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「中国人の名前」についてのメモ

明治大学・総合講座「あなたの名前をどう呼ぶか」 by 法学部 加藤徹
最初の公開2008-7-14 最新の更新2009-5-18

中国人の名前のつけかたの歴史的変遷は、中国社会の構造の変遷と結びついている。
中国人=漢民族+少数民族(非漢民族)
 この授業では、漢民族の名前について述べる。
【伝統的な名前の例】 姓 諱 字玄徳
姓…日本の姓とほぼ同じ。諱(いみな)…親がつけた個人名。字(あざな)…成人後、自分で名乗る名前。
【現代中国人の名前の例】 姓 名大鳴
法的には、姓と名のみ。「字」はない。
【近現代の人物の例】毛沢東(1893-1976) 父・毛貽昌、母・文素勤の子として生まれた。
 二人の弟、毛沢民、毛沢覃とは「沢」の輩字を共有。
 字は詠芝、後に同音の「潤芝」「潤之」と改める。ペンネームは「子任」。

現代中国では「字」は廃止され、法律上は「姓+名」のみとなっている。 ただし、友人どうしや夫婦などは、幼名や「あだな」で呼び合うなど、個人名以外を多用する社会的慣習は残っている。

【大家族制と命名の習慣】 昔の中国では広く見られた。
・排行 古代は「孟仲叔季」→「宗族(そうぞく)」が形成されると増大。
  例)白楽天 姓は白、名は居易、字は楽天。「白二十二」。   cf.日本の輩行名「太郎、次郎(二郎)、三郎…」。例えば宗家(本家)の次男は「大二郎」、分家の長男は「小太郎」。
・宗族の、系譜上の同一世代(実年齢ではない)は個人名に「輩字」を共有することが多い。輩字は「通字」の一種。
【中国社会はヨコならび、日本社会はタテならび】
 中国社会では同世代間の通字(列系字)。日本社会では上下世代間に受け継がれたり(行系字) 同一名を引き継ぐ(襲名制)。
 cf.十三代目石川五ェ門、ルパン三世 ←→ 中国社会に「劉備二世」とか「七代目孔子」という発想はない。
 cf.日本の歴代の御名(天皇の個人名)は、平安時代以来「仁」が付く。
  初期は飛び石的で、第56代清和天皇の「惟仁」(これひと)、第60代醍醐(だいご)天皇の「敦仁」(あつぎみ)、第66代一条天皇の「懐仁」(やすひと)、 第70代の後冷泉天皇の「親仁」(ちかひと)、という具合だったが、 それ以来、今上天皇まで8人の例外(女帝は含まない)を除き、歴代の御名(ぎょめい)は「…仁」である。
 cf.家族以外でも、仏教の「血脈相承」(けちみゃくそうじょう)等でも、日本社会では「行系字」が普通に見られるが、中国社会には無い。
   中国仏教の例:達磨(祖師)→慧可(二祖)→僧璨(三祖)→道信(四祖)→弘忍(五祖)→慧能(六祖)→…
 日本仏教の例:親鸞(宗祖)→如信→覚如→善如→綽如→巧如→存如→蓮如→実如→証如→顕如→…

【歴史的人物の例】
官名・封爵・諡号など現代中国での呼称現代日本での呼称
仲尼文宣王など孔子孔子
玄徳昭烈帝劉備劉備
雲長漢寿亭公関公、関帝、関老爺関羽
諸葛孔明諸葛武侯諸葛亮諸葛孔明
照(曌)媚娘則天大聖皇帝ほか武則天則天武后
子美杜工部、杜少陵、詩聖杜甫杜甫
【比較参考 日本の歴史的人物】 日本には姓の他に「苗字」がある。
苗字幼名字・通称現代日本での呼称
徳川光圀千代松など子龍など梅里など水戸黄門、徳川光圀など
松尾宗房金作藤七郎など桃青、芭蕉など松尾芭蕉
【比較参考 現代日本人の姓名】 現代日本では「姓」「氏」「苗字」は同義語だが、近代以前は違っていた。
 加藤徹:姓は「藤原」、苗字は「加藤」(加賀藤原氏の意)、名は「徹」。
 もし江戸時代までであれば、「加藤徹」「藤原徹(ふじわらとおる)」「加藤小太郎(分家の長男の意)」「加藤通斎」 「加藤武州(出身地が武蔵野国だから)」などと名乗っていたはず。
 日本人の苗字の種類は多いが、姓は俗に「源平藤橘」と称されるように、あまり多くない。
 中国の姓と違い、日本の姓は身分制ともあるていど結びついていた。 例えば、天皇から征夷大将軍に任じられるのは慣例によって「源氏」に限られた。 織田信長(本姓は平朝臣)は右大臣に、豊臣秀吉(本姓は豊臣。新たに天皇から賜った)は関白になったが、 徳川家康(本性は源朝臣)は征夷大将軍となって「徳川幕府」を開くことができた。
 「加藤」は藤原氏の系統なので、幕府の征夷大将軍にはなれない(信長や秀吉が将軍になれなかったのと同じ理由)。
 また中国では「天命」を受けた者は誰でも(非漢民族でも)皇帝となれたが、 日本では、天皇家以外の者は天皇になれない。
 そもそも「万世一系」の天皇家は国内的には姓をもたない。ちなみに、中国の歴史書『隋書』『新唐書』などでは日本の天皇家の姓は「阿毎(あめ)氏」であると記述している。
 明治維新の後の西洋化政策の一環として、日本では「姓」と「苗字」を統一した。

