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第2倉庫 収納目録 豆汁記 西廂記 六月雪 除三害 二進宮(探皇陵、大保国、二進宮) 楊家将(三岔口、打焦賛、坐宮、洪羊洞、牧虎関、天門陣、付録小説版梗概) 三国志(虎牢関、小宴、轅門射戟、金鎖陣、鳳凰二喬、甘露寺、喪巴丘、戦宛城、蘆花蕩、古城会、戦馬超、撃鼓罵曹、空城計) 隋唐演義(三家店、鎖五竜) 春秋筆 春秋配 盗銀壺


豆汁記(大豆スープのものがたり)

 野心のため女を裏切った男が、手痛い復讐を受ける喜劇。
 明代の物語。大都会・臨安には膨大な数の乞食がいた。その乞食の親分・金松には、美しい娘がいて、名を玉奴(ぎょくど)と言った。
 ある寒い雪の日、少女・金玉奴は、行き倒れになりかかっていた貧乏書生・莫稽(ばく・けい)を助け、暖かい大豆スープを飲ませた。安価だが栄養のある庶民の飲み物である。一命を取りとめた莫稽は、金玉奴と夫婦になった。金松と金玉奴は、乞食で得たわずかな銭で灯火の油を買い、莫稽に受験勉強を続けさせた。
 妻と義父の内助の功のおかげで、莫稽は公務員試験に合格し、役人となった。が、任地へむかう船の中で、莫稽は悩んだ。自分の妻は乞食の娘、世間体が悪い。莫稽はとうとう、妻を川に突き落として殺してしまった。
 しかし、金玉奴は生きていた。溺れていた彼女は、偶然とおりかかった林潤(りん・じゅん)という名の政府高官に救われ、奇跡的に一命を取り止めたのだった。
 林潤は、金玉奴に同情し、非道な莫稽をこらしめることにした。任地に到着した莫稽は、林潤から、自分の「娘」と結婚してほしい、と縁談をもちかけられる。高官の婿になれば出世街道まちがいなしである。莫稽は喜んで承諾する。
 結婚式の当夜、莫稽ははじめて新妻の顔を見た。なんと、死んだはずの金玉奴ではないか。彼女は、あわてふためく莫稽を、棒でさんざん打ちすえたのち、彼を捨てて去っていった。
 滑稽味の中にも、人間の真実を描いたほろ苦いコメディー。この芝居には二とおりの結末がある。上記の結末は、1950年以降の新しい演出である。旧来の結末は、金玉奴に打ちすえられた莫稽が深く反省し、二人はもとどおり夫婦となって、めでたしめでたし、というもの。


金玉奴(きんぎょくど。乞食の親分のむすめの名前)

 内容は「豆汁記」(とうじゅうき)に同じ。ただし、結末のみ「豆汁記」と違う。最後に金玉奴は、自分を裏切った男をさんざん棒で打ち据えたあと、仲直りする。


西廂記(せいそうき。西のひさしの物語)

 唐の物語。受験生の張君瑞(ちょうくんずい)は、科挙の試験を受けるための旅の途中で、蒲東(ほとう)の地を通りかかり、普救寺に宿をかりた。そこで、今は亡き先の総理大臣の娘、崔鶯鶯(さいおうおう)と出会い、一目惚れした。張君瑞は、崔鶯鶯の女中である紅娘(こうじょう)に、自分たちの仲を取り持ってくれるよう頼み、しかられた。
 軍人の孫飛虎(そんひこ)が反乱を起こし、美貌の令嬢である崔鶯鶯を手に入れるため、普救寺を包囲した。鶯鶯の母親は、誰でもいいから孫飛虎の軍を撃退した者に娘を嫁がせることを約束した。張は、友人である白馬将軍・杜確(とかく)に手紙を書いて救援を頼んだので、孫飛虎の軍は包囲を解いた。
 鶯鶯の母親は、一介の受験生に娘を与えることを嫌がり、約束をたがえて、張君瑞と鶯鶯を義理の兄妹とすることでごまかした。張君瑞は失望し、紅娘に助けを求めた。今度は紅娘も同情し、張君瑞が書いたラブレターを鶯鶯に渡した。張君瑞は夜、壁を乗り越えて鶯鶯の部屋にしのびこんだが、鶯鶯に叱られて追い返された。彼は憂悶のあまり病気になった。その後、鶯鶯は紅娘の手引きで、夜こっそり張君瑞の部屋にしのんできた。
 鶯鶯の母親は、自分の娘が張君瑞と関係を持ったことを察し、手引きした紅娘を鞭で打った。紅娘はひるまず、鶯鶯の母親が約束を守らなかったことこそ悪い、と抗弁した。鶯鶯の母親はやむをえず、張君瑞が科挙の試験に合格したら、今後こそ二人の結婚を認めると約束した。


