掲載誌 『漢文教室』第196号,2010年5月25日発行,大修館書店,pp.1-3 |
故伊尹之興土功也、修脛者使之蹠钁、強脊者使之負土、眇者使之准、傴者使之塗、各有所宜、而人性齊矣。胡人便於馬、越人便於舟、異形殊類、易事而悖、失處而賤、得勢而貴。聖人總而用之、其數一也。大意を示すと次のようになる。
故に伊尹の土功を興すや、修脛(しうけい)なる者には之をして钁(くは)を蹠(ふ)ましめ、強脊(きやうせき)なる者には之をして土を負はしめ、眇者(べうしや)には之をして准せしめ、傴者(うしや)には之をして塗らしむ。各(おのおの)宜(よろ)しき所有りて、人の性は斉(ひと)し。胡人は馬に便に、越人は舟に便なり。形を異にし類を殊にするもの、事を易(か)ふれば而(すなは)ち悖(もと)り、処を失へば而ち賤しく、勢を得れば而ち貴し。聖人は総(す)べて之を用ふ、其の数は一なり。
天下非一人之天下也、天下之天下也。(中略)荊人有遺弓者、而不肯索。曰「荊人遺之、荊人得之、又何索焉」。孔子聞之曰「去其荊而可矣」。老聃聞之曰「去其人而可矣」。大意を書くと次のようになる。
天下は一人の天下に非(あら)ずして、天下の天下なり。(中略)荊人(けいひと)に弓を遺(おと)す者有りて、肯(あへ)て索(もと)めず。曰く「荊人、之を遺し、荊人、之を得。又何ぞ索めんや。」と。孔子、之を聞きて曰く「其の荊を去らば可ならん。」と。老聃(らうたん)、之を聞きて曰く「其の人を去らば可ならん。」と。