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明清楽資料庫・附録

『日本外史』の漢文への中国人の評価

最初の公開20150412 最新の更新 20150412
[清・銭懌評閲本] [復堂日記]
 清朝の文人たちは、頼山陽の『日本外史』の漢文を「中国人よりすごい」と激賞した。
 『日本外史』の漢文は「和習」だらけ、というのは、俗説にすぎない。

国立国会図書館 タイトル『日本外史22巻』 請求番号 210.13-R15n
日本外史22卷 [8] 頼襄撰,清錢懌評閲 出版地 上海  出版社 讀史堂刊  出版年 1889
DOI 10.11501/2583507 出版年月日等 光緒15
掲載誌情報(URI形式)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2609379
『日本外史評』序文より。
吾来申江、閉戸吟誦、孟冬十日、銭君子琴手抄日本外史、眎余云「是日本頼子成所著」。 余受而読之、筆老気充、辞厳議正、如読太史公『史記』、令人百読不厭、不朽之作也。
吾、申江(今の上海)に来たり、戸を閉じて吟誦す。孟冬(旧暦十月)の十日、銭君子琴(日本風に言うと「銭子琴君」。銭懌のこと)手づから『日本外史』を抄し、余に眎(しめ)して云ふ 「是れ日本の頼子成の著す所なり」と。余、受けて之を読む。筆は老い気は充ち、辞は厳かに議は正しく、太史公の『史記』を読むが如し。 人をして百読するも厭かしめず、不朽の作なり。
※「大清光緒三年丁丑十月」に、当時七十五歳だった斉学裘(1803〜?)号「玉谿」が書いた序文。
 銭子琴も「序」の中で、頼山陽の漢文を「叙事簡萩、議論明通、褒貶微顕、真良史之才、文章之矩艧也」云々と褒めている。

清末の文人・譚献(1832〜1901、初名は廷献、字は仲修、号は復堂)も頼山陽の漢文を激賞した。ざっくり言うと、
・日本人である頼山陽は「左伝」や「史記」の漢文の文体をよくまねており、その漢文の巧みさは、明の復古派の文人たちよりもレベルが上である。
・江戸時代の日本は、中国の古典古代と同様に良い意味での世襲制や封建制があったおかげで、近世の中国人よりむしろ古典漢文を学ぶのに有利だったのだろう。
・漢文の文体は完璧だが、ちっぽけな島国なのに「天下」とか「天王」など大げさな用語を使う点は、笑ってしまう。

明治大学図書館 12006-25084-1「清代学术笔记丛刊 / 徐徳明, 吴平主编」所収影印本
譚献『復堂日記』巻六 第三葉より

日本外史東国頼襄箸前仮仲瀛蔵本読過今滬上刻銭
繹子琴評本語未離時文批尾曰科頼襄読中書有意規
模左伝史記雖虎賁中郎似在前明王元美一流之上日
本世卿氏族家政陪臣頗与春秋時勢相近易于学左氏
也島上片土動称天下千里共主直曰天王一何可笑

(筆者=加藤徹が句読点をつけてみた)
『日本外史』東国頼襄箸。 前仮仲瀛蔵本読過。今滬上刻銭繹(懌?)子琴評本、語未離時文。 批尾曰「科(料?)頼襄読中書有意規模左伝・史記。 雖虎賁中郎、似在前明王元美一流之上。 日本、世卿・氏族・家政・陪臣、頗与春秋時勢相近、易于学左氏也。 島上片土、動称『天下』、千里共主、直曰『天王』、一何可笑」。

(加藤徹が訓読してみた)
『日本外史』東国頼襄箸。前に仲瀛蔵本を仮りて読過す。 今、滬上にて銭懌(原文「繹」を改めた)子琴の評本を刻す。語、未だ時文を離れず。尾に批して曰く「料るに(原字「科」を「料」に改めた)、頼襄は中書を読むに意有りて左伝・史記を規模するならん。 虎賁中郎と雖も、前明の王元美一流の上に在るに似たり。日本は世卿・氏族・家政・陪臣、頗る春秋の時勢と相近ければ、左氏を学ぶに易きなり。島上の片土なるに動もすれば「天下」と称し、千里の共主なるに直ちに「天王」(天皇)と曰ふは、一に何ぞ笑ふべき。


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