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『荘子』抄

胡蝶の夢

斉物論篇第二
 むかし荘周は夢に胡蝶となった。楽しく飛び回る胡蝶であった。心が楽しくて思い通りだったせいか、自分が荘周であることを自覚しなかった。ふと覚醒すると、まぎれもなく荘周である。いったい荘周が夢で胡蝶となっていたのか、胡蝶が夢で荘周となっているのか。荘周と胡蝶には必ず区分があるのだろう。これを「物化」という。

[唯脳論、リンゲル液の中の脳、独我論、etc]




渾沌、七竅に死す

応帝王篇第七
 南海の帝を倏(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)といった。倏と忽はときどき渾沌の地で会った。渾沌のもてなしはとても行き届いていた。倏と忽は渾沌にお礼をしようと思い、相談して言った。
「人間の顔には目耳鼻口に七つの穴があり、それで視聴飲食しているが、彼にだけは無い。ためしに穴をあけてあげよう」
 一日にひとつずつ穴をあけていったところ、七日目に渾沌は死んだ(日に一竅(いっきょう)を鑿(うが)つに、七日にして渾沌死せり)。

[言語化、芸術、etc]




反機械論

天地篇第十二
 子貢が旅をしていたときのこと。老人がひとり、畑仕事をしていた。手仕事で、見るからに能率が悪そうだった。子貢は言った。
「ハネツルベをお使いにならないのですか。ハネツルベを使えば、流れるように水を汲めて、一日に百畝(うね)も水をかけられますよ」
「わしは師匠から習った。『機械』を使う者は必ず『機事』がある。『機事』がある者は必ず『機心』がある。『機心』が胸のなかに存在すると、純白な心がなくなる。純白な心がなくなると、精神の本性が定まらない。精神の本性が定まらなければ、道に載せてもらえない。わしはハネツルベを知らない訳ではないが、恥ずかしいから使わないのだよ」

[リダンダンシー、途上国援助の「上総堀り」方式、ラッダイト運動、インターネットは空っぽの洞窟、etc]




世界の小ささ

秋水篇第十七
 海の神・北海若(ほっかいじゃく)は言った。
「四海が天地のあいだに存在するのは、小穴が大沢の中にあるようなものだ。中国が海内(かいだい)に存在する様子は、せいぜい、大倉のなかのヒエの粒ひとつ程度ではなかろうか。物の数を『万』といい、ヒトを『万物の霊長』と言ったりするが、ヒトもまた万物の中の一つにすぎない。ヒトが万物において占める位置は、例えて言えば、ウマの体毛のなかの細い一本の毛先ほどにすぎないのではないか」

[マクロとミクロ、宇宙船地球号、etc]




魚の楽しみ

秋水篇第十七
 荘子が恵子(けいし)と一緒にゴウという川のほとりに遊んだ。荘子は言った。
「ハヤが自由自在に泳いぎまわっている。これが魚の楽しみなのだ」
 恵子は反論した。
「君は魚ではない。魚の楽しみがわかるはずがない」
「君はぼくではない。ぼくが魚の楽しみがわからないと、君にわかるはずがない」
「ぼくは君ではないから、もちろん君のことはわからない。君ももちろん魚ではないから、君に魚の楽しみはわからないことは確実である」
「根本に返ってみよう。君はいましがた『おまえに魚の楽しみがわかるはずがない』と反論したが、それは実は、君がぼくの知識の程度を知っているからこそ、そう推論できたわけだ。ぼくだって、ゴウの川のほとりに立って魚の楽しみを知ったわけさ」

[不可知論、etc]




リラックスの効用

達生篇第十九
 顔淵(がんえん)が、孔子にたずねた。
「わたくしは以前、川の難所と言われる場所を舟でわたりました。そのときの渡し守りの舟のあやつりかたは、まさに神わざでした。渡し守りが言うには『泳げる人ならば、すぐ舟があやつれるようになるよ。もし潜水夫だったら、なおさらだよ』ということでした。どういう意味でしょうか」
 孔子は答えた。
「泳げる人が舟を簡単にマスターできるのは、水を恐れないから、水の存在を忘れるからだ。潜水夫ならばなおさら水を恐れないから、たとえ舟の難所と言われる場所でも陸地のように気軽に思えて、もっと簡単に舟をマスターできるわけだ。潜水夫なら、たとえアクシデントが連続して起きようと、余裕しゃくしゃくで対処できるからだ。
 ゲームで賭けるものが価値の低い瓦なら、リラックスしてうまく勝てるが、賭けるものが値うちのあるバックルだと心が緊張してしまう。まして賭けるものが黄金となると、もう目が見えなくなってしまう。技量が同一でも、負けを恐れる気持ちがあると『外』を重んずるようになる。一般に、『外』を重んずる者は『内』がお粗末になってしまうのだ」

[舞台度胸、努力逆比例の経験則、ビギナーズ・ラック、etc]




蝸牛角上の争い

則陽篇第二十五
 斉と魏の間で緊張が高まり、戦争が起きる寸前の状態になったときのこと。
 戴晋人(たいしんじん)は戦争の勃発を防ぐため、魏の王に会見して申し上げた。
「その昔、蝸牛(音カギュウ。「かたつむり」のこと)の左の角の上に触氏という国が、右の角の上に蛮氏という国がありました。あるとき、両国の国境をめぐって激しい戦争が勃発し、戦死者は数万にのぼり、逃げる敵を追撃する掃討作戦も十五日に及んだとのことです」
 王が「馬鹿馬鹿しいソラごとだ」と言うと、戴晋人は続けて、
「それでは現実の話をいたしましょう。王様、どうか想像力を働かせてお答えください。われらの上下四方に広がる空間に、限りはあるでしょうか」
「無限だ」
「では、無限大の宇宙空間に精神を飛ばして、宇宙から私たちの生活圏を見おろした様子をご想像ください。はるかなる大宇宙から見たら、私たちの生活圏は小さな点ほどもないでしょう」
 魏の王は、想像の世界で、大宇宙からはるか眼下の地上を見下ろしながら答えた。
「そのとおり」
「生活圏のなかの小さな一部が魏であり、その魏のなかの一区画が都であり、その都のなかの建物に王がおいでです。大宇宙のなかの王さまの存在と、蝸牛の角のうえの蛮氏と、いかほどの差がありましょうか」
「・・・大差ない」
 王は茫然として、戦争を中止した。

[うずまき宇宙論、マクロとミクロ、宇宙飛行士の神秘体験、etc]




詭弁

天下篇三十三
 論理学派の学者・恵子(けいし)は、多芸多才で、蔵書は五台の車いっぱいほどもあったが、その学問は雑駁で、その言葉は的はずれだった。彼は物の意味を吟味して、以下のような詭弁的命題を立てて、仲間の学者たちと論争を楽しんでいた。


[白馬は馬ではない、ソフィスト、アキレスは亀に追い付けない、完全均質の鎖は切れない、イデア論、クジラはケモノ(生物学・解剖学)であると同時に魚(経済学では捕鯨業は漁業に分類)である、太陽は黒い(物理学における「黒体」の概念)、不確定性原理、特殊相対性理論、インドの「刹那滅」の時間論、etc]




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