だいたい古代王権の条件は、自分の文字をもたなければならないのです。エジプトの古代王権はヒエログラフをもっていた。オリエントでは楔形文字をもっていた。中国では甲骨文字をもっていた。日本もだいたい同じ条件ですから、文字をもつべきだった。ところが、わが国では文字が生まれる前に、漢字が来てしもうたのであります。仕方がないから使うことにしたのであって、決してこちらからいただいたと卑下することはないのです。 出典 白川静『続文字講話』第一話「甲骨文について」(平凡社 2007) |
20世紀、ナチス・ドイツは、ドイツを故意に他の西欧諸国とは異なった国にしようという意図から、中世以来の伝統的なフラクトゥールを正式なドイツ語の書体とし、国際的なアンティカ体はアーリア的ではないと宣告した。 (中略)1941年1月3日、官房長マルティン・ボルマンは全ての政府機関に対して「フラクトゥールはユダヤ人の文字 (Judenlettern) なのでこれ以上の使用を禁止する」という文書を発したためフラクトゥールは公式文書から消えてしまった。 (引用終了)
いしん‐ざい〔ヰシン‐〕【威信財】
王など権力者の権威や権力を示す財物。とくに、古代における銅鏡や宝剣・王冠などで、神権と王権の不可分性を象徴した。文化人類学の用語。
きゅうきゅう‐にょりつりょう〔キフキフニヨリツリヤウ〕【急急如律▽令】引用終了。
中国漢代の公文書の末尾に、急々に律令のごとくに行え、の意で書き添えた語。 のち、呪文(じゅもん)の終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師(おんようじ)・祈祷僧(きとうそう)などが用いた。
古代にあっては、ことばはことだまとして霊的な力をもつものであった。しかしことばは、そこにとどめることのできないものである。
高められてきた王の神聖性を証示するためにも、ことだまの呪能をいっそう効果的なものとし、持続させるためにも、文字が必要であった。 出典 『白川静著作集』巻1 漢字(平凡社 1999) |
古人製字鬼夜泣 古人 字を製りて 鬼 夜泣く 後人識字百憂集 後人 字を識りて 百憂 集まる 我不畏鬼復不憂 我は鬼を畏れず 復た憂へず 霊文夜補秋灯碧 霊文 夜 補へば 秋灯碧たり |
本日12月12日は #漢字の日 今からおよそ5千年前の黄帝の時代、漢字を発明したソウケツ(蒼頡/倉頡)は4つの目をもつ怪人で、後に闇落ちして、「黄金バット」のナゾーになった…という伝説の真偽は定かではない(^0^;) pic.twitter.com/KZYDiy7iM9
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) December 11, 2022
【自分の備忘用】島地大等(1875年-1927年)『妙法蓮華経』より 方便品第二 真読(漢訳仏典の漢文)と訓読(漢文訓読による読み下し文) pic.twitter.com/KXC0IHlFFk
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) October 1, 2022
白川静さんの漢字学で文字の由来を知ると「漢字って、怖(こわ)い字が多いなあ」と思います。今回紹介(しょうかい)する「真」や「県」は、その代表みたいな字。 「真」の旧字「眞」は「匕(か)」の下に「県」の字を合わせた形です。「匕」は人が倒(たお)れた姿で、人の死を意味しています。この「匕」に「(人ベン)」を加えた字が「化」です。 「化」の古代文字に左側に立っている人の姿があり、右側にそれが上下逆転した形があります。それが組み合わさった字形が「化」の古代文字。これは転倒(てんとう)した死者の姿を表しています。 つまり「化」の「かわる」という意味は、単に変化するという意味ではなくて、「人が死者に変化する」ことです。 「眞」の下部は「県」です。その「県」の下部は「小」ですが、もともとは「巛」の形でした。 この「巛」は髪(かみ)の毛が下に垂れ下がった姿です。つまり「県」は人の首が逆さまにかかっている姿を文字にしたものです。その「県」の旧字「縣」は「県」と「系」を合わせた文字で、「系」はひものことです。 ですから「縣」(県)は、木にひもで首を逆さまにぶら下げている姿。木に首を逆さまにぶら下げていることから「かける」の意味があります。 首を木にかけるなんて本当? そう思う人もいるかもしれません。でも「県」(縣)の古代文字を見れば納得してもらえると思います。確かに「県」は怖い字ですが、これは3千年前の古代中国の考え方から生まれた字です。現在の価値観だけで考えてはいけません。 その「県」(縣)が後に行政単位の県の意味に使われるようになり、「縣」に「心」を加えて「懸(けん)」が別につくられました。「懸」は「あることに心をかけて懸念(けねん)する」意味の文字です。 以上説明した「県」と「匕」(死者の転倒した姿)を合わせた「真」(眞)は不慮(ふりょ)の災難で亡くなった行き倒れの人のことです。これも怖い文字ですね。(共同通信編集委員 小山鉄郎) |
要するに白川さんのこの書は、『漢字のなりたち』を説いた書としては、どうもふさわしくない。そうではなくて、古代に発した宗教儀礼が後世にどう変貌し、古代人の心がどのように後世の事象に反映したか、という中国の文化史の一つとして読めば、大変おもしろい。じつをいうと、その点では私もたいへん教えられた。この本をよんでおもしろいと感じるのは、まさにその点である。だから責任は、「漢字のなりたち」という企画を白川さんにおしつけた書店編集者にあるといってよい。その「書評」を読んだ白川静は、同じ雑誌に反論を書いた。
私ははじめ、このような品格をもたない書評を無視する考えであった。 (中略)私がこの書の執筆者として不適当であるというような発言は、私の研究に不案内な人ならば、なお慎しむべきであろう。しかしそれも、私にとっては何の痛痒もないことである。 ついには、本書の編集部に対しても、執筆者の選択を誤まったという攻撃が加えられた。 これについては私も著者として共同の責任を負うものであるから、不本意であるが一言する必要があると思うに至ったのである。
学問というものは、誰々の、という固有名詞が付いている間はまだ本物でないの。「白川静」が消えて初めて本物になる。 そうやね、百年、三世代経て、僕の仕事が残っていたら、その時はね、もう「白川静」はいないの。 それでね、「白川静」って女の人? という具合にね、男か女か、どこで生まれたんか、いつ死んだんか、なあんにも、その個人については知られてへんというのが一番ええの。参考 加藤徹のサイト https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/20190528fukui-shirakawa-shizuka.html
出典 芳村弘道・西川照子・津崎史『対談 私の白川静』(エディシオン・アルシーヴ 2018/2/20)第五章
このご時世だからしかたないけれど、マスクをしながら記念撮影すると、ちょっと残念ですねえ(^_^; 右から津崎史氏、宮城谷昌光氏、加藤徹。 pic.twitter.com/zPXIsQoQcf
— 加藤徹(KATO Toru) (@katotoru1963) December 1, 2021