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『孟子』抄

人間を食う

梁恵王章句上より
 梁の恵王が言った。
「寡人は願わくばお教えを受けましょう」
 孟子は答えて言った。
「人を殺すのに、凶器が杖と刃とで違いはありますか」
「違いはない」
「厨(くりや)に肥肉があり、厩(うまや)に肥馬があるのに、民が飢えて野に餓死する者がいるのは、動物をひきいて人間を食わせているも同じです。動物どうしが食い合うのさえ、人は憎みます。まして、民の父母も同じ王の地位にあって政治を行い、動物をひきいて人間を食べさせるとは。それで民の父母と言えましょうか」

[先進国の肉食と途上国の飢餓、etc]




左右を顧みて他を言う

梁恵王章句下より
 孟子が、斉の宣王に語って言った。
「王様のご家来の中に、自分の妻子を友人に託して楚の国に出張した人がいます。彼が帰国したとき、友人に託していた妻と子が飢えて凍えていたら、そんな友人はどうしましょう」
 王は「棄てる」と答えた。孟子はつづけて、
「ある役人が無能で、部下たちを統率できなければ、その役人をどうしましょう」
「更迭する」
「では、国境の内側の政治がうまくいかないときは、どうしましょう」
 王は左右の者を顧みて、別の話題の話をはじめた。

[易姓革命、禅譲、放伐、王権神授説、啓蒙専制君主、etc]




一夫の死

梁恵王章句下より
 斉の宣王が孟子にたずねた。
「かつて湯王は桀王を追放し、武王は紂王を盗伐したというが、本当か」
「そう伝えられております」
「臣下でありながら自分の主君を弑逆(しいぎゃく)してもよいのか」
「仁を賊する者を賊と申し、義を賊する者を残と申します。残賊の人間は、一夫と言います。紂という一夫が誅殺(ちゅうさつ)されたことは聞いております。主君が弑逆されたことは聞いておりません」


[天皇聖王説、易姓革命、禅譲、放伐、etc]




「故」の効用

離婁章句下より
 孟子は言う。
「天下で人間の本性を論ずる者のよりどころは『故』にほかならない。故の根本は智である。ときとして智が憎まれるのは、穿鑿しすぎるためである。もし智者が、古代の禹(う)の治水技術のように智の働く方向を正しく導くならば、智が憎まれることはなくなる。禹は洪水の荒波を、無理のない場所に導いたのである。もし智者もまた、無理のない場所に智慧を働かせたならば、智の働きも偉大なものとなる。いかに天が高く、星辰が遠くにあろうとも、仮にその『故』を求められたならば、千年後の冬至・夏至の日付も坐して知ることができるのである」

[ラプラスの悪魔、カオス理論、etc]




牛山の木、嘗(かつ)て美なりき

告子章句上より
 孟子は言う。
「牛山はむかし森が美しかった。が、大都会の郊外にあったため、斧で木材を伐採され、美しい山とは言えなくなってしまった。昼夜をわかたず生長する植物の生命力と雨露のめぐみによって、新しい芽が出ない訳ではないが、牛の羊の過放牧がさらに環境破壊要因となり、あのようなハゲ山になってしまったのだ。世人はあのハゲ山を見て、昔からあのような樹木の生えぬ山だったと誤認しかねないが、今の姿が山の本性なのではない」

[古環境の復元、etc]




民が最高

尽心章句下より
 孟子は言う。
「民がもっとも貴く、社禝(しゃしょく)の神が次に位置し、主君はもっとも軽い。それゆえに人民に認められたものが天子となり、天子に認められたものが諸侯となり、諸侯に認められたものが大夫(たいふ)となる。もし諸侯が社禝を危うくするときは、改めてふさわしい人物を立てよ。もし、犠牲が肥え供えの穀物も清浄で祭りの時期が正確であるにもかかわらず、旱魃や洪水に見舞われるならば、改めて新しい社禝を立てよ」

[共和、社会契約説、etc]




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