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漢字の運命U

最新の更新2023年1月4日    最初の公開2023年1月3日
参考 [「漢字の運命I」2022.10.9]はこちらです。

  1. はじめに
  2. ポイント、キーワード
  3. 辞書的な説明
  4. 漢字の呪術性
  5. 字源のおどろおどろしさ
  6. なぜ21世紀も漢字は生き残っているのか?

はじめに  以下、
https://www.asahiculture.jp/course/shinjuku/62a6e47e-3745-2c97-71d3-63073289a138より自己引用。引用開始。
 漢字は古代文字です。お墓の卒塔婆の梵字や、西洋呪術のルーン文字より、漢字のほうがずっと古い。奴隷の首を切断して逆さまにぶらさげるさまを写した「県」や、針で奴隷の目をつぶすさまを写した「民」など、字源も残酷です。そんな怖い古代文字が、なぜ21世紀も生き残っているのか?漢字の歴史と魔性を、わかりやすく解説します。教室での受講も可。(講師・記)
 引用終了。
YouTube https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-n0pU_IRyDWWDy9IQksrJVU

ポイント、キーワード


辞書的な説明
 以下、『デジタル大辞泉』より引用。
いしん‐ざい〔ヰシン‐〕【威信財】
 王など権力者の権威や権力を示す財物。とくに、古代における銅鏡や宝剣・王冠などで、神権と王権の不可分性を象徴した。文化人類学の用語。
きゅうきゅう‐にょりつりょう〔キフキフニヨリツリヤウ〕【急急如律▽令】
 中国漢代の公文書の末尾に、急々に律令のごとくに行え、の意で書き添えた語。 のち、呪文(じゅもん)の終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師(おんようじ)・祈祷僧(きとうそう)などが用いた。
引用終了。

漢字の呪術性
○白川静の説
 古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。 高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。
出典 『白川静著作集』巻1 漢字(平凡社 1999)
○漢字に拒絶反応をもった古代日本人
 ことだま(言霊)の信仰にはさまざまなレベルがある。アニミズムのレベルでは、
「人間の姿を写真に撮ると、魂を抜かれる。同様に、自分の名前を文字で書かれ固定化されると、自分の魂が固定化されてしまう」
 という素朴な感覚により、日本では8世紀まで墓や古墳の被葬者の名前を書かなかった。大山古墳(伝・仁徳天皇陵)の被葬者が不明な理由も、邪馬台国の場所がわからない理由も、聖徳太子以前の日本人は漢字に警戒心を持っていたからである。(加藤徹『漢文の素養』参照)
 哲学的レベルでは、釈迦仏教やドルイド教、老荘思想のように
「人間は、自分の頭脳のなかにためこめる以上の知識をもつべきではない。頭脳が肥満になると、思考が不自由になる」
「人間の思考は独立した生命である。自分の年齢や時代の変化など環境に適応するため、日々不断に変化しなければならない。思考を文字化することは変化を封じることであり、思考の命を殺すことである」
「文字や言葉であらわせない物事はたくさんある。文字で書かれたものは、古人の糟粕(そうはく)にすぎない」
 という考えから、文字を忌避した。仏教のお経の多くが「如是我聞」(にょぜがもん)で始まり、『老子』が「結縄」(けつじょう)の無文字時代をユートピア視した理由も、ここにある。

