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峨眉山と楽山大仏
最新の更新2024年1月5日 最初の公開2024年1月5日
朝日カルチャーセンター・新宿教室 2024年1月6日土曜10:30-12:00 教室・オンライン併用 見逃し配信あり。
以下、https://www.asahiculture.com/asahiculture/asp-webapp/web/WWebKozaShosaiNyuryoku.do?kozaId=4584577より引用。
中国四川省にある峨眉山は、中国三大霊山のひとつであり、中国道教と仏教の聖地です。宗教色ゆたかな文化財の数々と、聖域ゆえ守られてきた美しい自然により、「峨眉山と楽山大仏」は1996年にユネスコの世界遺産に登録されました。神仙思想や普賢菩薩信仰の聖地であり、李白の漢詩や芥川龍之介の「杜子春」、中国の伝説「白蛇伝」など文芸作品の題材となってきた峨眉山の歴史と魅力を、豊富な図版を使い、中国史や宗教の予備知識がないかたにも、わかりやすく説明します。(講師・記)
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-m9gXr9RRPyTnFT9ga4PHmD
○ポイント、キーワード
- 聖地になる理由
宗教的な聖地になる理由はさまざまだが、「方角」も一因である。
日本の神道では、近畿地方から見て東の伊勢神宮と、西の出雲大社が、二大聖地である。
中国の宗教では、「中原」から見て東の泰山、西の峨眉山が、二大聖地である。
- 西
西は太陽が沈む方角であり、「西方極楽浄土」の方角である。「釈迦涅槃図」の姿勢も北枕で、顔は西向きに横たわっている。東アジアの仏教徒は北枕を不吉として嫌うが、本来、インド文化では北枕は日常的な睡眠の姿勢である。
- 山岳信仰 mountain worship
自然崇拝の一種。山そのものを神様ないしご神体として拝む信仰で、日本にもある。
漢民族は、「仙」という漢字に見られるように山を神仏や神仙が居住する聖域と見なすことはあるが、山そのものを神様として拝む山岳信仰は漢民族のあいだではあまり見られない。
- 峨眉山 がびさん
「峨」は山が険しいさまを表す漢字。
古くは「牙門山」「蛾眉山」などの異称もあった。
「峨眉山」という地名の由来については諸説ある。
涐湄説。峨眉山のふもとを流れる川の古い名前が「涐水」だったので、その「湄」(みぎわ。川べり)にある山、という説。
美女説。美女を指す漢語「蛾眉」「娥眉」に由来するという説。蛾眉(娥眉)は、蛾の触角のように細く弧を描いた美しい女性の眉のことで、転じて美女そのものをも指す。峨眉山の山並みが、女性の眉のようであることにちなむ、という説。
ちなみに、「峨眉山」という地名は、四川省の峨眉山以外にも、東アジア各地に存在するので要注意である。河南省、安徽省、山東省、福建省、広西省、浙江省にも「峨眉山」がある。
参考
- 大仏
仏伝によると、釈迦の背丈は1丈6尺(現代日本の尺貫法では4メートル85センチ)であった。その高さの仏像「丈六仏(じょうろくぶつ)」より大きい仏像を「大仏」と呼ぶ。
- 磨崖仏
岩壁に彫られた石仏のこと。楽山大仏は、高さ71メートルにもおよぶ磨崖仏で、近代以前に作られた仏像としては世界最大。
日本では大分県に全国の磨崖仏の六、七割が集中している。
日本最大の磨崖仏は、1969年に復元された、千葉県の鋸山・日本寺の薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい) である。原型は江戸時代中期の1783年に大野甚五郎と27人の門弟が3年かけて彫刻した27メートルの大仏だった。https://www.ana.co.jp/ja/id/japan-travel-planner/chiba/0000016.html
- 楽山大仏
磨崖仏としては世界最大で、現代も観光名所となっている。
頭部の長さが14.7m。耳だけでも7mもある。全長は71mと東大寺の大仏の5倍に及ぶ。
参考 https://www.travel.co.jp/guide/article/11919/
○辞書的な説明
- 以下、ユネスコ公式・世界遺産リストの https://whc.unesco.org/ja/list/779 (2024年1月5日閲覧)より引用。
峨眉山と楽山大仏
四川省の峨眉山は深山幽谷を覆う雲海で知られる。漢代にはその山頂に中国最初の仏教寺院が建てられている。また楽山の大仏は、高さ17mにも及ぶ世界最大の磨崖(まがい)仏である。
参考 阪急交通社公式 https://www.hankyu-travel.com/heritage/china/emeishan.php
- 以下『デジタル大辞泉 』より引用。
峨眉山(読み)ガビサン
中国四川しせん省中部にある山。最高峰は方仏頂で標高3099メートル。天台山・五台山とともに中国仏教の三大霊場の一で、多くの寺院がある。1996年「峨眉山と楽山大仏」の名称で世界遺産(複合遺産)に登録された。オーメイシャン。
