『品梅記』(彙文堂書店(京都)、大正八年九月十五日発行) 「梅蘭芳」天鵲 pp109-110 より引用。【 】内は筆者(加藤徹)注。原文の旧字体は新字体に改めた。 (引用開始) ![]() (引用終了) 上記の原文の表記を、現代人に読みやすいように直すと、以下のようになる。 蘭芳先生==私は、あなたを目下世界の有するもっとも貴重なるものの一つに数うるに、はばかりません。あなたの来遊を「国際的に有意義なり」とか何とかむつかしいことを言ったり、劇場の前へ「日支親善」【日中友好、の意】などという套話【原文ルビ「タオホワー」】の看板を掲げたり、また大阪では開幕前にあなたの紹介とともに日支親善を提唱したりするとぼけ者があったりしましたのは、あなたのような芸術家はかえって気にもお留めにならぬかもしれませぬが、私どものように、芸術を創造する力はなくただ少し芸術を鑑賞し得る程度の者には、悪感を催さずにはいらせませんでした。学問芸術までをそんなに国際的に解釈せねばならぬとは、不思議でなりません。しかし、貴国のように文化の進んだ国でもなお「日貨抵制」【日本製品を買うな】とか「日人駆逐」【日本人を追い出せ】とか、やかましいことをおっしゃって、「国恥記念日に梅郎上台して日人の玩遊に供するなかれ」【中国の国恥記念日の前後に梅蘭芳が日本に行き京劇を公演するのを、やめさせろ、の意。国恥記念日は、1915年5月9日、中華民国が日本の対華二十一箇条要求の承認を強要された恥辱を忘れぬため、中国人が作った記念日】などと、おのれの国の有する誇るべき国際関係などを超越したる立派な芸術を、みずから玩弄品まで引下げようとなさる方もおありのようです。国をかえて生まれたなれば、「親善」「抵制」と名前を更へて活動をする人達でがなありましょう。少くも、芸術感受性に欠乏している点だけは、大丈夫【間違いなく、の意】、共通しているようです。 |