○近現代の中国人は漢字の呪術性を信じないが、「呪能」感は感じている。
 清の詩人で学者官僚でもあった龔自珍(きょう じちん 1792-1841)が詠んだ漢詩。彼の「己亥雑詩」より。
古人製字鬼夜泣  古人 字を製りて 鬼 夜泣く
後人識字百憂集  後人 字を識りて 百憂 集まる
我不畏鬼復不憂  我は鬼を畏れず 復た憂へず
霊文夜補秋灯碧  霊文 夜 補へば 秋灯碧たり
(読み方) コジン、ジをツクりて、キ、ヨル、ナく。コウジン、ジをシりて、ヒャクユウ、アツまる。ワレはキをオソれず、マたウレえず。レイモン、ヨル、オギナえば、シュウトウ、ヘキたり。
(解釈) その昔、人間がはじめて文字を発明したとき、幽霊が夜中に泣いたという。
 後世の人間は、文字を学ぶと、さまざまな憂いがつのるという。
 私は幽霊は怖くないし、憂いに沈むこともない。
 とはいえ、夜、ひとりで、私の祖父である段玉裁も研究した古代の字源字書『説文解字』(せつもんかいじ)の霊妙な漢字を補っていると、秋のともしびがあやしく碧色にかがやくのだった。
(注)『淮南子』巻八・本経訓「昔者、蒼頡作書而天雨粟、鬼夜哭」。
 エナンジという古代の漢文の本に書いてある伝説。その昔、4つの目をもつソウケツという人物がはじめて文字を発明したとき、奇跡がおきた。天から穀物がふってきて、幽霊が夜慟哭した。
参考ツイート 
https://twitter.com/katotoru1963/status/1602077811313119232

本日12月12日は #漢字の日 今からおよそ5千年前の黄帝の時代、漢字を発明したソウケツ(蒼頡/倉頡)は4つの目をもつ怪人で、後に闇落ちして、「黄金バット」のナゾーになった…という伝説の真偽は定かではない(^0^;) pic.twitter.com/KZYDiy7iM9

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) December 11, 2022

○中国人の宗教と漢字
 中国の「三教」である儒教・仏教・道教の経典言語は「漢文」であり、いずれも漢字と密接不可分の関係にある。
★儒教・・・開祖は孔子(こうし 紀元前552/前551-前479)。いわゆる四書五経(ししょごきょう)は全て難しい漢文で書いてある。
★仏教・・・開祖は古代の東北インドの釈迦(生没年不明。中村元の説では紀元前463-前383)。釈迦仏教のことばはマガダ語だったが、パーリ語やサンスクリット語(梵語 ぼんご)に翻訳された。 中国ではサンスクリットからの漢訳仏典が作られ、それが日本や朝鮮、ベトナムなど漢字文化圏にも広まった。 ★道教・・・開祖は黄帝ないし老子、教祖は後漢の張陵とされるが、開祖を一人に特定するのは不可能。漢民族の民族宗教として誕生したので、霊符も経典も全て漢字である。

 中国語は音声言語、自然言語であり、「文盲」も存在できる。
 漢文は漢字の使用を前提とした書記言語・人工言語であり、原理的に「漢文話者」「漢文の母語話者」「文盲の漢文使用者」は存在できない。

 中国の三教と漢字の結びつきは、イスラム教徒アラビア文字の関係と同様、密接不可分である。

 いっぽう、世界各地の宗教の聖典を見ると、特定の「専属の文字」をあえてもたない宗教が多い。
★キリスト教・・・原典版『旧約聖書』の文字はユダヤ文字、原典版『新約聖書』の文字はギリシア文字だが、それらと同等の価値と権威をもつ各国語版聖書はそれぞれの国の実用文字で書かれている。
★仏教・・・開祖の釈迦の人種、民族、母語(マガダ語?)すべてが不明。釈迦は生前、自分の教えを文字に書くことはしなかった。
 北伝仏教のサンスクリット語も、南伝仏教のパーリ語も、大切なのは音声であり、固有の「専属文字」にこだわらなかった。

