随筆

人口変動と中国の歴史

要 旨97,2,21開設 3,14追加


掲載紙 講談社「小説現代」4月増刊号

「季刊・歴史ピープル」

40-46頁,3月10日発売


(要旨。原文は原稿用紙換算で20枚)

 中国は大人口の国であり、おおむね二百数十年を一つのサイクルとして、人口の漸次増加と激減、というパターンを何度もくりかえしてきた。
 今から二千三百年前、孟子(もうし)が牛山(ぎゅうざん)の森林破壊に言及したとき、中国の大地には二千万人が生活していた。
 二千年前の前漢最末期には、中国の人口は約六千五百万に達した。大都市に富と文化が集中する一方、地方は過剰人口による環境破壊と貧困化に苦悩し、社会不安が増大していた。都会派知識人の典型である王莽(おうもう)は、当時の知識人たちの圧倒的支持を得て政権を取ると、儒教の古典にのっとった「儒教社会主義」とも呼ぶべき重農主義と、文化保護政策を進めた。が、結局、文明の破局の到来を防止できず、大規模な農民反乱を招いた。前漢末の混乱を収束したのは、「地方」の力をひっさげて登場した英雄・劉秀(りゅうしゅう)だった。劉秀が即位して光武帝(こうぶてい)となり、後漢王朝を開いたとき、天下の人口は、二千万人程度までに激減していた。
 現在、地球の人口は六十億人の大台に達しようとしている。一部の先進国に富と情報が集中する一方、多くの途上国は人口爆発による環境破壊と貧困化に苦悩している。
 中国の歴史をふりかえると、各王朝末期の人口崩壊を、儒教など都市の論理で防止できたことは、一度も無かった。おそらく、今後予想される地球的規模での混乱を、民主主義や資本主義など先進国の論理で防止することも、同様に難しいであろう。前漢末の混乱を収束したのが劉秀であったように、もし、地球の未来を救う力が現れるとしたら、それは、先進国の外の周辺世界から地球的規模での「地方」の力が登場した場合であろう。
 前作「倭(ヤマト)の風」でもこのテーマに触れたが、じゅうぶん書き込むことができなかった。いずれ中国を舞台にして、文明の崩壊と再生を正面からテーマにした小説を書きたいと思っている。


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