夏休みの自由研究・学校の文化祭などで使っていただいている皆様へ
だまし絵立体・不可能モーション立体などの不可能立体を展開図から作っていただき、
ありがとうございます。これらの立体は、特殊な視点位置から片方の目で見ると(あるいは、
カメラで撮影すると)あり得ない立体や動きが見えてくるという錯覚が起こりますから、
それだけでも不思議です。でも、折角ですから、これを素材にして、目でものを見るとは
どういうことなのかを考えるきっかけにされてはいかがでしょうか。
考えてみると
面白いと思うことには、次のように、色々な切り口があると思います。
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二つの目で見るか,一つの目で見るか
これらの立体は、片方の目で見たとき、錯覚がよく起こります。左右両方の目でみると、
強い錯覚は起こりません。二つの目で見るのと、一つの目で見るのと、何が違うのでしょうか。
これについて考えると、私たちが二つの目を持っていることのありがたさがわかってくるので
はないでしょうか。
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錯覚と勘違い
目の錯覚とは、対象が実際とは違うように見えるだけでなく、本当はこうですと教えられた
後でも、やはり違って見えてしまう現象です。一方、勘違いの場合は、
本当のことを教えられれば修正できます。そこが、錯覚と勘違いの違いです。
不可能モーション立体は、回転してみて本当の形が
わかった後でも、回転を元に戻すと、また違った立体が頭に浮かんでしまいます。つまり、
教えられても直りません。ですから、これは勘違いではなくて錯覚です。では、なぜ修正
できないのでしょうか。
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立体の認識は理性でやっているのではないのでしょうか
平行線が傾いて見えるツェルナーの錯視や、同じ長さの線が違う長さに見えるミュラー・リヤー
の錯視は、網膜の構造やそこに届いた光を処理する脳回路のせいで起こっても仕方ないかなという
感じが私にはするのですが、立体の形や奥行きを認識する処理は、もっと知的レベルの高い
理性・知性でやっていると今まで思っていました。でも、不可能モーションの錯視を見ると、
立体の認識も、理性を無視して、脳が勝手にやっているという気がしてなりません。本当の
形を知ったはずの私たちの理性は、どこへいってしまうのでしょうか。
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変身立体と両眼立体視
私たちは、左右の目で見た情報を融合して、立体までの距離や、立体の形を知ることができます。すなわち、立体を二つの方向から見た画像が与えられると、それから立体の形を一意に決めることができます。一方、変身立体とそれが鏡に映った像を一枚の画像は、同様に、二つの方向から見た立体の形の情報を含んでいます。このように、数理的には、両眼立体視と、変身立体の画像とは同じ情報を含んでいるのに、私たちの脳は、なぜ、変身立体の画像から立体の本当の形を思い浮かべることができないのでしょうか。
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だまし絵立体は、作れるのに、なぜ作れそうにないと感じるのか
私たちの脳は,直角が大好きです。面と面が直角に接続されてできた立体だと部分的にでも
解釈できる画像を見ると、直角に違いないと思い込んでしまい、それ以外の可能性について
考えなくなるように見えます。だから作れそうにないと感じるのでしょう。実際には、面と面を
直角以外の角度で接続するから、立体が作れるのです。
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どうして直角が好きなのでしょう
私たちの脳は直角が大好きですが、なぜなのでしょう。生まれながらに好きなのでしょうか。
それとも現代社会は、直角をたくさん含む工業製品に囲まれているためでしょうか。
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生まれながらに直角が大好きだとしたら、それは何故でしょうか
人類は、生きていく上で直角を好むと有利なことがあったのでしょうか。そして、
それが進化の過程で身についたのでしょうか。
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経験によって直角が好きになってきたなら、そのことはどうしたら確かめられるでしょうか
工業製品に囲まれない環境で成長した人は、不可能立体の錯視は起こりにくいでしょうか。そのことは、
どうしたら確かめられるでしょうか。
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工業製品に囲まれなくても直角が好きになることはあるでしょうか
大昔の自然に囲まれた生活環境でも、直角はたくさん現れるでしょうか。そのような例が
考えられるなら、できるだけたくさん集めてみてはいかがでしょう。そして、工業製品に
囲まれなくても、直覚が好きになる可能性があるかを考えてみてはいかがでしょうか。
ほかにも、色々考えてみたくなることがあると思います。
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