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北京、わが町

Beijing, Mia Urbo

 このページの写真は、すべて私がデジカメで撮ったものです。
2010.8.17 加藤 徹




北京市西城区の新文化街にある高層マンションの15階の部屋から、宣武門駅方向を見下ろす。 2010年8月撮影(以下同じ)。



下の胡同から、この高層マンションを見上げたところ。



瑠璃厰の大通り。農民風の親子が、馬車で野菜を運んでました。
自転車で走りながら、後ろから撮影。

瑠璃厰と前門のあいだの狭い路地。屋根の瓦をつきやぶって雑草が生え、古い建物は傾いています。 北京の都心には、けっこうこういう古い路地がたくさん残っています。

大通りからちょっと入った横丁の夕暮れ。
日本でいえば東京都千代田区にあたる北京の都心部です。
自転車で走ると、両脇の家から、夕食のまな板を叩く音や、テレビの音が聞こえてきました。
手を伸ばせば届きそうなほど低い電線や、屋根の瓦から空にむかって生える雑草が、いかにも胡同(フートン)らしい味わいを醸し出しています。

西絨線胡同から見た、新文化街の夕暮れ。
この大通りも、今の景色からは想像できませんが、私が北京大学に留学していたころは、昔ながらの狭い横丁でした。

中山公園の中にある「社稷壇(しゃしょくだん)」。説明プレートの記述によると── 社稷壇は、明の永楽18年(1420)に建てられた。儒教の経典の一つ『周礼』の「左祖右社」という古代の規定にしたがって、 故宮の西門である午門の外の西側に造営されたもので、 封建時代の帝王が社稷の神を祭った国家の祭壇としては、 中国に現存する唯一のものである。 社とは土地の神で、稷は穀物の神である。祭壇は正方形で、三段、青白い切石で築かれており、高さは96センチメートル。 上段は五行思想にしたがい、東は青、南は赤、西は白、北は黒、中央は黄という五色の土を敷きつめてあり、 俗に「五色土」と称され、「普天のもと、王土にあらざるはなし(普天之下、莫非王土)」を象徴している。 壇台の中央には「社主石」別名「江山石」が立っているが、 その上端はとがり根本は四角で、「国土は永く堅固である(江山永固)」を示している。 明と清の皇帝は毎年の旧暦二月と八月に、ここで祭祀の儀式を挙行し、五穀豊穣と国と民の安泰を祈った。──
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