「黒べえ」と「ウルトラセブン」

加藤 徹

原載誌: 広島大学総合科学部報『飛翔』第52号(97,2,1発行)27頁

ネット上への転載にあたり原題(「黒べえ」と「スペル星人」)を改題しました
97,3,17


 一昨日、久しぶりに近所のレンタル・ビデオ屋に行った。藤子・F・不二夫追悼コーナーが出来ていて、「オバQ」「ドラエモン」などのアニメビデオが並んでいた。藤子作品は人気があり、おおむね健全だから、過去にテレビ化された作品は、現在、たいていビデオでも見ることができる。ただ、中には例外もある。

 ぼくが小学生のときテレビ放映された「ジャングル黒べえ」は、当時「オバQ」「ドラエモン」と並ぶ人気漫画だった。だが現在では、再放送もビデオ化も不可能となっている。一般に藤子漫画には、異界からの「ベム」が日本の普通の家庭に居候して珍騒動をまきおこす、という設定が多い。「黒べえ」の場合、ベムは、アフリカの奥地から来た「ピリミー族」の魔術師だった。
 「ヒーローもの」コーナーに並んでいる「ウルトラセブン」のビデオも、よく見ると「欠番」がある。箱の裏に「第十二話は現在欠番となっています」と書いてあるとおり、この回だけは再放送もビデオ化も自粛されているのだ。ぼくも、第十二話は四歳のとき本放送で一回見たきりである。この回の宇宙人の顔は、かすかにしか思い出せない。地球人の子供の生き血を求めて地球に飛来した「スペル星人」の、核で被爆したケロイドの顔は。
 なにも、ぼくはここで「差別表現の自粛」を論じたい訳ではない。ぼくが興味を覚えるのは、「黒べえ」や「セブン」第十二話のように、何か外的な理由で作品が消された場合、作品自体は消滅しても、その作品名と「発禁」になった事実はかえって記録に残ることがある、ということである。

 ぼくは中国の古典演劇を研究している。中国演劇史は、ある意味で「上演禁止」の歴史でもあった。中国の歴代王朝は、公序良俗の立場から、しばしば演劇を弾圧し、上演禁止演目のブラック・リストを布告した。
 中国では、古い時代の上演記録や脚本は、あまり残っていない。当時、演劇は正統の芸術とは見なされなかったからである。逆に演劇禁止令の方は、行政文書として政府に保管されたから、よく残っている。皮肉なことに、現代の研究者は、古い時代の中国演劇研究を進めるにあたって、政府の禁令という「ネガ」的記録をもとに当時の演劇を推定しなければならない訳である。
 今から一千年もたてば、われわれの子孫が「二十世紀末のレンタルビデオ店」の遺跡を発掘する日が来るかもしれない。ビデオテープの映像は磁気ゆえ消失する運命だが、ビニール製の箱は腐らずに残っているはずだ。未来の言語学者は「ウルトラセブン第十二話は欠番」という文字を解読するだろう。ただ第十二話がどんな物語なのかは、永遠に不明である。たぶん未来の学者たちは、絶望的に少ない資料をもとに、第十二話とはどんな物語だったのか、なぜ「欠番」とされたのか、それを欠番にした二十世紀社会とはどんな時代だったか、推論の輪を広げ、あれこれ論文を書くに違いない。
 ぼくらが今やっているのも、そんな仕事なのだ。


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