六月雪(ろくがつせつ。真夏の六月に雪がふる)

 元の物語。竇天章(とうてんしょう)には、竇娥(とうが)という美しい娘がいた。
 竇娥の夫は、科挙の試験を受けるために都にのぼる旅の途中、女中の息子である驢児(ろじ)に殺された。驢児は、竇娥を自分のものにしようと狙っていたのだ。驢児は、竇娥の夫が川に落ちて死んだと嘘を言った。竇娥と義母は悲嘆にくれた。驢児は、残る邪魔者である竇娥の義母を毒殺しようとたくらむ。が、間違えて、自分の母親である女中が毒を飲み、死んでしまった
 竇娥は毒殺犯として無実の罪を着せられ、死刑を宣告される。彼女は天に無実の恨みを訴えた。その一念が天に通じ、夏の六月というのに、雪がふった。


除三害(じょさんがい。三つの悪ものを退治する)

 周方の息子、周処(しゅうしょ)は、幼いときに両親を失ったため、ろくな教育を受けなかった。周処は成長して乱暴者になり、自分の力をたのみ、酒に溺れ、故郷の村でのさばった。故郷の年長者たちは、周処の乱暴に手を焼き、彼と、山中の猛虎、そして水中の「みずち」(竜に似た怪物)をあわせて「三害」と呼んだ。
 宜興(ぎこう)の地に、新任の太守・王澹(おうたん)が着任した。王澹は、周処にはまだ更生のみどころがあると思い、民間の一老人に扮装し、周処と道端で話をした。王澹は「三害」の話をした。周処は、自分が猛虎や「みずち」と並んで人々から恐れられていることを初めて知り、大いに恥じた。
 周処は、虎を倒し「みずち」を斬り、乱暴者の汚名を返上した。


二進宮

探皇陵(たんこうりょう。皇帝の墳墓に墓参りする)

 明(みん)の時代、「二進宮」の物語。李(り)皇后の父親、李良は、皇帝の位を奪おうとたくらむ野心家だった。定国公の位にあった徐延昭(じょえんしょう)は、李皇后を諫めたが、聞き入れられなかった。
 徐延昭は夜、人目をしのんで、先帝の陵墓にもうで、墓前に国難を報告した。そこで偶然、兵部侍郎の大臣・楊波(ようは)の一行と出会い、互いに忠臣としての意気を確かめあった。

大保国(だいほこく)

 「二進宮」の物語。「探皇陵」(たんこうりょう)の続き。
 明(みん)の皇帝・穆宗(ぼくそう)が死んだあと、皇太子はまだ幼かったので、皇后の李艶妃(りえんひ)が実際の政治をとった。彼女の父親の李良(りりょう)は、この際、自分が皇帝の位を奪ってしまおうと考え、娘にあれこれと吹き込んだ。
 忠臣である定国公・徐延昭(じょえんしょう)と兵部侍郎・楊波(ようは)は、宮中の竜鳳閣(りゅうほうかく)という建物で、李艶妃をいさめる。しかし李艶妃は、二人の言葉をきかず、喧嘩わかれに終わる。

二進宮(にしんきゅう。再び宮中に入る)

 「探皇陵」「大保国」の続き。李良(りりょう)は明(みん)王朝を乗っとるため、宮殿を封鎖、実の娘である李艶妃(りえんひ)と幼い皇太子を軟禁した。李艶妃はやっと父の野望を悟り、息子の皇位を奪われてしまうと悲嘆にくれた。
 忠臣二人組、武官の徐延昭(じょえんしょう)と文官の楊波(ようは)は、再び宮殿に入り、李艶妃をいさめる。李艶妃も、今回は二人の言うことを聞き入れ、一国の命運を二人に託した。楊波は兵を率いて、李良を誅殺(ちゅうさつ)した。