- 以下、阪急交通社の「阪急交通社トップ >
世界遺産 >
アジア >
中国 >
峨眉山と楽山大仏」より引用。2024年1月5日閲覧。
四川省成都の西南に聳える峨眉山は古来、道教や仏教の聖地とされ、中国三大霊山や中国四大仏教名山に数えられてきました。その峨眉山から数十km離れた山紫水明の地、楽山の河岸には世界最大の磨崖仏である楽山大仏が鎮座し、ともに世界遺産の複合遺産に登録されています。
標高3099mの万仏頂を最高峰とする峨眉山は、「峨眉天下秀」と称えられてきた名山。後漢時代から寺院が建立され、南宋時代に最盛期を迎えました。今も山中には報国寺、万年寺など26の古刹が点在しています。古くから聖地であったため豊かな自然が手つかずのままに残され、3000余種の植物や絶滅危惧種を含む動物が数多く生息する自然の宝庫となっています。楽山大仏は長江の支流の岷江と青衣江、大渡河の合流地点の断崖に刻まれています。かつて楽山は大量に採れる塩で潤っていました。その恩恵を仏に感謝し、また塩を運ぶ大動脈であった川の氾濫や水難事故を防ぐために、民衆の浄財によって着工されました。713年に彫り始め、90年後の803年にようやく完成を見た楽山大仏は高さ71m青々と茂る凌雲山を背に座し、その眼下には遥かな時の流れを思わせる岷江が広がります。
文化と自然の両面で価値が認められ、複合遺産として登録された峨眉山と楽山大仏。古くは仙人が住むともいわれた天下の秀峰の風光に心洗われ、千年以上の長きにわたり水運の安全と民衆の営みを見守り続ける巨大な石仏の懐に抱かれてみてはいかがでしょう。
- 以下、新潟県柏崎市の公式サイト「友好都市・友好交流都市紹介」より引用。2024年1月5日閲覧
四川省峨眉山市(2005年10月27日友好都市提携)
柏崎市・旧高柳町は1994年8月2日に「友好交流宣言書」を締結し、青少年を中心とする教育・文化の交流を通して、互いの友好を深めるため努力を続けていくこととしました。
その後青少年交流・絵画展・写真展などにより、友好交流を推進しています。
交流のきっかけ
1825年(文政8年)、中国四川省から「峨眉山下橋」と刻まれた木柱が、6千キロの漂流を経て、当時の宮川の浜に流れ着き、これを聞いた良寛が七言絶句を読みました。1990年に宮川で「良寛詩碑出立式」が行われ、同年峨眉山のふもとに良寛詩碑が建立されました。この「峨眉山下橋杭」の縁をきっかけに交流が始まりました。
峨眉山市の紹介
西南に中国4大名山の一つとされている峨眉山(3,099メートル。1996年ユネスコ世界遺産に指定)がそびえ、歴史的にも古く、名所旧跡の多いところです。人口44万人、面積1,151平方キロメートル。
良寛が詠んだ漢詩については、下記の「その他」を参照。江戸時代の新潟に漂着した「娥眉山下橋杭」の標木は、中国ではなく、朝鮮半島から漂着した可能性が昔から指摘されている。参考 関西詩吟協会「6682 『題峨眉山下橋杭』に纏わる話題」http://www.kangin.or.jp/member/hiroba/list2.php?id=6683
- 以下、千葉県市川市の公式サイトの「ホーム 市政 国際交流 交流都市 楽山市」より引用。2024年1月5日閲覧。
楽山市の概要
楽山市は、中国四川省のほぼ中央部に位置し、同省の省都、成都市から南約160キロメートルの地点にある三千有余年の歴史を持った都市です。また、青衣江、岷江、大渡河と呼ばれる3つの河川の合流点にあるところから、成都市、重慶市などの主要都市につながる水陸交通の要衝として栄えています。
気候は比較的温暖で雨が多く、土壌は肥沃で米、茶、みかん等を中心とした農作物の栽培が盛んであり、農業従事者が全人口の大部分を占める農業を中心とした都市ですが、最近では軽工業を中心とした工業部門の生産もめざましい発展をとげています。
楽山市一帯の地形は起伏に富み、良好な自然環境と景観にも恵まれ、市南部の凌雲山には世界で最も高い石仏座像といわれる楽山大仏があります。同市から36キロメートルのところには中国仏教の4大名山のひとつで、山中に数十の寺院を有する峨眉山があります。1996年12月に楽山大仏と峨眉山がユネスコの世界遺産に登録されました。
また、同市一帯は動植物の宝庫であるところから自然の博物館となっており、年間を通して内外からの観光客が絶えません。
○略年表
- 2億6千5百万年前、巨大噴火により「峨眉山トラップ」の形成が始まる。
古生代の最後、ペルム紀末期の地球規模の大量絶滅の原因は、峨眉山トラップを起こした大噴火であると考える学者もいる。
- 2世紀、後漢の時代、峨眉山に仏教寺院の建立が始まる。
- 西晋(265-315)の文人・左思(252?-307?)の「蜀都の月賦」に「引二江之双流、抗峨眉之重阻。」という語句が見える。
東晋の葛洪(283-343)の『抱朴子』「地真」や、北魏の?道元(469-527)の『水経注』にも「峨眉」という山名が見える。峨眉山は、仏教と道教の双方の霊域であった。
