修士論文・地方劇『秦香蓮』の成立と発展

目次および論文要旨

 これは1988年12月、私(加藤徹)が東京大学に提出した修士論文の目次と要旨を、当時のまま、www化してアップロードしたものです。
 インターネットの都合上、外字は合成文字で表示してあります。合成文字とは、例えば「仙」を[人山]、「峠」を「山+(上/下)]、等と表示する方法です。

1997,7,9


目 次

第一篇 『秦香蓮』劇とはなにか …………………………………………………一
 序 章 「地方劇」の定義と特徴 ………………………………………………二
 第一章 現行『秦香蓮』劇のあらすじ …………………………………………六
 第二章 『秦香蓮』劇の特長と特異性 ………………………………………一三
 第三章 『秦香蓮』劇研究の意義 ……………………………………………一六
小 結 ………………………………………………………………………………一九

第二篇 『秦香蓮』劇の歴史(明から現代まで) ……………………………二〇
 序 章 『秦香蓮』劇の起源に関する従来の諸説 …………………………二一
 第一章 明代 ー確認し得る最古の秦香蓮伝説 ……………………………三二
  一、明本『百家公案』中の『秦香蓮』について …………………………三二
  二、明本『百家公案』中の『秦香蓮』の特徴 ……………………………三七
  三、「原『秦香蓮』伝説」存在の可能性 …………………………………四一
 第二章 清代 ー確認し得る最古の『秦香蓮』劇の記録 …………………四四
  一、地方における『秦香蓮』劇 ー焦循『花部農譚』 …………………四四
  二、北京における『秦香蓮』劇 ー『道光四年慶昇平班戯目』 ………五一
  三、『秦香蓮』劇の二系統 ー『女審』系と『[金則]美案』系  ………五五
 第三章 清末〜民国 ー北京に於ける『秦香蓮』劇の上演状況 …………五八
  一、宮廷での上演状況 ー「昇平署档案資料」の記録より ……………五九
  二、王府での上演状況 ー溥義『我的前半生』の記述より ……………六一
  三、市内での上演状況 ー周明泰『五十年来北平戯劇史材』等より …六六
 第四章 新中国以降の状況 ……………………………………………………七九
  一、建国初期から「文化大革命」まで ……………………………………七九
  二、「文化大革命」期以降、現在まで ……………………………………八八
  三、台湾の状況 ………………………………………………………………八九
小 結 ………………………………………………………………………………九一
第三篇 『秦香蓮』を有する各地方劇の検討 …………………………………九二
 序 章 秦香蓮脚本目録 ………………………………………………………九三
 第一章 『秦香蓮』劇を有する各地方劇種の概観 ………………………一〇一
  第一節 華北 ………………………………………………………………一〇一
   一、河北…京劇、河北[木邦]子、評劇、武安平調、
                        唐山皮影、唐劇……一〇一
   二、山東…四平調、柳琴戯、山東[木邦]子(高調)、莱蕪[木邦]子、
     東路[木邦]子、哈哈腔…………………………………………………一二五
   三、山西…蒲劇(蒲州[木邦]子)、晋劇(山西中路[木邦]子)、上党[木邦]子…一三五
   四、河南…豫劇(河南[木邦]子、河南高調)、河南越調、太平調(大[木邦]子戯、
        大油[木邦])懐調(淮調、槐調)、巻戯(宣巻、眷戯)、曲劇、
        豫南花鼓、南陽[木邦]子(宛[木邦]) ……………………一三七
    五、陝西…秦腔、同州[木邦]子 ……………………………………………一三九
  第二節 華中 ………………………………………………………………一四二
   一、江蘇…淮劇(江淮劇)、滬劇、通劇 ……………………………一四二
   二、安徽…徽劇、黄梅戯(黄梅戯、采茶戯) ………………………一四八
   三、江西…[章+(夂/貢)]劇、弋腔 ……………………………………一五一
   四、湖北…漢劇(楚調、漢調、二黄)、楚劇(西路花鼓、黄孝花鼓)、
        山二黄(漢調二黄) ………………………………………一五二
   五、湖南…湘劇 …………………………………………………………一五八
   六、四川…川劇、四川曲芸劇 …………………………………………一五九
  第三節 華南 ………………………………………………………………一七一
   一、浙江…[務/女]劇、紹劇、越劇 ……………………………………一七一
   二、福建・台湾…蒲仙戯(興化戯)、高甲戯(戈甲戯)、歌仔戯、
           [草/郷]劇、平講戯 …………………………………一七三
   三、広東…粤劇、粤曲、広東漢劇、西秦戯、雷戯、粤西白戯 ……一七六
   四、広西…[巛/邑]劇、牛娘劇、広西[人/同]戯 ……………………一八二
   五、貴州…貴州[人同]戯、貴州布依戯(土戯、地戯)、黔劇 ……一八四
   六、雲南…[水真]劇 ……………………………………………………一八六
  第四節 その他…弾詞、宝巻、鼓詞、その他 …………………………一八九
  第一章総括 …………………………………………………………………一九八
 第二章 各地方劇『秦香蓮』の脚本の比較 ………………………………二〇〇
   一、『琵琶詞』をもとにして …………………………………………二〇一
   二、『柳林池』をもとにして …………………………………………二〇九
   三、『[金則]美案』をもとにして ……………………………………二一八
第三章 地方劇『秦香蓮』の成立と伝播過程の考察 ………………………二三七
   一、分布状況から考えて ………………………………………………二三七
   二、使用声腔から考えて ………………………………………………二三八
   三、歌詞を含め、総合的に考えて ……………………………………二四〇
小 結 ……………………………………………………………………………二四七