楊家将(ようかしょう)

三岔口(さんちゃこう。「岔」の音は正しくは「タ」だが、日本の京劇ファンは習慣でチャと読む。三叉路の意)

 宋代の物語。武将の焦賛は、正義の熱血漢だった。彼は義憤にかられて悪徳政治家を殺し、その罪で流刑になる。だが、悪徳政治家の一派は、流刑の途中で、焦賛を暗殺しようとするだろう。そう心配した将軍の楊延昭は、部下の任堂恵に、ひそかに焦賛の身を守るよう命令した。
 任堂恵は命を奉じて旅に出て、流刑地への途中、三岔口にある旅館に投宿する。旅館の主人・劉利華は、実は正義の男で、焦賛をかくまっていた。が、劉は、任堂恵の鋭い眼光と刀を見て、てっきり、彼は焦賛を殺しにきた悪徳政治家の回し者だと誤解した。深夜、劉は任を殺そうと、刀を抜いて任の部屋に忍び込む。二人は闇の中で格闘する。最後に、劉の妻と焦賛が灯火を持ってあらわれ、実は一同みな不正を憎む正義の同志だったことがわかり、誤解がとける。
 「武松打店」と同系の、闇の中での立回りが見どころ。

打焦賛(だしょうさん。焦賛を打ち負かす)

 宋代の物語。楊家の武将・孟良は、楊排風とともに、楊家の女主人のもとを出発し、三関に到着した。豪傑の焦賛(「三岔口」の最後にちょっと顔を見せる髭づらの大男)は、彼らを軽視した。孟良は楊排風をけしかけ、焦賛と「棍」(武具の一種)を使って試合をさせることにした。楊排風は見事な腕前を発揮し、焦賛を打ち負かす。その後、楊家の大将・楊延昭は、出陣にあたって陣容を発表し、楊排風を出撃させた。楊排風は見事に敵の韓昌を痛撃し、味方である楊宗保を救出した。
 豪快な立回りが見どころの芝居。

坐宮(ざきゅう。宮中にすわる)

 宋(そう)の時代の物語。楊四郎(ようしろう)すなわち楊延輝(ようえんき)は、宋の武将だったが、武運つたなく敵国の遼(りょう)の捕虜になった。彼は姓名を変えて正体を隠し、遼の国王の娘・鉄鏡公主と結婚した。
 楊四郎の母親は、楊家の一族郎党を率いて、遼に戦いを挑んできた。四郎は母親に会いたいと思い、妻の鉄鏡公主に自分の正体を打ち明ける。鉄鏡公主は、夫のために国境の通行許可証を盗んでやった。

洪羊洞(こうようどう。洞窟の名前)

 北宋の時代の物語。一瞬の判断ミスからはじまった、悲劇の連鎖。
 楊延昭(六郎)は、孟良(もうりょう)に、もう一度、敵国・遼(りょう)の領土内の地・洪羊洞に潜入し、楊継業(ようけいぎょう)の遺骨を奪還するよう命令した。孟良の仲間である焦賛(しょうさん)は、ひそかに孟良のあとを追いかけ、洪羊洞に着いた。しかし暗い洞窟の中のことで、孟良は、焦賛を敵将と間違えて、斧で切り殺してしまった。孟良は、自分のあやまちに気付き、嘆き悲しんだ。孟は、奪還した楊継業の遺骨を、部下である老兵・程宣に託し、自分は焦賛のあとをおって洞窟の前で自殺した。
 この悲報を聞いた楊延昭は、悲嘆のあまり血を吐き、危篤状態になった。楊は、八賢王および母親、妻と決別し、死をむかえた。

牧虎関(ぼくこかん。地名)