○梵字について
 梵字は、広義では「インドのブラーフミー系文字」の意味だが、狭義では「7世紀以降、密教と結びついて東アジア各地に伝わった悉曇文字(しったんもじ)」を指す。
 日本人がいう「梵字」は、お墓の卒塔婆に書いてあったりする悉曇文字を指す。
 悉曇文字は6世紀ごろ中央アジアで成立し(インドではない!)、中国の唐王朝を経由して8世紀に日本まで伝わったローカルな真言仏教系の神聖文字である。 日本では密教も梵字も寺などでよく見かけるが、中国では千年前の宋代に禅宗以外の仏教宗派が衰滅したため、梵字は日本ほどには見かけない。
 インド史は中国史と違い、始皇帝の秦や現在の中国のような、強力な独裁的統一国家はあまりなかった。またインドは多民族国家であり、文字も言語もバラバラだった。 中国で、皇帝が政治のみならず時間や言語をもそれぞれ元号と漢字によって支配したのとは、大きな違いがあった。
 仏教の原典のことばは、サンスクリット語もパーリ語も、時代や国ごとの文字表記がバラバラであるため、現代の学者はローマ字表記を使うのが原則となっている。
○日本仏教における「真読」と「訓読」
 日本人の仏教徒にとって、漢字は聖典の神聖文字でもある。日蓮仏教の「髭曼荼羅」も、宮沢賢治の「雨ニモマケズ手帳」の「文字曼荼羅」も漢字である。
google画像検索結果[文字曼荼羅 雨ニモマケズ]
 日本では、儒教の経典は「漢文訓読」で読み下すのが原則である。
 対照的に、日本仏教では、漢訳仏典を字音直読することを「真読」と呼び、漢文訓読で読み下す「訓読」より上位に置いた。
 江戸時代までの経本には、漢字の原文の左横に「訓読」のための訓点を、右横に「真読」のための読みがなをふった「両点本」も使われた。
 近現代の仏教の「真訓両読」は、上段に漢文、下段に読み下しを書いたものが多い。
参考ツイート https://twitter.com/katotoru1963/status/1494927839166021633?s=20&t=XpNsCkB3PI1QO_oiLej8gw

【自分の備忘用】島地大等(1875年-1927年)『妙法蓮華経』より 方便品第二 真読(漢訳仏典の漢文)と訓読(漢文訓読による読み下し文) pic.twitter.com/KXC0IHlFFk

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 1, 2022


○姓名判断について
 21世紀現在も日本では「姓名判断」が盛んだが、外国はそうでもない。日本の姓名判断は、日本で独自に発展したもの。
 ちなみに日本では「戒名ビジネス」など近現代の日本独特のサービス業も定着している。
 中国の漢の時代の「相字の法」 陰陽五行思想や易の思想を使って姓名に限らず文字の吉凶を判断した。
  ↓
 7世紀の日本の「陰陽道」(おんみょうどう)で、古代中国の「相字の法」を輸入。
  ↓
 平安時代に「花押(かおう)」の相を見る「花押相法」が流行。
  ↓
 鎌倉時代に、姓名の字画を相する「姓名字画相」が流行。21世紀の今日に至る。日本の姓名判断は「漢字」を原則としていることに注意。
参考サイト https://namaeuranai.biz/result/加藤_徹/男性

○元号について
 東アジアの元号は王権とともに始まった。宗教と結びついた西洋紀元とは異質である。
 日本の法律では、元号は漢字でなくてもよいはずだが、国民の大半は元号は漢字に限ると思い込んでいる。
「昭和五十四年法律第四十三号 元号法
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」
 平成から令和への改元にあたっては、
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」
「元号を改める政令」(平成31年政令第143号)
という2段階を経て、令和元(2019)年5月1日から元号が令和となった。
 平成からの改元にあたっては、元号の「脱中国化」の主張もあり、新元号「令和」の出典は日本の古典『万葉集』となったものの、元号の典拠が漢文である点は変わりない。
 令和改元の背後には、昭和初期への回帰、新たな「戦前」を始めることを意図する権力者の隠れた意志があった、という都市伝説も囁かれている。
参考 山梨県北杜市の和菓子屋・金精軒 @kinseiken_jp のツイート(午後6:55 ・ 2019年5月1日)
https://twitter.com/kinseiken_jp/status/1123526412428689408
「50冊のところを5000冊注文してしまい、昭和の部分を平成に書き直しては細々と店舗で使い続けてきた注文請書でしたが、ついに平成も終わってしまいました。//令和が終わる前には使い切りたいです。」

