遇皇后(ぐうこうごう)Yu-huang-hou

 これからご覧いただくのは、遇皇后、偶然むかしの皇后と出会う、という京劇です。
 今から一千年前の中国。包拯(ほうじょう)という名前の、正義の官僚がいました。日本でいえば、江戸時代の名奉行(めいぶぎょう)・大岡越前(おおおかえちぜん)にあたる人物です。この包拯が、重要な任務を帯びて地方に出張したときのこと。道ばたで物乞いをしている、目の不自由な老婦人がいました。老婦人は包拯に直訴(じきそ)して言いました。
「今の私の姿からは想像もつかないでしょうが、私は昔、宮廷に住んでいました。二十年まえ、私はひとりの王子を生みました。しかし、ある悪い妃(きさき)が、王子を生んだ私を嫉妬しました。悪い妃は、腹黒い宦官とぐるになり、陰険な手段を用いて私を罠にはめました。私は身の危険を感じ、命からがら宮廷を抜けだしました。以来、二十年間。私は、悪い妃の追っ手の目をくらますため、乞食に身をやつし、この片田舎にかくれていました。 私の生んだ息子は、今や皇帝となりました。どうか私の言葉を信じて、私を助けてください」
 老婦人は、自分がかっての妃であった証拠の品を、包拯に見せます。
 包拯は、この目の不自由な老婦人を宮中に連れかえり、今の皇帝と対面させる決意を固めるのでした。
 それでは、京劇「遇皇后」、どうぞごゆっくり御楽しみください。

(京劇団「青年団」版、約40分)

 包拯が部下をひきつれて登場し、ゆっくりと詩の言葉で自己紹介します。
「わたしは忠義の心で、皇帝陛下と美しい祖国の山河をお守りする。
頭には黒いかんむりをかぶり、身にはきらきら光る帯をしめる。
宮殿では悪い大臣を退治し、宮殿の外では無実の罪に泣く者たちを救うのが、私の使命である」

 包拯は続けて、せりふで自己紹介します。
「それがしは包拯と申す者。宋(そう)の皇帝陛下の命により、官職は、龍図閣大学士(りゅうとかくだいがくし)および帝国の首都たる開封府(かいほうふ)の長官を兼任しております。この三年のあいだ、陳州(ちんしゅう)地方はひでりに苦しみ、民百姓が凶作にあえいでいるため、それがしは皇帝陛下よりの勅命(ちょくめい)を奉(ほう)じて、陳州地方まで出張し、飢えた民たちに食料を分配して参りました。さいわい任務は無事に終わり、これから皇帝陛下にご報告するため、都にもどる途中でございます」
 包拯は部下たちといっしょに道を進んでゆきます。


 地元の役人が登場し、包拯の行列を通すため道をあけるよう、地元の民たちに布告します。


 主人公である李后(りこう)が登場します。
 京劇では、年配の婦人を演ずる役がらのことを「老旦」(ラオダン)といいます。「老旦」は京劇には珍しく地声(じごえ)に近い低い声でせりふを言ったり、歌をうたったりします。
 李后は、二十年まえのことを回想して歌います。
「その昔、みやこの宮殿にいた若いころは、何の苦しみも知らなかった私(わたし)でしたが
私が皇帝陛下の子供を生んでから、運命は激変しました。
嫉妬(しっと)ぶかい劉妃(りゅうひ)と、悪辣(あくらつ)な宦官(かんがん)である郭槐(かくかい)のふたりがグルになって、私をおとしいれたうえ、
忘れもしません。八月の秋の夜、私が押し込められていた建物に火をつけたのです。
私はすんでのところで焼けしぬところでしたが、不幸中の幸い、ある人の手で火事のなかから助けられ、
私はそのまま貧民窟(ひんみんくつ)にこっそりと隠れ住みました。
私が生んだ皇子(おうじ)様のことを思うと、涙で目も見えません、
天の神さま、私はいつになったら、宮殿に帰ることができるのでしょうか」

