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Critique 批評

Last updated 2020-1-22 Since 2020-1-22

〇批評や評論は「第二の創作」である。
 クリティック(critic)は、批評家、評論家、(古文書などの)鑑定家、(専門家ではなく一般人の)批判する人、いつもあら捜しをする人、などの意味。
 クリティーク(critique)は、芸術的な洞察をふまえた本格的な評論・批評の意味。
cf.三浦雅士『人生という作品』(NTT出版、2010年)
※中国語の「批評」は、日本語では「批判」の意味になるので要注意。中国語の「批判」は、日本語の「批評」の意味になるので要注意。

例 日本の江戸時代の浮世絵 → ヨーロッパで芸術作品として評価される。
 中国の京劇 → 20世紀に入り、日本や欧米人が芸術として高く評価。
 バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)の「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」BWV1001-1006 → 長いあいだ、練習曲とか、伴奏を欠いた不完全な音楽作品だと思われていた。無伴奏ゆえの不滅の名曲という真価に気付いたのは、名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(Joseph Joachim, 1831-1907)だった。
 スペインのセルバンテス(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547-1616)の小説『ドン・キホーテ』(Don Quijote、Don Quixote) → 当初は「お笑い」的な滑稽本。後に、ロシアの作家ドストエフスキー(Fyodor Dostoevsky, 1821-1881)は、これを理想に燃える人間の悲劇を描いた文学作品として再解釈し、『作家の日記』の中で『ドン・キホーテ』を「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、ここに見事にえぐり出されている」「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」(ちくま学芸文庫版、小沼文彦訳)と評価した。

〇見巧者(みごうしゃ)
 (演劇作品や物事の)見方が上手な人、また、見方が上手であること。トップ・レビュアー(top reviewer)等と意味合いが重なる部分もあるが、見巧者は必ずしもレビューを書いたり、批評や評論を発言しない。

〇岡目八目(おかめはちもく)
 当事者よりも傍観者の方が、情況や本質を客観的・大局的な見地からよく理解できる、という逆説的な現象を指す。本来の意味は、囲碁をする時、勝負に熱中して目のまえしか見えなくなっている対局者どうしよりも、それを冷静に見物している傍観者の方が、勝負の行方について八目くらい先まで「手」を読むことができる、ということ。

〇芸術は、感動、美意識、技の三要素を備えている。
 技には、作り手側の技だけでなく、作品を鑑賞者を鑑賞する受け手側の「味わう能力」も含まれる。
 批評は、作り手と受けてを結ぶ「第二の創作」である。優秀な批評は、作品のオリジナルの価値を倍増させたり、作り手の意図とは別のジャンルの作品として新しい意味づけをすることができる。

〇参考 鍵盤ハーモニカは子供向けの「教育楽器」か?
YouTube「南川朱生 pianonymous ピアノニマス」 https://www.youtube.com/channel/UClF4BBA6E8WXl-Nm2vsm2Cw
「鍵盤ハーモニカの奏法革命―文化と音楽の考現学的考察」明治大学大学院 教養デザイン研究科 特別講義 2016年10月10日実施 演奏付レクチャー
cf.コンサーティーナ concertina の楽器としての再評価


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