局の記者連中だ。最初は杉山に連れられて銀座のクラブでおごってもらっていたのが、やがて記者たちだけで来店して、請求書を杉山にツケ回ししていた。

 だからこそ、二億円着服疑惑はうやむやにされたのである。本書には、このたかり記者どもの所属・実名・顔写真もぜひ載せてほしかった。

 この他、筆者にうそを見抜かれた途端に、ソファの隅にアルマジロのように丸まって固まってしまった西村六善(当時の欧亜局長)の奇行など、外務省の組織文化の腐臭が本書のそこここに立ちこめている。これでは日本外交の将来はおぼつかない。

 たとえば、二〇〇四年一一月二一日にサンティアゴで行われた日ロ首脳会談で、外務官僚は小泉首相に「愛知万博ではシベリアのマンモスが話題になっています。大統領もそのとき日本に来てくれませんか」と発言させたという。マンモスのついでにプーチンに訪日を促すとは、どういう神経をしているのか。

 一方で、こうした堕落ぶりを暴かれない手管を、当然ながら外務官僚たちは心得ている。その典型的なやり口が「便宜供与」である。国会議員や著名な学者、財界人が外遊する際には、「○○さんが行くから接待しろ」という「便宜供与電」が現地の在外公館に届く。過剰便宜供与で政治家を籠絡させるなど、「闇権力」にはお手の物だ。

 カネを握らせる、飲ませて醜態をさらさせる、カジノですらせる、などなど。これで貸しをつくる。あるいは、便宜供与した議員のあらぬ噂を流して面目丸つぶれにする。「○○先生はクリーニング代まで大使館につけ回した」という具合である。

 そこで、筆者は在外公館を訪れるたびに「寸志」として一〇〇〇ドルを必ず渡していた。若い大使館員へのねぎらいの意味に加えて、「『鈴木がメシをたかった』などといった陰口を叩かせないという計算もあった」(二三六頁)。スキあらばセンセイたちの足を引っ張り、自分たちと共犯関係に陥れようとする外務官僚たちの猿知恵には、あきれるよるほかない。とはいえ、一〇〇〇ドルもの大金をばらまく筆者の金銭感覚もどうかと思うが。

 「闇権力」に刃向かう政治家は不祥事をマスコミにリークされ排除される。それは外務省に限ったことではない。たとえば、小渕内閣で法務大臣を務めた中村正三郎は、就任約七ヵ月で事実上更迭された。シュワルツネッガーの入国書類を私的に保管していた疑いなどで国会を空転させたことがその理由である。

 ところが筆者は、これは「闇権力」の仕業、具体的には内部告発に依拠した検察の情報操作の結果だとみる。実は、中村法相は法制審議会から官僚委員を排除する方針を掲げるなど、司法改革を積極的に推進する意向を示していたのである。「闇権力」のシッポを踏んだ者は容赦なく切られる。

 では、小渕内閣当時は内閣官房副長官として政権の中枢にあり、その後も外務省との太いパイプを誇った筆者自身には責任はないのか。権力の座にあったときは、口をつぐみ、不作為をきめこんでいたのではないか。その点で、筆者は次のような後悔と謝罪の言葉を、何度も繰り返している。

  「いまになって考えてみると、私は応援団として、外務官僚の負の要素ばかり守っ

  てしまった。結果として外務省の組織としての力を弱体化させてしまった。私の責

  任は大きい。〔改行〕私はいま忸怩たる思いでいっぱいである。この点は悔やんで

  も悔やみきれない禍根であり、国民に頭を下げて心からお詫びしたい。」

          二四七-二四八頁。 

 本書に書かれていることがすべて事実だとすれば、ゼミなどで悪徳政治家の権化として鈴木宗男を茶化していた自分はなんと浅はかだったのか、と強い自己嫌悪に駆られる。真相を明らかにするため、白日の下にさらされた「闇権力」の面々には、鈴木宗男を名誉毀損で訴えてほしい。筆者は「私は闘う」と本書の最後で宣言しているのだから。

 二〇〇六年二月七日


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