 李后は歌いおわると、せりふで自己紹介します。
「私は李后と申します。今から二十年あまりまえのヒツジの年のことでした。私は当時の皇帝陛下の寵愛(ちょうあい)を受け、玉のような男の赤ちゃんを生みました。しかし、嫉妬(しっと)ぶかい劉妃(りゅうひ)と、悪辣(あくらつ)な宦官(かんがん)である郭槐(かくかい)のふたりがグルになって、赤ちゃんを動物とすりかえ、私がバケモノを生んだと言いふらしました。だまされた皇帝陛下はお怒りになり、私は宮殿のすみの部屋におしこめられました。悪い劉妃と郭槐のふたりは、私のいる部屋に火をつけて、私を焼き殺そうとしました。さいわい、ある人が火の中から私を助けだしてくれました。私はそのまま、この趙州橋(ちょうしゅうきょう)の橋のたもとの貧民窟にかくれ住みました。そのまま今日まで、もう二十年あまりの歳月がたってしまったのです」

 李后は歌います。
「宮殿から逃げ出してきて、もう二十年あまり
宮殿のなかの様子は、どうなっているのか、私にはわかりません
天の神さま、どうか私のことお見捨てにならないでください
私がうらみを晴らし、自分の無実を証明できる日が、必ず来ると信じています」

 そのとき、行列のドラの音が聞こえてきます。
 李后が「いったい、どなたのお通りですか」とたずねると、「包拯さまのお通りだ、道をあけろ」という答えが帰ってきます。
 それを聞いて、李后はよろこびます。包拯は、民百姓にやさしい正義の味方として、有名な人物だったからです。
 李后は「やっと私にもチャンスがめぐってきた」と、期待のうたを歌います。

「包拯どのが都に帰る行列が来るそうです
私は喜びにたえません
あの包拯どのなら、私の無実の罪をきっと証明してくれるでしょう
これで私もようやく、今の苦しみから抜け出すことができるでしょう」

 包拯の行列が登場します。
 包拯は行列を、この場所で一時とめて休憩することにします。
「強い風が吹きあれていて、前に進むのは難しい
土ぼこりは空たかくまで舞い上がっている
しばらく、この場所で行列をやすめることにしよう。
やすむついでに、もしこのあたりの民で直訴(じきそ)したい者がいたら、その意見をきくことにしよう」

 包拯は神社のなかに滞在し、趙州橋の地元の役人を呼びだします。
 包拯は地元の役人に言います。「このあたりに住んでいる民たちに伝えてください。もし、いまの政治に何か意見があったり、また、無実の罪に泣いている者がいたら、わたくし包拯が直接、相談に乗ります、と」

 役人は地元の民たちに、包拯の言葉を伝えます。
 民たちは口々に「何も不平不満はありません」と答えます。

 李后が言います。
「おまちくだされ。わたくしは、この貧民窟に住んでおります目の見えぬ老婆ですが、二十年も無実の罪に苦しんでまいりました」

 地元の役人は、包拯に、李后の言葉を取つぎます。こうして、李后は包拯に直接、会うことになりました。

 李后は歌います。
「無実の罪に泣いてきたこの二十年
正しい心の役人に会い、訴えるチャンスもないままに
私はいま、この古い神社の前に立っている」

 李后が「包拯どの」と言うので、地元の役人は「わたしでさえ『包さま』とお呼びしているのに、『包拯どの』とはなれなれしい」と怒ります。
 しかし李后は「包拯どの、で良い」とゆずりません。

 彼女はついに、包拯の前に立ちます。彼女は、本当は身分が包拯よりも高いので、包拯に頭をさげようとしません。事情を知らない周囲の者たちは、やきもきします。

 彼女はさらに、失礼なことを要求します。
「私は、ほんものの包拯どのにしか、自分の無実の罪をうったえません。ニセモノの包拯でないかどうか、たしかめさせてください。本物の包拯どのならば、頭のうしろにコブがあるはず。私は目が見えませんので、この手で頭のコブをさわらせてください」

 まず地元の役人が、包拯のふりをして、自分の頭を彼女にさわらせます。彼女は「このニセモノめ」と怒ります。

 包拯は、自分の頭のコブを彼女にさわらせます。
 李后はやっと本物にめぐりあえた、と喜び、自分の無実の罪をうったえる歌をうたいます。

「包拯どの、私の言動を怪しんではなりませぬぞ。
私は喜びの涙が止まりません。
私の家は、もともと、都の皇居のまんなか
私は天下万民(てんかばんみん)の中の、ファーストレディだったのです。
もともと私は、ハスの花をつむ娘でしたが、たまたま先代の皇帝陛下のお目にとまり、
李后という名前をもらい、宮殿にはいりました。
今の皇帝陛下は、私のおなかから生まれてきたのです。
ああ、親不幸な息子! 事情を知らぬとはいえ、二十年あまりも生みの母親を放っておくとは」

