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京劇の町・北京にて

2000年8月撮影


  1. 北京の横町の写真(西単)
     北京人の生活の原風景、胡同(フートン)。
     雲ひとつない青空のもと。夕飯の炊事のにおいが、平屋の家々から出てくる細い路地。
     れんがと漆喰の壁にそって、遠くの井戸端会議の声が響いてきます。
    「ああ、京劇の音って、こういう音の環境から生まれたんだな」
    と、北京語の美しさを実感する一瞬です。
     北京の町並みは硬いですが、北京語の舌はやわらかく、人情は暖かいのです。

  2. 露天の票房の写真(天壇公園)
     票房とは、京劇のうたを楽しむ愛好家のクラブのことです。
     女性監督の寧瀛(ねいえい)による中国映画「北京好日」(1992年)、ご覧になったことがありますか?
     北京の公園では、毎日、どこでも、あの映画さながらの光景が展開しています。
     京劇の興業上演が慢性的に不振であるのと対照的に、最近、票房があちこちで増えているそうです。京劇復活のきざし、と喜ぶのは尚早。老齢化の波が押し寄せている、と言う方が適切なようです。
     票房では、どこでも、若者の姿を見ません。写真の男の子も、もうすぐ票房離れするでしょう。そして何十年か後、りっぱなおじいさんになったら、ふたたびシャケのようにこの公園に戻ってきて、京劇の歌を歌うのかもしれません。

  3. 清朝宮廷劇場の写真(頤和園)
     北京郊外の頤和園(いわえん)に残る、清朝宮廷特有の三階だて劇場。これは観客席ではなく、三層の大舞台です。
     かつて西太后も、ここでよく観劇しました。
     劉暁慶(りゅうぎょうけい)が若き日の西太后を演じた映画「西太后」(1985年、香港)を、見たことがありますか? いまもレンタルビデオ屋さんに行けば、ありますが・・・あの映画の中でも、このような三層の大舞台で、皇帝以下、大臣や妃たちが京劇の孫悟空もの「大鬧天宮(だいとうてんきゅう)」を観劇する場面がありました。

  4. 伝統的な劇場の写真(和平門)
     二階席から舞台を見おろしたところ。
     現在、京劇は西洋式のブロセニアム劇場で上演されることが多いのですが、近年、旧式の劇場を補修して、主に外国人観光客用に京劇を見せるところも出てきました。
     なかでも湖広会館劇場は、日本の旅行ツアー会社とタイアップして、北京旅行のコースに組み込まれています。
     この写真は正乙祠(せいいつし)劇場です。湖広会館劇場とおなじく、柱と屋根のある四角い開放舞台で、形や大きさは日本の能舞台と似ています。
     客席は普通の椅子とテーブルです。観客全員が舞台に向かって坐るわけではなく、ちょうど日本のお茶の間でテレビを見るときのように、正面以外のふたりは片方の耳を舞台にむけて坐ります。いわゆる「聴戯」(ティンシー)ですね。
     ツイ・ハーク監督の香港映画「北京オペラブルース」は、このような旧式劇場を舞台にしたアクションで、劇場の構造がよくわかります。

  5. 梅蘭芳の旧宅の写真(平安里)
     梅蘭芳(メイランファン)の故居。もともと清朝の役人の邸宅だった四合院(しごういん)を、梅蘭芳が買い取って住んでいました。現在は小さな博物館になっていて、遺品や写真パネルの展示があります。

  6. 李光夫妻の写真
     日本でも有名な京劇俳優の李光(りこう)さん、奥さんで京劇女優の沈健瑾(しんけんきん)さん。
     筆者は北京大学留学中(1990-1991)、李光さんのお宅で御飯を食べさせてもらったり、一年間自転車を貸していただいたり、ほんとうにお世話になりました。
     李光さんの出世作は革命京劇「平原作戦」です。日本軍とたたかう主役を演じ、有名になりました。
  7. 「平原作戦」の写真
     1979年、いまや日本の京劇ファンの間で伝説となっているあの訪日京劇公演では、「大鬧天宮(だいとうてんきゅう)」の孫悟空と「三岔口(さんちゃこう)」の任堂恵(じんどうけい)を演じ、日本の観衆を魅了しました。
     以来、スーパー歌舞伎「リュウオー」で市川猿之助さんと競演したり、真山青果(まやませいか)の作品を京劇化した京劇「坂本龍馬」(日本未公開)では坂本龍馬を演ずるなど、日本と深いご縁があります。
    「日本の人々はとても熱心にわたしの芝居を見てくれる。日本公演はどれも良い思い出がたくさんある」
    とは、世界中を公演した李光さんのご感想です。
  8. 2002年6月追加 新京劇「楊貴妃と阿倍仲麻呂」の舞台写真その1と、同・その2
  9. 京劇「坂本龍馬」の舞台写真。中央の武士が李光さん。
     来年は新作京劇「楊貴妃と阿部仲麻呂」で、阿部仲麻呂(あべのなかまろ)を演ずる予定だそうです。
     李光さんの親兄弟は京劇俳優ばかりという京劇一家ですが、息子さんは京劇俳優の道を歩まず、現在、日本に留学して勉学にはげんでいます。ぼくが、
    「なぜ京劇俳優としてお育てにならなかったのですか」
    とたずねると、李光さんは、
    「辛苦太多、回報太少(シンクータイドゥオ、フイバオタイシャオ)」
    と簡潔にお答えになりました。
     李光さんのような大スターにして、この言葉。とてつもない重みを感じますね。
     ちなみに、李光さんも沈健瑾さんも、中国戯曲学校の卒業生です。ぼくの妻(中国人)のおじさんは京劇俳優でしたが、お二人の先輩にあたります。
    「中国は広いが、京劇の世間は狭い」
    ということですね。
     それにしても、京劇「坂本龍馬」、ぜひ日本で見てみたいですね。残念ながら、版権の都合上、中国国内のみの上演だったそうですが・・・
     この芝居のなかの、
  10. 沈健瑾さんの和服姿の写真
    を載せておきます。京劇の俳優さんが和服をきると、日本人以上にかっこいいですね。どうしてでしょうか?

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