【諡について】
諡(し、おくりな)…貴人の死後(死の直後のこともあれば、数百年後のこともある)、生前の評価に基づいて贈る個人名。
諡号(しごう)…上記の「諡」に、封号や爵号などステイタスをプラスしたもの。
例)曹操 姓は「曹」、名は「操」、字は「孟徳」、幼名は「阿瞞」「吉利」。 死後、息子の曹丕が皇帝となると、太祖武帝と追号された。廟号は「太祖」、謚号は「武皇帝」。後世「魏武帝」「魏武」とも呼ばれる。
 cf.聖徳太子<厩戸王(うまやどのきみ)、弘文天皇<大友皇子、弘法大師<空海、……

孔子の封号一覧 時代が降るほど偉くなってゆく
時 代贈った為政者封 号年月(西暦)
春秋時代哀公(魯)尼父哀公16年4月(紀元前479年)
前漢平帝(王莽)褒成宣尼公元始元年夏5月(1年)
北魏孝文帝文聖尼父太和16年2月(492年)
北周静帝鄒国公大象2年3月(580年)
文帝先師尼父 開皇元年(581年)
太宗先聖貞観2年(628年)
宣父貞観11年(637年)
高宗太師乾封元年1月(666年)
武則天(武周) 隆道公天授元年(690年)
玄宗文宣王開元27年(739年)
北宋真宗元聖文宣王大中祥符元年11月(1008年)
至聖文宣王大中祥符5年12月(1012年)
成宗大成至聖文宣王大徳11年7月(1307年)
世宗至聖先師孔子嘉靖9年(1530年)
世祖大成至聖文宣先師孔子順治2年(1645年)
至聖先師順治14年(1657年)
中華民国国民政府大成至聖先師民国24年(1935年)
・「三国志」に出てくる孔融(字は文挙)は、孔子20世の子孫。中国映画『レッドクリフ PartI』(2008年) の冒頭で、曹操の命令で処刑された人物。
・中華人民共和国 文革中は「孔老二」。改革開放後は「孔子学院」「孔子鳥」など、「孔子」の名をブランドとして利用。
【比較参考 日本の神階(神位)】 時代がくだるほどランクが上がる。伏見稲荷大社が朝廷(天皇)から「正一位」の神階を贈られたため、そこから勧請を受けた全国約4万社の「お稲荷さん」も 規模の大小にかかわらず「正一位稲荷大明神」を名乗っている。

【参考記事】サーチナ  2008/11/20(木) 12:24の記事
孔子の子孫が144万人増加、計200万人を超える
 中国共産党の機関紙・人民日報は19日、10年間にわたって行われてきた「孔子世家譜(孔子家系図)」の修訂が年内に完成し、出版されることを明らかにした。 今回の修訂の結果、孔子の子孫は前回より144万人増加し、200万人以上に達することが分かった。
 今回の修訂では健在する子孫の情報が「孔子世家譜」に追加された。健在の子孫のうち、最も上の世代は「傳」の字輩を持つ第68代で、最も下の世代は「念」の字輩を持 つ第83代となっている。字輩とは氏族の中で決められている世代を表す文字のことで、名前に取り入れられるもの。(以下、省略)

・中国の法律では、結婚後も夫婦別姓である。
 昔の中国社会では「同姓不婚」という伝統的習慣があったが、現在はない。
 同姓不婚とは、血縁者でなくてもたまたま同じ姓の男女は結婚できない、 という慣習法。逆に、いとこなど近親の血縁者どうしでも、姓が違えば結婚できた(男子は、母がたのイトコなどとは結婚できた)。
 cf.昔の日本人は中国人より「近親相姦」に寛大だった。  例えば、天武天皇の后(後の持統天皇)は、天武天皇の兄である天智天皇の娘。「おじさん」が「めい」と結婚したことになる。
 天武天皇と持統天皇のあいだに生まれた草壁皇子は、母親の異母妹(後の元明天皇)と結婚した。「おい」が「おばさん」と結婚したことになる。

・英語で自分の名を書くとき、日本人は「名+姓」の順にひっくり返す人が多いが、中国人は「姓+名」の順のままでアルファベットで書く人が多い。

・日本と同じで、名前によく使われる「佳字」「好字」がある。
 例えば干支(えと)の字でも、辰(たつ)を意味する「龍」は好んで男子の名につけられるが、亥(い)を意味する「猪」(中国では、イノシシではなくブタの意)は人名にはほとんど使われない。

