《趙州禅師語録》壁観巻下436 有婆子問「婆是五障之身、如何免得」。 師云「願一切人昇天、願婆永沈苦海」。 老婆が問うた。「このばばは、どうしたら女人五障の悪業から救われましょう」 師は言われた。「願わくば、みんなが天国に昇りますよう。このばばは永遠に地獄に落ちますよう」 |
岩生成一編『外国人の見た日本 1』(筑摩書房、1962)、サビエル(Francisco de Xavier)「神の国の開拓」p.130より引用 ※現在は「ザビエル」が普通だが、原書では「サビエル」 日本の信者には、一つの悲歎がある。それは私達が教えること、すなわち地獄へ堕ちた人は、もはや全然救われないことを、非常に悲しむのである。亡くなった両親をはじめ、妻子や祖先への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は、非常に哀れである。死んだ人のために、大勢の者が泣く。そして私に、あるいは施与、あるいは祈りをもって、死んだ人を助ける方法はないだろうかとたずねる。私は助ける方法はないと答えるばかりである。 この悲歎は、頗る大きい。けれども私は、彼等が自分の救霊をゆるがせにしないように、また彼等が祖先と共に、永劫の苦しみのところへは堕ちないようにと望んでいるから、彼等の悲歎については、別に悲しく思わない。しかし、なぜ神は地獄の人を救うことができないか、とか、なぜいつまでも地獄にいなければならないのか、というような質問が出るので、私はそれに彼等の満足のゆくまで答える。彼等は、自分の祖先が救われないことを知ると、泣くことをやめない。私がこんなに愛している友人達が、手の施しようのないことについて泣いているのを見て、私も悲しくなって来る。(アルーペ神父・井上郁訳) |
参考 西暦716年、聖ボニファチウス(Bonifacius 英 Saint Boniface)に向かって、フリース人の族長・ラードボード(ラッドボッド、レッドボッドとも。Radbod/Redbad)が述べた言葉。
「そうすると洗礼を受けずに死んだわしらの先祖には救いがないと言うわけじゃな。そして永遠の地獄に堕ちたままでいるというわけなのじゃな。そんならわしはキリスト教とやらはご免じゃ。わしはあんたがたのような一握りの乞食みたいな連中と一緒に天国に行くよりは、先祖と共にいたいのじゃ。そこがたとえあんたの言うような地獄であったとしてもじゃな」 渡部昇一『文科の時代』「天皇について <国体は何度も変わった>」より |