 包拯は、当時の事情を李后にたずねます。
 李后は答えます。
「今から二十年あまりまえのヒツジの年のことです。私は当時の皇帝陛下の寵愛(ちょうあい)を受け、玉のような男の赤ちゃんを生みました。しかし、嫉妬(しっと)ぶかい劉妃(りゅうひ)と、悪辣(あくらつ)な宦官(かんがん)である郭槐(かくかい)のふたりがグルになって、私の生んだ赤ちゃんを、ほかの動物とすりかえ、私がバケモノを生んだと言いふらしました。だまされた皇帝陛下はお怒りになり、私を死刑になさろうとしました。
 さいわい、大臣たちが私の死刑に反対したので、私は死刑にならず、宮殿のすみの部屋におしこめられました。しかし、腹黒い劉妃と郭槐のふたりは、忘れもしない秋八月十五日の夜、私のいる部屋に火をつけて、私を焼き殺そうとしました。さいわい、ある人が火の中から私を助けだしてくれました。私はそのまま、この趙州橋(ちょうしゅうきょう)の橋のたもとの貧民窟にかくれ住みました。そのまま今日まで、もう二十年あまりの歳月がたってしまったのです」

 李后は歌います。
「一国の皇后が乞食(こじき)をするとは
まったく、聞くも涙のものがたり
宮殿の豪華な服のかわりに、ボロボロの服を着て
宮殿のあたたかい部屋のかわりに、さむざむとしたあばら家に住むとは
どうか、私のこの無実の罪のことを
今の皇帝に伝えてやってください」

 包拯が「どうして私がここに参ることをご存じになったのですか?」とたずねると、李后は歌でこたえます。
「民百姓たちは口々に、そなたのことを、正義の味方とたたえています。
そなたがいままで数々の難事件、えん罪(ざい)事件を解決してきたと。
もし今回、私の無実の罪をすすいでくれたならば、
私は約束します。そなたの子孫は、子子孫孫(ししそんそん)に至るまで、高い位の役人として朝廷(ちょうてい)に仕えることができるでしょう。
もし今回、私の無実の罪をすすいでくれないのであれば、
そなたは、むなしく大臣の位にすわっているだけの男ということになります」

 包拯は、李后にあたたかいお茶をすすめて言います。「もし皇太后(こうたいこう)陛下が、いまおっしゃったことが真実ならば、これは大変な大事件でございます」
 包拯は歌います。
「いまの皇帝陛下は名君(めいくん)でいらっしゃる、と、皆がたたえておりますが、
皇帝陛下は、実は親不幸の罪を犯しあそばされていたことになります。
そしてもし、わたくしが、それを見て見ぬふりをしていたならば、
わたくしも、ただの月給どろぼうの大臣ということになります」

 包拯は、あらためて李后を上座(かみざ)にすえ、ひざまづき、恐縮の気持ちを歌でうたいます。

 李后は威厳(いげん)に満ちた態度で包拯のあいさつを受けます。その様子をみて、包拯はますます、彼女が本物であることを確信します。
 包拯は「私は自分の身命(しんみょう)をかけて、かならずや、皇帝陛下に真実をお知らせ申し上げます」と誓いの歌をうたいます。

 李后は喜んで歌います。
「神社の境内(けいだい)のなかでの、思わぬ出会い
私(わたし)も喜びにたえませぬ
この、黄金色(こがねいろ)のシルクのハンカチをそなたに託します
この証拠のハンカチを持ってゆき、都の皇帝にお見せなさい
私がこの二十年ものあいだ、耐えに耐えてきたつらい境遇を
つつみかくさず皇帝に伝えてください
悪い劉妃(りゅうひ)めに罰がくだり、郭槐(かくかい)めが処刑されるように

 包拯は、李后から証拠のハンカチを受取ります。包拯は慎重を期して、まず自分ひとりで皇帝に会い、真実を伝えてから、李后を宮中に呼び寄せることにします。

 李后は舞台から退場します。

 包拯は都に帰るため、行列を再開させます。

 このあと、ものがたりは京劇「打龍袍(だりゅうほう)=皇帝の服を棒打ちにする」に続きます。

(完)


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