 宋代の物語『楊家将』の一節。楊家軍の武将、高旺(こうおう)は、腹黒い大臣の陰謀で公職追放になり、一家は離散、雅志府(がしふ)に移り住んでいた。
 北方の異民族が宋に侵攻してきた。楊家の女主人は、楊八姐(ようはっそ)を男装させて高旺のもとに派遣し、復帰をうながした。
 高旺は楊八姐とともに牧虎関に至った。守将の張保が出てきて戦いを挑んだが、かなわずに敗退する。張の妻も出てきて戦うが、これも高旺に負けた。張の妻は「風#」(ふうはく。#は左「巾」に右「白」という字)という秘密兵器を駆使し、高旺を窮地に追い込むが、高旺も武術の秘技をくりだして再び張の妻を撃退した。
 その戦いを、張の母親が城の上から見ていた。張の母親は、高旺が自分の夫であることを知り、城の中に迎え入れた。高旺は、自分が実は息子と嫁を相手にしていたことを知った。一家はめでたく再会した。

天門陣(てんもんじん)

 宋代の物語。仙人の暗躍、女英雄の活躍など見せ場たっぷりの長編活劇。
 八仙のうちのふたりの仙人、漢鐘離(かんしょうり)と呂洞賓(りょどうひん)は、地上で続く宋と遼(りょう)の戦争で、どちらの国が勝つか、賭けをした。漢鐘離は人間に変身して宋を、呂洞賓も人間に変身して遼を後押しすることになった。呂洞賓は「天門陣」を作り、宋軍と対抗した。
 宋軍の中核は、楊家軍(ようかぐん)だった。総大将の楊延昭(ようえんしょう)は、慈航道人(じこうどうじん)から「天書」を授かり、敵の布陣方法が容易にやぶれぬことを知った。楊延昭はそこで、部下の武将たちを各地に派遣し、援軍を求めさせた。
 楊家軍の焦賛(しょうさん)は、命令によって五台山に行き、楊五郎(延徳)に山をおりて協力してくれるよう要請した。楊五郎は、敵国王は前世で悪い竜だったこと、敵国王の魔力に打ち勝つためには降竜木(こうりゅうぼく)という特別の木で斧を作らねばならぬことを教えた。
 焦賛は同僚の孟良(もうりょう)と一緒に、穆柯寨(ぼくかさい)の地に生えている降竜木を盗みに行った。そこでたまたま、穆柯寨の領主の娘・穆桂英(ぼくけいえい)が猟を楽しんでいるのに出くわし、獲物をめぐって争いになった。穆桂英は女性ながら武術の達人だった。焦賛と孟良は打ち負かされ、追い出された。
 二人は、楊延昭の息子・楊宗保(ようそうほ)に助けを求めた。が、楊宗保すら穆桂英の敵ではなく、彼女に捕まってしまった。焦賛と孟良は山に火を放って穆桂英を火攻めにするが、穆桂英の火攻め返しで、逆に撃退されてしまった。
 穆桂英は、捕えた楊宗保が美男子だったので、強引に結婚した。
 総大将の楊延昭が、みずから兵を率いて穆柯寨に攻めてきた。両軍が対峙したとき、楊宗保は父親の命令をうけ、穆柯寨の領主を殺した。穆桂英は父を殺されて激怒し、女だてらに見事な槍さばきで楊延昭を落馬させると、夫の宗保を縛りあげて山に帰った。
 彼女がまさに宗保の首を斬り父のあだを討とうとしたとき、頭目の木瓜(ぼくか)がとりなした。穆桂英は、降竜木をたずさえ宋軍に投降することを決意した。
 楊延昭は、敗戦の屈辱を味わったうえ、息子の宗保が勝手に穆桂英と結婚していたので、激怒していた。まず宗保が宋軍陣地に帰ってきたので、楊延昭は息子を死刑にしようとした。楊家軍の一同がとりなしても、楊延昭の怒りはおさまらない。しかし、そのあと穆桂英がやって来た。楊延昭は、息子を殺せばまた彼女が暴れることを恐れ、また、彼女こそ「天書」に予言されていた救国の女英雄であることを知り、ようやく息子を許した。
 やがて各地からの援軍も到着した。楊家軍は敵に総攻撃をかけ、大勝利した。穆桂英はじめ一同もそれぞれ軍功をたて、褒賞をもらった。