- 唐の時代、峨眉山の最高峰に仏教寺院「金頂」(華蔵寺)が建立される。
- 713年、唐の玄宗皇帝の開元元年、楽山大仏の造営が始まる。
当時、楽山の周辺は塩の採取によって繁栄していた。また、水運の大動脈であった岷江はしばしば水害を起こした。民衆は仏への感謝と、災害を鎮める祈りのため、僧侶の海通の指揮のもと布施を集め、凌雲寺に隣接する崖に石像を彫り始めた。
- 803年、楽山大仏が完成(古伝では871年に完成)。
大仏は「大仏像閣」という13層の木造建造物に覆われ、法衣には金箔、胴には朱色が塗られていた。が、17世紀前半の明末に建物は焼失し、大仏も風雨に晒されて劣化した。
- 983年、北宋の初め、峨眉山から140キロメートルほど離れた成都で、蜀版大蔵経(しょくはんだいぞうきょう)が成立。
- 12世紀からの南宋時代、峨眉山での仏教施設の建設が最盛期を迎える。
- 明の時代、峨眉山では道教が衰微する一方、仏教は引き続き栄えた。
- 1615年、明末の万暦43年に、峨眉山の現存最大の寺院である報国寺が創建。
- 1826年、新潟県柏崎市の浜辺に、「娥眉山下橋」の五文字を陰刻で彫り込んだ木柱が漂着し、良寛が漢詩に詠む。この木柱が、柏崎から3350キロメートル離れた中国四川省の峨眉山から川を流れ下って日本海を経て漂着したのか、それとも、東アジア各地に存在する別の「峨眉山」「娥眉山」から流れ着いたのかは、今も不明。
- 1962年、楽山大仏の修復工事。
- 1991年4月、北京大学に留学中の加藤徹は大学による「修学旅行」に参加し、峨眉山と楽山大仏にも行く。写真 #fotoPK4.html
- 1996年、楽山大仏は、近隣の峨眉山とともに、複合遺産「峨眉山と楽山大仏」として、ユネスコの世界遺産に登録された。
○その他
- 唐の李白(701-762)は青少年期を四川で過ごし、峨眉山にも旅して漢詩を詠んだ。次の七言絶句は日本でも有名である。
峨眉山月歌
峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜發清溪向三峽
思君不見下渝州
峨眉山月の歌。峨眉山月、半輪の秋。影は平羌江水に入りて流る。夜、清渓を発して三峡に向ふ。君を思へども見えず、渝州に下る。
ガビサンゲツのウタ。ガビサンゲツ、ハンリンのアキ。カゲはヘイキョウコウスイにイりてナガる。ヨル、セイケイをハッしてサンキョウにムカう。キミをオモえどもミえず、ユシュウにクダる。
- 江戸時代の曹洞宗の名僧・良寛(1758-1831)は、文政8年12月(1826年1月) に現在の新潟県柏崎市宮川浜(杉谷浜ともいう)に漂着した「娥眉山下橋」の文字が陰刻されていた木柱を見て、感銘を受け、漢詩を詠んだ。この木柱は現存し、ネットでも写真を見ることができる。
以下、『良寛全集』(良寛会、大正7年)p.57より引用。国立国会図書館デジタルコレクションのhttps://dl.ndl.go.jp/ja/pid/957395/1/36で閲覧可能。
娥眉山下橋
(序文略)
不知落成何年代
書法温雅且清新
分明娥眉山下橋
流寄日本杉谷浜
娥眉山下の橋。知らず、落成は何れの年代ぞ。書法は温雅にして且つ清新。分明なり、娥眉山下の橋。流れ寄る、日本杉谷の浜に。
ガビサンカのハシ。シらず、ラクセイはイズれのネンダイぞ。ショホウはオンガにしてカつセイシン。ブンメイなり、ガビサンカのハシ。ナガれヨる、ニッポン、スギタニのハマに。
ネットでは、字句が違うバージョンも散見する。https://example.anjintei.jp/e1-kansi-gabisange-hashikuini-daisu.htmlを参照。
- 芥川龍之介の短編「杜子春」(青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/170_15144.html で読める)で、主人公の杜子春を導くのは、峨眉山の仙人・鉄冠子である。
二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞ひ下りました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でしたが、よくよく高い所だと見えて、中空に垂れた北斗の星が、茶碗程の大きさに光つてゐました。元より人跡の絶えた山ですから、あたりはしんと静まり返つて、やつと耳にはひるものは、後の絶壁に生えてゐる、曲りくねつた一株の松が、こうこうと夜風に鳴る音だけです。
これは芥川の創作で、原典である中国の唐代伝奇版「杜子春」では華山である。なお、唐代伝奇の「杜子春」もまた、インドのベレナスの説話(玄奘『大唐西域記』巻七)の翻案である。参考 #toshishun.html
- 東京の高尾山は、西の霊性、仏教(真言宗智山派)と修験道(山伏、天狗)、人なつこいサル、など、中国の峨眉山と雰囲気が少し似ている。
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