西川伸一「『三』を考える」

   西川伸一  * 西川ゼミ機関誌『Beyond the State』第3号(2002年)「巻頭言」

 幸せなことに、今年もまたこうして本誌の巻頭言を記す時期になった。言うまでもなく、これが第三号である。第一号はゼミに三年生が不在であったため、四年生のみの卒論集、第二号は四年生が二人だけだったのでずいぶんアンバランスな構成になっていた。ようやく第三号にしてゼミ機関誌らしい体裁が整ったように思う。

 しかし、この「三」という数字が実はくせ者である。後期試験の監督に駆り出されたとき、暇なので「三」のつく言葉を思い浮かべてみた。

三文文士、三日坊主、三日天下、三百代言、三子の魂百まで

 「三文」とはきわめて価の低いという意味で、「三文文士」とはつまらない作品しか書けない文士のことをいう。さしずめ私などは三文研究者である。三日坊主は解説する必要はあるまい。私の禁酒の誓いはいつも三日坊主で終わる。「三日天下」は明智光秀が天下をとりながらわずか数日で殺された故事から来ている。

 「三百代言」とはこじつけの議論をすること、またその人をさす。かつて、内閣法制局長官が国会で憲法九条についての政府解釈を説明する段になると、野党席から「三百代言!」とヤジが飛んだ。「三百」とは三百文の略で、「三文」と同様、わずかな金額というのが原意である。「三子の魂百まで」と言われると、こわくて娘を蹴飛ばせなくなる。

 そのほか、三役、三点セット、三本の矢、三部作、などなど、挙げたらきりがない。こうしてみてくると、「三」と「四」の間には大きな質的相違が想定されていることに気づく。いかにイチローといえども、「四」割を打つのは至難の業なのだ。「三」から「四」へは、マルクスが『資本論』で述べている言葉を借りれば、「命がけの飛躍」をしなければ到達できない。

 なんとかこの「命がけの飛躍」を成し遂げて、来年のいまごろ、また巻頭言のネタに苦労していたいものである。ゼミ活動のますますの充実を念じている。

2002年3月4日


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