付録:古典小説版「楊家将演義」のあらすじを知りたい人はこちらへ。
  小説『楊家将』(PHP研究所)を上梓した作家の北方謙三先生と、加藤徹の対談「楊家将」をお読みになりたいかたはこちらへ


三国志

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隋唐(ずいとう)演義

三家店(さんかてん)

 隋唐(ずいとう)の物語。秦瓊(しんけい)は逮捕され、護送される途中、三家店に泊まった。彼は母や友を思い悲嘆にくれた。護送役人の王周は、話を聞いて秦瓊に同情し、この窮地から助け出そうと決意した。

鎖五竜(さごりゅう。五匹の竜をしばる)

 唐の時代のはじめ。後に唐の太宗(たいそう)皇帝として歴史に名を残す李世民(りせいみん)が、まだ天下を統一していなかったころ。
 王世充(おうせいじゅう)は唐軍と戦い、何度も敗北した。単雄信(たんゆうしん)は、ひとり馬に乗って唐軍にきりこんだが、武運つたなく、尉遅恭(うっちきょう)に捕まった。
 李世民は、単雄信の武勇に惚れ込んで、自分の部下になるよう何度もすすめるが、彼は言うことを聞かない。李世民はやむをえず、単雄信を男らしく死なせてやることにする。
 単雄信は刑場におもむく途中、いまは唐軍の武将となっている旧友たちと会い、言葉を交わすが、男らしく死ぬ覚悟はいささかも揺らがなかった。


春秋筆(しゅんじゅうひつ。歴史の筆を曲げない)

 南北朝時代の物語。南朝の宋の文帝のとき、北魏(ほくぎ)が侵略してきた。
 悪い大臣である徐羨之(じょせんし)は、北魏をおそれ、多額の賠償金を送ることで平和を買おうとした。正義の将軍である檀道済(だんどうせい)は、徐の軟弱外交を批判し、徐が皇帝に不戦を決意させるため嘘の戦況報告をしたことを指摘し、自分が北魏を迎え撃つことを願い出た。徐羨之は怒り、本当に北魏に勝てるかどうか首を賭けることにした。戦闘で北魏に勝てば徐羨之が死刑、負ければ檀道済が死刑、という約束である。
 檀道済が出征したあと、その妻は娘を生んだ。妻はひそかに女中に命じて、自分の娘を他人の男の子を交換させることにした。元宵節(げんしょうせつ)の賑わいの夜、王詔之(おうしょうし)の家のやといにんである張恩は、主人の息子を抱いて賑わいを見物させていたところ、一瞬のすきをついて、女中によって女の子と取り替えられてしまう。張恩はやしきに帰り、王詔之の妻に事情をはなし、自分を罰するよう頼んだ。王の妻は、不可抗力だったとして張恩の罪をとがめず、彼に路銀を与えて逃がしてやった。張恩は逃げる途中、飲みともだちの陶工潜(とうこうせん)と出会った。陶は、永安駅の役人になるよう迫られて困っていた。張恩は、渡りに舟と、陶の身代わりになって永安駅に赴任することを快諾した。
 檀道済と首を賭けた徐羨之は、檀が北魏に勝ってしまうのでは、と、びくびくしていた。自国の勝利よりも、自分の保身の方が大事だったのである。そこで徐は、部下を北魏に派遣して水面下で気脈を通じると同時に、前線の檀道済への食料補給を断ち、檀を死地に置こうとした。
 さきに息子を盗まれた王詔之は、正義の役人で、大臣の徐羨之におもねらなかった。徐は、自分が保身のため虚偽の戦況報告を皇帝にしたことを、王詔之が筆を曲げずに歴史記録に記載してしまうのでは、と恐れた。徐は、王が息子を誘拐されたとき、同時に皇帝から下賜されていた渾儀鏡(こんぎきょう)も同時に紛失したことを知り、皇帝にざん言した。王は追放刑を宣告され、はるか南西の雲南に追放されることになった。
 王詔之は追放先におもむく途中、永安駅を通りかかった。そこへ徐羨之の密使が追いかけてきて、永安駅の役人・張恩に、王を暗殺するよう密命を伝えた。張恩は、むかし王の妻が自分を逃がしてくれた恩を思い、自分が身代わりになって死に、王を逃がした。
 王詔之は逃げる途中、檀道済が徐羨之の陰謀によって食糧を断たれ、苦境に立っていることを聞いた。そこで王は個人的に檀に食糧を送った。檀は北魏の軍に大勝利した。
 王詔之は檀道済のやしきに身を寄せ、そこに妻を呼び寄せた。一同が会してみると、なんと、相手の家の子は、それぞれ自分の家の子だった。そこで両家は姻戚関係を結んだ。
 檀道済の勝利によって、王詔之も元の官職に帰り咲き、徐羨之は死刑になった。