第四篇 結論 『秦香蓮』劇の文学性 ………………………………………二四九
 序 章 『秦香蓮』劇の背景にある世界観 ………………………………二五〇
 第一章 秦香蓮論 ー「母性」を備えた女英雄 …………………………二五六
   一、「忘恩負義」の系列の中で ………………………………………二五六
   二、女子の復讎パターンの集大成 ー秦香蓮 ………………………二五六
   三、「『女審』型因子」と「『[金則]美案』型因子」の融合 ……二五八
 第二章 包拯論 ー『[金則]美案』に於ける包拯の特異性 ……………二六二
   一、包拯像の変遷 ー元から明まで …………………………………二六二
   二、清朝地方劇に於ける包拯の特異性 ………………………………二六四
   三、「包拯もの」に『[金則]美案』が加わった意義 ………………二六五
   余論の一、臉譜からの傍証 ……………………………………………二六七
   余論の二、包拯の唱の難しさについて ………………………………二六九
   余論の三、浄の進化に於ける包拯の存在 ……………………………二七〇
   付図 明代以前の包拯の化粧法 ………………………………………二七二
   付図 包拯の化粧法の変遷 ……………………………………………二七三
   付図 地方劇に於ける包拯の化粧法 …………………………………二七四
 第三章 陳世美論 ー地方劇に於ける最初の近代人 ……………………二七五
   一、悪役の系譜と陳世美 ………………………………………………二七五
   二、五人の陳世美 ………………………………………………………二七六
   三、陳世美の墓碑銘 ……………………………………………………二八一
おわりに(中国文学史に於ける『秦香蓮』劇の位置付け) ………………二八五

附録 『百家公案』中の『秦香蓮』原文 ……………………………………二八七


修士論文

地方劇『秦香蓮』の成立と発展


論文要旨

[提出日時]1988年12月22日 木曜日
[提出者]加藤 徹(かとう とおる)学生番号76012
[専攻]中国語中国文学専攻
[版 式]サイズ:B5横とじ。分量:297頁。
     一頁字数:1188字(36字×33行)。書式:縦書き(ワープロ印字)。
     備考:副本(コピー本)あり。
[構成単位]篇・章・節・項・条。各篇の篇目名は以下の通り。
     第一篇 『秦香蓮』劇とはなにか
     第二篇 『秦香蓮』劇の歴史(明から現代まで)
     第三篇 『秦香蓮』を有する各地方劇の検討
     第四篇 結論 『秦香蓮』劇の文学性

<論文の概要>

[研究対象]中国の各地方劇(主に[木邦]子・皮黄系の各劇種)に於ける『秦香蓮』

[研究目的]

[研究意義] 中国文学研究に於いて「中国戯曲研究」が学問として認知されたのは、二十世紀初頭、西洋の文学研究に於ける戯曲研究の地位の高さに刺激されてであった。以来三四半世紀、中国戯曲研究者の研究の対象となってきたのは、元・明の曲牌体の戯曲(元曲・明曲など)および現代の「話劇」のみであり、両者の中間の時代である清朝(とくに清末)が空白となっていた。
 また、旧中国社会の特殊事情 ー中国語の使用文字が「漢字」であり、民衆の大部分が文盲もしくは半文盲であったこと ーにより、近世・近代に於ける中国民衆の社会意識の進歩、価値観の変遷を把握しようとする研究者は、必然的に、あるいは「文字を持つ側の人間」の作品や記録を通して、あるいは農民反乱史の研究を通じて、間接的に民衆意識の変遷を把握を試みるほかはなく、これが中国思想史研究の上で一つの空白を作っていた。
 また、中国戯曲研究に限らず、従来の中国文学研究が研究対象としていた文学作品は、おもに都市に居住する「文字を持つ側の人間」の精神的営為の所産であり、中国の人口の大部分が居住する農村部の精神的営為は(農村に居住する極く少数の「文字を持つ側の人間」のものを例外として)捨象されてきた。その結果、従来の中国文学研究の限界として、中国の民衆文芸の発展状況の地域的・地方的な違いが十分に把握できない、ということがあり、これも日本の「中国学」の一大空白を作っていた。
 清朝民衆劇 ーすなわち「地方劇文学研究」が研究分野として認知され、日本の中国学研究者の学問的叡智がこれに注がれれば、以上の三つの空白 ー歴史時代上の空白、社会階級上の空白、地域的な空白の三者を埋める、もっとも有効な研究手段になる可能性も開ける。