字源のおどろおどろしさ
○古代中国の王権のおどろおどろしさ
 最古の漢字である「甲骨文字」は、殷王朝の後期(三千数百年前)の文字であり、当時は、現代の倫理観から見て迷信的で残酷な風習が多かった。
 漢字の字源には「古代のおどろおどろしさ」が見られる。
 漢和辞典の多くは、字源の解説を載せる。漢字を考案した三千数百年前の人々のコメントは残っていないため、漢字の字源は原則としてすべて後世の学者の推定であり、学者によって諸説がわかれる。
 漢字の字源のうち「怖い」としてよく話題になるものとして「県」「民」「聯」「取」などがある。また白川静(しらかわ・しずか)の字源説では「白」「道」の字源解釈も「怖い」。
 以下、47NEWSのネット記事「(122)「県」 ひもで木にぶら下げた首」(2010年11月29日 共同通信)より引用。
 https://www.47news.jp/22954.html
 白川静さんの漢字学で文字の由来を知ると「漢字って、怖(こわ)い字が多いなあ」と思います。今回紹介(しょうかい)する「真」や「県」は、その代表みたいな字。
 「真」の旧字「眞」は「匕(か)」の下に「県」の字を合わせた形です。「匕」は人が倒(たお)れた姿で、人の死を意味しています。この「匕」に「(人ベン)」を加えた字が「化」です。
 「化」の古代文字に左側に立っている人の姿があり、右側にそれが上下逆転した形があります。それが組み合わさった字形が「化」の古代文字。これは転倒(てんとう)した死者の姿を表しています。
 つまり「化」の「かわる」という意味は、単に変化するという意味ではなくて、「人が死者に変化する」ことです。
 「眞」の下部は「県」です。その「県」の下部は「小」ですが、もともとは「巛」の形でした。
 この「巛」は髪(かみ)の毛が下に垂れ下がった姿です。つまり「県」は人の首が逆さまにかかっている姿を文字にしたものです。その「県」の旧字「縣」は「県」と「系」を合わせた文字で、「系」はひものことです。
 ですから「縣」(県)は、木にひもで首を逆さまにぶら下げている姿。木に首を逆さまにぶら下げていることから「かける」の意味があります。
 首を木にかけるなんて本当? そう思う人もいるかもしれません。でも「県」(縣)の古代文字を見れば納得してもらえると思います。確かに「県」は怖い字ですが、これは3千年前の古代中国の考え方から生まれた字です。現在の価値観だけで考えてはいけません。
 その「県」(縣)が後に行政単位の県の意味に使われるようになり、「縣」に「心」を加えて「懸(けん)」が別につくられました。「懸」は「あることに心をかけて懸念(けねん)する」意味の文字です。
 以上説明した「県」と「匕」(死者の転倒した姿)を合わせた「真」(眞)は不慮(ふりょ)の災難で亡くなった行き倒れの人のことです。これも怖い文字ですね。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

○字源研究の学者やファンダム(fandom)層の対立抗争のおどろおどろしさ
 白川静(1910−2006)と藤堂明保(1915−1985)の「論争」
白川説 文字学的。字形の分析と祭祀儀礼(推定)を重視。辞典に『字訓』『字統』『字通』(平凡社)など。
藤堂説 言語学的。字音の再建(推定)と「単語家族」を重視。辞典に『学研漢和大字典』など。