春秋配(しゅんじゅうはい。春と秋が結婚する)

 明代の物語。商人の姜詔(きょうしょう)が地方に商売に出たとき、後妻の賈氏(かし)は、前妻の娘であるまま子の秋蓮(しゅうれん)をいじめ、彼女を山に行かせ柴を拾う重労働をさせた。悲しみにくれる秋蓮の味方は、乳母だけだった。
 そこに書生の李春発が、友人の張雁行(ちょうがんこう)を送った帰り道に通りかかった。李春発は、美少女の秋蓮が柴拾いという重労働に従事しているのを不思議に思い、事情をたずねた。乳母が、彼女はまま母にいじめられているのだと打ち明けた。彼は同情し、金銭を贈り、これで芝を買うように言った。秋蓮は受けとろうとしなかったが、李は金を置いて去った。
 秋蓮が家に帰ると、まま母の賈氏は彼女が男と通じたと非難し、官憲に訴えるとおどした。秋蓮と乳母は、しかたなく家から夜逃げした。その途中、運悪く、悪い盗賊である侯尚官(こうしょうかん)とぶつかった。侯は乳母を殺し、秋蓮にせまった。秋蓮は、言うことをきくふりをして、侯と山にのぼり、すきをついて彼を谷底に突き落とした。そして再び逃げ出して、尼寺に入った。
 こそどろの石錦坡(せききんは)は、心の正しい人だった。彼は道を通りかかって候を見つけ、助け出した。そして秋蓮の荷物を拾った。石は以前、李春発の家に盗みに入ってつかまったことがあった。そのとき李春発は、石を許したのみならず、金銭までめぐんでくれた。石はその恩がえしに、拾った秋蓮の荷物を李春発の家に投げ入れた。
 賈氏は乳母の死体を見て、官憲に告訴した。賈氏は、まえに李春発が秋蓮に金銭を贈ったことを証言したので、官憲は李春発の家を家宅捜査し、例の荷物を見つけ、殺人犯として彼を逮捕した。石錦坡は驚いて、刑務所の李春発に会った。李は石に、親友の張雁行がいま義賊として山に立て籠もっているので、張に救援を乞うてくれ、と頼む。
 石がその途中、たまたま侯尚官の家を通りかかると、中から侯夫婦の声で、秋鸞(しゅうらん)を遊女として売り飛ばしてしまおう、と相談しているのが聞こえてきた。秋鸞は張雁行の妹で、張が義賊として山にはいるとき侯尚官に預けていた少女である。石は、秋鸞を秋蓮と聞きちがえ、秋鸞を秋蓮と勘違いして侯の家から連れ出した。秋鸞も、遊女に売り飛ばされるのが嫌だったので、石について逃げた。石は秋鸞を秋蓮だと思っていたので、彼女に、李春発が無実であると官憲に証言してくれるよう頼んだ。秋鸞はどうしようもなくなり、自殺をはかり井戸にとび込んでしまった。石はしかたなく、自分で証言するため役所にむかった。
 秋蓮の父親である姜詔は、商売仲間の許黒虎(きょこくこ)と道を通りかかり、井戸の中から女の声がするのを聞いて、秋鸞を救い出した。許黒虎は、秋鸞の美貌をみて悪い心をおこし、姜詔を井戸の中に突き落として殺した。許が秋鸞を自分のものにしようとしたとき、運よく官兵がやってきた。許は逮捕され、秋鸞は尼寺に身を寄せた。
 一方、役所に着いた石錦坡は、証人の秋蓮が井戸に飛び込んでしまった、と申告した。官憲が井戸を調査すると、少女ではなく、姜詔の死体が出てきた。姜詔の妻である賈氏は、石が殺したのだ、と告訴した。石は逮捕された。
 張雁行は、親友が逮捕されたことを知り、部下を引き連れて山をおり、役所を包囲し、李春発を救出して山に連れて行った。李は、命の恩人とはいえ盗賊たちとともにいることをいさぎよしとせず、ひそかに山をおりた。彼は尼寺に逃げ込み、そこで秋蓮、秋鸞の二人に会い、すべての事情を知った。
 一同は官憲に自首し、事実を申告した。賈氏、侯尚官、許黒虎らは、法のとおり処断された。李春発は、秋蓮と秋鸞のふたりと結婚し、幸せに暮らした。


