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上海京劇院「盤糸洞」(ばんしどう)広島公演を観て

加藤 徹 (広島大学)

(注: 私はインターネット上に「京劇城」(http://www.ipc.hiroshima-u.ac.jp/~cato/KGJ.html)というサイトを開いております。以下の文中で*印は「京劇城」に説明がある事項、ないし、ここからリンクを張っているサイトを意味します。)

「網絡海報」(*平林宣和氏のHP)を見ても一目瞭然だが、今年は1986年以来11年ぶりの京劇来日公演ラッシュである。ただ*「京劇ファンのたまり場」でも論議されているように、日本人向けのウケを狙って失敗した公演も目立つ。
 *芥川龍之介を感動させた梅蘭芳の来日公演からとは言わず、文革終了後の古典京劇来日公演復活(79年)から数えても20年近くたつ。もはや、日本人の観客は素人ばかりで京劇さえ見せれば喜ぶ、というような安直な路線では、日本側の招待業者もたち行かないだろう。
 こう言うものの、今年来日した京劇の中でも上海京劇院のオリジナル創作京劇「盤糸洞」は、考えさせられるものがあった。
 *「上海京劇インタビュー」で上海京劇院団長の呂愛蓬氏、女王役の方小亜氏、孫悟空役の趙國華氏らが語っているが、「盤糸洞」は同劇団のオリジナル創作京劇で、10年間に300回以上公演され改良を加えられ続けてきた作品である。私自身、去年中国でこの「盤糸洞」を見たが、正直言って、現代風の音楽や過度の照明効果などあまり良い印象を持てなかった。
 今年、この演目が日本に来た。一足早く*宇都宮で観劇した京劇通・S氏から「海派の京劇は、その音楽がいわゆる西洋風で、京劇を見るというより、現代劇を見ているような部分が多分にあります。しかし、孫悟空を演じる趙さんや女王を演じる方さんの演技はさすがでした。また、若い俳優の体柔らかさを生かした立ち回りも楽しめました」と電子メイルをもらっていたので、私も思いなおし、広島での公演を同僚や学生と見に行くことにした。そして「芝居は生きもの。半分は観客が作る」という事実をあらためて思い知らされたのである。
 広島に京劇が来るのは3年ぶりということもあり、会場は文字どおり立錐の余地も無い超満員である。のちに*「京劇は生まれて初めて見たのですが、俳優さんたちの名演技に鳥肌が立ちました」とある広島大学生から電子メイルをもらったが、これは当日の広島市民(県民)の感想を代弁するものであろう。孫悟空と妖怪たちの華麗な立ち回り、猪八戒の胴を切断するというマジック的演出に、広島の観客は素直に驚きの目を見張った。カーテンコールのときも拍手喝采がいつまでも鳴りやまず、舞台の下に握手を求めて子供たちが殺到した。孫悟空役の趙國華氏は、幼稚園くらいの男の子を舞台上から腕を伸ばして抱き上げた。楽隊員らも、いったん楽屋に引き上げていたのが、あまりに拍手喝采が続くので戻ってきて、半透明スクリーンの後ろから観客席を交互にのぞいていた。
 私も、皮肉の意味でなしに、この夜は久しぶりに京劇を堪能した思いであった。たしかに「盤糸洞」という演目自体も、私が中国で見たときより良くなっていたように思う。が、この夜の大成功は、なんといっても観客席と舞台の呼吸がぴったりあっていたからである。ちなみに上海京劇院が日本人向けに準備した配慮は、舞台の脇にスライドで日本語の字幕を映し出すことと、猪八戒がときどき片言の日本語を言う(中国の地方劇でも「丑」はその土地の方言をしゃべるから、これは自然な演出である)ぐらいのものだった。
 *「京劇ファンのたまり場」で槍玉にあがった某劇団の場合のように、奇をてらって(?)日本語の場内アナウンスを入れ「これが最も罪深く、舞台に『異化効果』しかもたらしていません。水族館の魚を眺めているかのように、観客と舞台の間に冷たいガラスが置かれてしまいます」(「林月萍」氏評)ということは、「盤糸洞」には無かった。
 繰り返しになるが「芝居は生きもの」というのが今回私が得た教訓だった。同じ芝居も、中国で見るか、東京で見るか、広島で見るか、によって全く変わりうる。私も、劇評めいたことを発言するさい、このことを忘れないようにしたい。

97,7,26


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