朝の贅沢

   西川伸一  * ゼミ機関紙『Beyond the State』第6号(2005年) 巻頭言

 二時限目のある朝は緊張する。次女が保育園に入った二〇〇二年四月以来、目をつり上げて二人の娘を保育園に送り届け、電車に飛び乗る綱渡りの日が週に二回あった。

 しかし、二〇〇四年四月の長女が小学校に上がってからは、この緊迫度がずいぶん弛緩した。というのも、小学生になったのだから当然、長女を送り届ける必要はない。彼女は七時四五分に自宅近くでクラスのお友だちと待ち合わせて、学校に向かう。私はそれまでに次女と自分の身支度をすませて長女を見送ったあと、次女と保育園に向かう。

 すると、八時前後には最寄り駅に着いてしまう。快速電車を利用すれば、九時過ぎにはもう神保町駅に電車がすべりこむ時刻である。

 もっとも、四月のうちは次女の支度が間に合わず、このとおりには進まなかった朝も多い。あるいは、前期のうちは、込んでいる快速は避けて、各駅停車にすわって授業の予習をしたり、いねむりをしたりすることがほとんどだった。研究室に入るのは、九時半すぎであった。

 ところで、神保町駅から大学までの私の通勤経路には、コーヒーショップが三店ある。日替わりでその店を変えて、コーヒーをテイクアウトして、研究室ですすりながら、二限がはじまるまでの時間をつぶしていた。無精を決め込むと、紙袋やら紙コップのごみが机の上にすぐに散乱してしまう。

 きっかけはまったく不明なのだが、十一月に入って前述の最速コースで通勤するようになった。そして、これまたまったくの気まぐれに、テイクアウトせず店内でコーヒーを飲んでみた。三省堂自遊時間の隣にある上島珈琲店でのことである。

 早朝なので、店内は空いている。ここのいすは低くて、落ち着いて座れる。またテーブルも広くて、新聞をめくるのにもってこいである。紙コップでは味気ないし、資源をムダにしているという感覚も解消される。ここでコーヒーを飲みながら朝刊を読むひとときは、なんと贅沢なことか。

 毎日つけている私の日誌には、「二〇〇四年十一月二九日(月)・・上島珈琲店で朝の贅沢」と記されている。十二月以降、週二回の「朝の贅沢」が定着しつつある。

 かつては、ゼミの終了後、学生たちを研究室に招いて雑談することがよくあった。しかしここ数年は授業数が増え、出講する日はタイトに時間割を組んでいるため、それが思うようにできない。ゼミでは言えない学生たちの本音を聞き出す機会がなかなかもてない。

 そこで、学生たちに私の「朝の贅沢」の時間を提供したいと考えるだが、いかがか。もちろん、そのためには学生に早起きをしてもらわなければならない。漏れ聞く学生たちの生活パターンを前提にすれば、このアイディアは非現実的ということになるのだろう。

 人のことは言えない。私も学生時代は朝寝坊ばかりしていた。午前中は授業に出ても頭が冴えずうわの空。飲みに行けば鯨飲し、帰るのは必ず新宿二三時三五分発の最終急行(小田急)で、帰宅するのは零時半すぎである。当然、翌日は二日酔いで使い物にならない。なんという時間のムダづかいか。院生のころ、見かねた私の指導教授から「禁欲せよ」と、それこそ教育的指導を受ける始末であった。

 変われば変わるもので、いまでは早起きして一仕事するのが日課になっている。早起きして偉大な業績を残したゲーテは、「朝の時間は金貨をくわえている」と言ったとか。確かにいまでも早朝は黄金の時間帯であろう。電話はかかってこないし、宅配便や訪問セールスで集中力を削がれることもない。そしてなにより、朝は飲もうという気にならない。

 まだ死を意識する歳では到底ないが、私の人生はもう折り返し点を過ぎている。いまの倍はとても生きられないであろう。私より六つも年下の人が、「毎晩酔っ払って流されて生きていけば、気分は夢のようですが、あっという間に、人生は終わってしまいます」(柴田英寿『会社というおかしな場所で生きる術』実業之日本社、二〇〇四年、七六頁)と書いているのを読むとどきりとする。

 朝の魅力に気づいて以来、飲みに行っても自然とブレーキがかかるようになった。朝の黄金の時間帯でしっかり仕事をし、週二回は「朝の贅沢」を愉みたい。これがいまの私のささやかな願いである。


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