・日本人が中国人の名を呼ぶときは、原則として、日本語の漢字音で呼んでよい。「魯大鳴」は日本漢字音で「ろだいめい」と読んでよい(中国語風に読むと「ルーダーミン」)。
 逆に、中国人が日本人の名を呼ぶときも、原則として、中国語の漢字音で呼んでよい。「加藤徹」は「ジャートンチェー(Jiateng Che)」と発音してもよい。
 このように、互いの国民の名をそれぞれの国語で読むというやりかたを「相互主義」と言う。
 いっぽう、同じ漢字文化圏でも、韓国・朝鮮系の人々の名前については、「原音主義」にのっとり、韓国人も日本人の名を日本語風に、日本人も韓国人の名を韓国語風に読むという原則がある。

 例) 留学生「金さん」の呼び方:中国人なら「キンさん」、韓国人なら「キムさん」。
  では「中華人民共和国籍をもつ朝鮮民族」の「金さん」はどう読む…?
  (正解:当人の希望を聞いて、そのとおりに呼ぶ)

 相互主義にしても原音主義にしても、それらはあくまでも原則である。可能なかぎり、本人の意向を尊重し「当人が呼んでほしい呼び方でその人の名を呼ぶ」のが常識的なマナーである。

・姓を見れば大まかな先祖がわかる?
江…南方系の姓。川の地名を、中国の北方では「…河」「…水」、南方では「…江」と呼ぶ。
  【比較参考】谷の地名を、西日本では「…谷」、東日本では「…沢」と呼ぶ。
林…南方系の姓。福建省や広東省に多い。「三国志演義」に林姓のキャラがいない理由は、三国志は北方人中心の話だから。
金…東北系の姓。先祖が匈奴人、蒙古人(モンゴル)、満洲人、朝鮮人の可能性がある。
姜…西北系の姓。紀元前11世紀、殷王朝を滅ぼした周の「姫姜連合」の中心人物「太公望」「呂尚」「姜子牙」。
馬…西北系の姓。先祖が遊牧民族や(三国志の馬超)、イスラム教徒(マホメットの「マ」)である可能性がある。
康…康居国(現在のカザフスタンにあった国)から大昔に中国に渡来した人々の子孫である可能性がある。
安…安息国(パルティア。現在のイランにあった国)から大昔に中国に渡来した人々の子孫である可能性がある。

「百家姓」「百姓」cf.日本の元号「昭和」の出典「百姓昭明、協和萬邦」(『書経』堯典)。

『詩経』「桃夭」「之子于帰(コのコ ココにトツぐ)」   ↑宗族間で女子を「世代越しのキャッチボール」のようにやりとりするという婚姻形態。
姓と氏は、本来違うものだった。
  姓<「女」に「生」。古代の部族集団を表すもので、一部の首長階層のみが名乗る。周王朝は「姫」姓、太公望(呂尚)は「姜」姓、など。
  氏<先の鋭い「匙(さじ。音シ)」を描いたもので、「逓(テイ。次々に送り伝える)」の意にも使う。古代においては部族集団の中の小集団を表す。
例)秦の始皇帝:姓は「嬴(エイ)」、氏は「趙」、諱は「政」。「」の字にも「女」が含まれる。
歴史書『資治通鑑』は戦国時代の開始から筆を起こす。→本格的な中国史の開幕は戦国時代(前403〜前221)。
  戦国時代に「漢民族」の文明・文化が周辺に拡大、漢民族の社会の基盤ができあがる。
  古代の「姓」と「氏」の区別は、戦国時代の下克上の風潮のなかで消滅し、姓イコール氏となる。
例)劉邦。漢の高祖。「姓は劉氏、諱は邦、字は季」。廟号は「太祖」、諡号は「高皇帝」。後世の通称は「高祖」。
「姓」をもたず「氏」だけをもつ庶民階層が皇帝になった最初の例。
「避諱(ひき)」→宰相を意味する「相邦」を「相国」に改称。cf.平清盛「入道相国」
漢代以降、姓(=氏)・諱・字・排行、という組み合わせが一般人の名前の基本構造となる。
例)姓は諸葛、諱は亮、字は孔明。「蜀漢丞相諸葛武侯祠堂碑」など。

歴代皇帝の名前
 古代においては、王朝の開祖など一部の偉大な帝王のみが廟号で呼ばれ、その他は諡号。
例)漢の武帝。姓は劉、諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。通称は「漢の武帝」、中国では「漢武」
 唐代以降は、普通の歴代皇帝も廟号で呼ぶのが一般化。「玄宗皇帝」など。明代以降は「一世一元制」に伴い、元号をその皇帝の通称名としても使うようになった。
例)明の太祖。通称「洪武帝」。ホームレスから身を起こした初代皇帝。幼名は朱重八→後に朱興宗と改名→紅巾軍に参加したころさらに朱元璋と改名、字を国瑞とする。

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