京劇とは2003年6月 加藤徹最新の更新 2016-7-17 |
||
1790年、乾隆帝(けんりゅうてい)八十歳の祝賀のとき、安徽(あんき)省から四つの劇団「四大徽班(しだいきはん)」が相次いで北京に進出して成功した。のちに湖北(こほく)省から北京に進出した俳優たちも合流した。安徽と湖北の地方劇を核とし、崑劇(こんげき)‘昆剧
’kūnjù
や梆子(バンズ)‘梆子’bāngzǐ
など他の地方劇の要素を吸収しつつ、京劇が形成された。京劇は異民族支配下の清朝に生まれたが、舞台衣装は明朝以前の漢民族の服飾文化を基礎とし、演目も漢民族の伝統的価値観を鼓吹する歴史ものが多く、清末から民国期にかけての民族意識覚醒の時流に乗り、社会の幅広い階層に支持され、全国に広まった。また北京の京劇が正統派の伝統を重んずるに対して、上海京劇(海派京劇)は娯楽性と革新性を追求するなど、地域による個性も生まれた。名優も輩出し、なかでも日本や欧米で京劇公演を行って国際的名声を得た女形(おんながた)の梅蘭芳(メイランファン)(1894-1961)‘梅兰芳
’Méi Lánfāng
は有名である(彼は中国語の原音で名前を日本人に記憶された最初の中国人と言われる)。