 発端は、岩波書店の編集者が、岩波新書の新刊書である白川静著『漢字』の書評を、よりによって藤堂明保に依頼したこと。
 藤堂は書評のなかで、「白川文字学」の方法論を全否定したうえで、このような本を白川に書かせた岩波書店の担当編集者を批判した。
藤堂明保 『白川静著「漢字‐生い立ちとその背景‐」』『文学』岩波書店, 38巻7号, 1970. pp.106-112より
要するに白川さんのこの書は、『漢字のなりたち』を説いた書としては、どうもふさわしくない。そうではなくて、古代に発した宗教儀礼が後世にどう変貌し、古代人の心がどのように後世の事象に反映したか、という中国の文化史の一つとして読めば、大変おもしろい。じつをいうと、その点では私もたいへん教えられた。この本をよんでおもしろいと感じるのは、まさにその点である。だから責任は、「漢字のなりたち」という企画を白川さんにおしつけた書店編集者にあるといってよい。
 その「書評」を読んだ白川静は、同じ雑誌に反論を書いた。
 白川静「文字学の方法」『文学』岩波書店, 38巻9号, 1970. pp.93-110より
私ははじめ、このような品格をもたない書評を無視する考えであった。 (中略)私がこの書の執筆者として不適当であるというような発言は、私の研究に不案内な人ならば、なお慎しむべきであろう。しかしそれも、私にとっては何の痛痒もないことである。 ついには、本書の編集部に対しても、執筆者の選択を誤まったという攻撃が加えられた。 これについては私も著者として共同の責任を負うものであるから、不本意であるが一言する必要があると思うに至ったのである。

 ちなみに不肖・加藤徹は一応、東大系であり、大学時代の恩師たちは藤堂明保先生(加藤はお目にかかったことはない)の教え子です。
 その加藤は平成26年(2014)から、福井県の「白川静漢字教育賞」の審査員をつとめてきました(^0^;)
参考サイト https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/syoubun/shirakawa/dai2kairi-huretto.html
 以下、白川静先生の言葉。
 学問というものは、誰々の、という固有名詞が付いている間はまだ本物でないの。「白川静」が消えて初めて本物になる。 そうやね、百年、三世代経て、僕の仕事が残っていたら、その時はね、もう「白川静」はいないの。 それでね、「白川静」って女の人? という具合にね、男か女か、どこで生まれたんか、いつ死んだんか、なあんにも、その個人については知られてへんというのが一番ええの。
出典 芳村弘道・西川照子・津崎史『対談 私の白川静』(エディシオン・アルシーヴ 2018/2/20)第五章
参考 加藤徹のサイト 
https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/20190528fukui-shirakawa-shizuka.html

このご時世だからしかたないけれど、マスクをしながら記念撮影すると、ちょっと残念ですねえ(^_^; 右から津崎史氏、宮城谷昌光氏、加藤徹。 pic.twitter.com/zPXIsQoQcf

— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) December 1, 2021

 現在でも、ネット上のSNSでは、白川説と藤堂説のそれぞれのファンによる罵詈雑言がときおり見られる。

 
なぜ21世紀も漢字は生き残っているのか?
 漢字が生き残っている理由は、漢字を使いたがる人が多いからである。
 漢字を使うのはかまわないが、目が不自由な人や、外国人など漢字弱者への配慮も欠かせない。

○政治的理由
 ナショナリズム:近代中国は、魯迅、毛沢東、周恩来の時代までは漢字廃止路線だった。が、鄧小平時代以降、現代中国では漢字廃止論じたいが廃止された。
 官尊民卑:東アジアの社会は官尊民卑の気風が強い。日本人も中国人も、政府が策定した漢字表を、何の疑問ももたずに学習し、遵守する。

○経済的理由
 漢字は、記憶と筆写では不経済だが、読む速度では経済的である。
 近代中国は、筆写時間の節約のため「簡体字」「横書き」を採用した。ワープロやIT機器の発達で、漢字の筆写の経済的ハンデは解決した。

○文化的理由
 日本人も中国人も、先祖崇拝や伝統重視の気風が強い。古代の王権の威信財として出発した漢字の使用は、その気風と結びついている。


【参考図書】
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