盗銀壺(とうこぎん。銀の壺をぬすむ)

 宋(そう)の時代の物語。楊存中(ようそんちゅう)の息子、楊元玉(ようげんぎょく)は、花を買ったとき、まちがえて扇子を花籠の中に置き忘れてしまった。都統(ととう)の周必大(しゅうひつだい)の娘、恵娘(けいじょう)も、花を買ったが、そのとき籠の中の扇子を拾った。扇子には、達筆で詩が書いてあった。彼女はそれを見て、まだ見ぬその扇子の持ち主の才能に恋をしてしまう。
 周必大は、皇帝の母親が病気であるので、北の敵国に行き、良薬「仏手橘」(ぶっしゅきつ)を求めようとしたが、北の国王につかまった。北の国王は、粘竜(ねんりゅう)と木虎(ぼくこ)の二人を派遣し、宋の国情を偵察させると同時に、宋の美女を手に入れてくるよう命令した。
 楊存中は、不思議な夢を見た。彼は張定(ちょうてい)を呼んで自分の夢を占わせ、その礼に御馳走を与えた。張は銀の壺を借りて、御馳走を手に帰ったが、その壺を「海空飛」というあだなの盗賊・邱小義(きゅうしょうぎ)に奪われる。壺を奪われ張定は、賠償する財力も無いので、自分の娘の鶯才子(おうさいし)を、粘竜に売ることにした。一家は、悲しみの涙にくれる。それをたまたま、盗賊・邱小義が聞いた。自分のせいだ、と後悔した彼は、一家のために、娘の売買契約書を盗みだし、粘竜と木虎を追い出す。邱小義は張定に付き添われて、楊存中の屋敷に自首する。
 楊存中は、邱小義が盗賊ながら義の人物であることを知り、もう一度、銀の壺を盗ませ、 その盗みの腕前を確認した。楊元玉は、父親に、邱小義を北の国に潜入させ良薬「仏手橘」 を盗ませてみては、と献策した。楊存中はこの策をいれた。
 邱小義は居酒屋を開いて身分をくらました。周恵娘は男に変装し、その店で、楊元玉といっしょに酒を飲んだ。彼女は、自分の妹と結婚してくれ、と楊元玉を騙し、ふたりで太保廟(たいほびょう)に行った。そこで偶然、粘竜と木虎が悪い役人とぐるになって、張定の娘を誘拐しようとしているのに出くわした。楊元玉と邱小義は、彼女を助けだすが、そのはずみで悪い役人も殺してしまう。
 楊存中は、楊元玉が人を殺したことに立腹し、彼を殺そうとする。張定は、自分の娘を恩人の楊元玉と結婚させようと、楊元玉の妻に会い、楊存中にとりなしを求め、証拠として、北国の木箱を示した。楊存中は、息子が役人を殺したのには事情があることを知り、息子をゆるした。周恵娘と邱小義は刑場に駆けつけ、元玉を救った。
 周恵娘は、元玉と婚約した。彼女の父親・周必大は、いまだ北の敵国に抑留されている。
周恵娘と楊元玉は軍隊に入り、北にむかった。一方、邱小義も北の敵国に潜入し、現地人になりすまして、「仏手橘」を盗みだした。北の国王は、矢で邱小義を狙ったが当たらない。邱小義は周必大をも救い出し、いっしょに南の宋に逃げ帰った。北の敵国の軍隊が追い掛けてきたが、楊元玉と周恵娘によって撃退された。
 楊元玉は、周恵娘と張鴬才の二人の娘と結婚した。


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