[研究機運] 一九七〇年代まではほとんど無かったが、八〇年代に入ると、東アジア各国に、自国の民族劇を再評価する動向がにわかに生まれた。中国では、「文化大革命」の空白を埋めるがごとく地方劇関係の出版物が続々と出版され、韓国では、民間芸能を発掘・調査すると同時に、これを自国民のアイデンティティーの象徴として全面に出す(例:オリンピックのオープニング・セレモニー)ようになった。西洋に於ける戯曲研究が刺激となり中国戯曲研究という新分野が今世紀初頭に誕生したように、これらアジア諸国の機運が「地方劇文学研究」という新分野を確立させる契機になる可能性はじゅうぶんある。

[先行研究] 『秦香蓮』劇に関する先行研究は皆無に近い。
 残念ながら、この清朝地方劇、ことに板腔体の戯曲(京劇・[木邦]子など)には、これまで文学的正統性が認められず、その脚本の内容自体が戯曲として独立した研究対象となることはなかった。清朝地方劇を取り上げた学術論文が、これまで全く無かったわけではない。だが、それらは上演史的興味からの研究(例:故・浜一衛氏の一連の論文)、社会学的視点からの研究(例:本学の田仲一成教授の研究)であり、清朝地方劇の脚本のドラマ(すなわち文学性)自体を問題にしたものではなかった。
 中国学は、清朝地方劇に、まだ「中国文学史上の正統性」というライセンスを与えていない。

[本論文で検討・考察に使用した方法論]
 筆者は、この修士論文に於いて、この「中国文学史上の正統性」というライセンスを、仮に清朝地方劇の代表的作品の一つ『秦香蓮』劇に与えてみた。そして、筆者が修士課程で学習した中国文学研究の方法論を、この『秦香蓮』劇を分析するメスとして使用してみた。その意図は二つある。一つは、『秦香蓮』劇ひいては清朝地方劇の作品は近代的な文学研究の分析にたえうる価値を持つ、という筆者の考えを確認すること、そしてもう一つは、筆者が夢見る「地方劇文学研究」の方法論として、従来の中国文学研究の方法論のうち、どの方法が最も有効であるかを見極めるための実用試験であった。
 以上の経緯を具体的に説明しよう。
 第一篇は概論なので、文学研究の方法論は適用していない。
 第二篇はもっとも多角的で、第一章は白話小説研究、第二章では劇評分析、第三章では上演史研究の方法論を使用してみた。第四章は概説・概論なので、文学研究の方法論は適用していない。
 第三篇は、第一章が概説および上演史的研究、第二章が版本研究の方法論としての「各劇種の歌詞・脚本の厳密な比較対照」、第三章は一章と二章の方法論をミックスして使用した。
 第四篇は、序章および第一章が現代文学の「文芸批評」の方法論を、第二章が正統的中国戯曲研究(元曲研究など)の「演変研究」の方法論および上演史研究の方法論(臉譜・唱・角色研究)を、第三章はドラマの登場人物自身に自分の存在意義を語らしめるという、評論の変則的方法論(ヨーロッパの文学研究ではよく使われる方法論)を使用した。
 このように多種多様な方法論を試み、多角的視点から検討を加えた結果、本論文は、中国人でさえ見落としていた『秦香蓮』劇の意義・特徴を、いくつか指摘することに成功した。が、その反面、筆者が自分の未熟さと非力さをかえりみず、古典研究から現代文学研究に至るまで、各種の方法論を見境なく試みたため、論文全体が冗長となってしまい、論理の粗雑さを馬力でカバーしているかの如き誤解を読者に与えてしまう危険性も出てきた。
 ただ、その代償として、各種方法論の中で、第三篇第二章の方法論、すなわち中国戯曲研究では版本研究の方法論として従来から使用されていた「歌詞・脚本の厳密な比較対照」という分析方法こそ、「地方劇文学研究」の方法論としても最も有効な研究手段であることが確認できた事は、筆者にとって大きな収穫であった。

[他学科の研究課題との関連]もしくは[本論文の有する学際性]

<場所>  <提起した問題><関連研究ジャンル><左の本学に於ける学科>
第一篇
 第二章 民間儒教の「弱者救済」という一側面……中国思想史、中哲
第二篇
 第四章三 台湾と大陸の水面下の文化交流……東アジア政治学、教養アジア
第三篇
 第一章三 少数民族に於ける漢民族文化の逆転的優位……相関社会学・文人
第四篇
 第一章三 女主人公の性格の変型の時代・地域差……中国女性史、中哲
 第二章三 旧中国社会の民衆の「清官期待願望」の限界……中国思想史、中哲

           [論文要旨(副本)おわり]


以上、原稿作成1988年12月 アップロード1997年7月

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