[授業教材集]

朝日カルチャーセンター・千葉教室

東洋古典の漢文で学ぶ健康と医学の考え方

平成三十一年(2019)三月十四日木曜     加藤 (明治大学教授) 

 

 充実した人生を送るうえで、健康は何より大事です。私たち東洋人の先祖は、健康や医学についてどのような考えかたをもっていたのでしょうか。本講座では、健康と長寿にまつわる日本と中国の古典の名文を選読し、わかりやすく解説します。俳句「浜までは海女も蓑着る時雨かな」、漢文の「衛生の道あり、長生の薬なし」「病、膏肓に入る」「汝の身すら汝の有に非ざるなり」「聖人は已病を治めず、未病を治む」その他の名文を取り上げ、現代人にも役立つヒントを探ります。

 

★ポイント    

「未病」の思想〇「黄帝内経」四気調神大論篇第二の「是故聖人、不治已病、治未病。不治已乱、治未乱。此之謂也」。「孫子の兵法」の「知彼知己者、百戦不殆」「上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城」との類似性

 

「柔弱」の思想〇「老子」の思想との類似性。「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。是以兵強則不勝、木強則折。強大處下、柔弱處上。

 

「全体」の思想〇「淮南子」精神訓の「血気は風雨なり」の自然哲学。風水思想、五行思想との共通性

 

「天命」の思想〇「論語」雍也第六の「伯牛有疾、子問之、自牖執其手、曰、亡之、命矣夫、斯人也而有斯疾也、斯人也而有斯疾也。

 

            五行配当図

五行                           

五色                           

五方                中央    西     

五時                土用         

五事                           

五常                           

五臓                           

五腑          小腸          大腸    膀胱

五虫                           

五味                           

五声                           
滝野瓢水(1684から1762)

浜までは海女も蓑着る時雨かな

手に取るなやはり野に置け蓮華草

さればとて石にふとんも着せられず

 

衛生の道あり、長生の薬なし。

丘長春(1148から1227) が1222年、アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈の北部あたりでチンギス・カンと会い、不老長生の秘訣を問われたときに答えた言葉。この場面は井上靖の歴史小説『蒼き狼』でも描かれている。

  

★汝の身すら汝の有に非ざるなり

『荘子』知北遊篇第二十二

 舜問乎丞曰「道可得而有乎」。曰「汝身非汝有也。汝何得有夫天道」。舜曰「吾身非吾有也、孰有之哉」。曰「是天地之委形也(下略)」。

 舜(しゅん)、丞(じょう)に問()ひて曰(いは)く「道(みち)は得()て有(ゆう)すべきや」と。曰く「 汝の身すら汝の有に非ざるなり。汝、何(なん)ぞ夫()の天道を有するを得んや」と。舜曰く「吾()が身、吾が有に非ざれば、孰(たれ)か之(これ)を有するや」と。曰く「是()れ天地の委形(いけい)なり(下略)」と。

 

★二豎・二竪〇ふたりの子供。病気のこと。

 病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)〇不治の病に冒されること。「膏」は胸の下の方、「肓」は胸部と腹部との間の薄い膜。

 藪医者〇語源は一説に「野巫(やぶ)医者」

 

★病、膏肓に入る

『春秋左氏伝』成公十年(581)、晋の景公の条

()晉侯夢。大飼髮及地、搏膺而踊。曰、殺余孫、不義。余得請於帝矣。壞大門及寢門而入。公懼入于室。又壞戸。

 晋侯しんこう夢ゆめみる。大獅スいれい髪はつを被こうむりて地ちに及および、膺むねを搏うちて踊おどる。曰いわく、余よの孫まごを殺ころすは、不義ふぎなり。余よ、帝ていに請こうことを得えたり、と。大門たいもんと寝門しんもんとを壊やぶりて入いる。公こう懼おそれて室しつに入いる。又また戸とを壊やぶる。

 

()公覺。召桑田巫。巫言如夢。公曰、何如。曰、不食新矣。

 公こう覚さむ。桑田そうでんの巫ふを召めす。巫ふの言げん夢ゆめの如ごとし。公こう曰いわく、何如いかん、と。曰いわく、新しんを食くらわず、と。

 

()公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩爲之。未至。公夢。疾爲二竪子曰、彼良醫也。懼傷我。焉逃之。其一曰、居肓之上、膏之下、若我何。醫至。曰、疾不可爲也。在肓之上、膏之下。攻之不可。達之不及。藥不至焉。不可爲也。公曰、良醫也。厚爲之禮而歸之。

 公こう疾やまい病へいなり。医いを秦しんに求もとむ。秦伯しんぱく医いの緩かんをして之これを為おさめしむ。未いまだ至いたらず。公こう夢ゆめみる。疾やまい、二に竪子じゅしと為なりて曰いわく、彼かれは良医りょういなり。懼おそらくは我われを傷きずつけん。焉いずくにか之これを逃のがれん、と。其その一いち曰いわく、肓こうの上うえ、膏こうの下したに居おらば、我われを若何いかんせん、と。医い至いたる。曰いわく、疾やまいは為おさむ可べからず。肓こうの上うえ、膏こうの下したに在あり。之これを攻せむるも可かならず。之これを達たっせんとするも及およばず。薬くすりは至いたらず。為おさむ可べからず。公こう曰いわく、良医りょういなり、と。厚あつく之これが礼れいを為なして之これを帰かえす。

 

()六月丙午、晉侯欲麥。使甸人獻麥。饋人爲之。召桑田巫、示而殺之、將食。張。如厠。陷而卒。 小臣有晨夢負公以登天。及日中、負晉侯出諸厠、遂以爲殉。

 六月ろくがつ丙午へいご、晋侯しんこう麦むぎを欲ほっす。甸人でんじんをして麦むぎを献けんぜしむ。饋人きじん之これを為おさむ。桑田そうでんの巫ふを召めし、示しめして之これを殺ころし、将まさに食しょくせんとす。張はる。厠かわやに如ゆく。陥おちいりて卒しゅつす。 小臣しょうしんに晨あしたに公こうを負おいて以もって天てんに登のぼるを夢ゆめみる有あり。日ひ中ちゅうするに及および、晋侯しんこうを負おいて諸これを厠かわやより出いだし、遂ついに以もって殉じゅんとせらる。

 

★夏目漱石が22歳のとき正岡子規に送った手紙の一節。

「近頃の熱さでは無病息災のやからですら胃病か脳病、脚気、腹下シなど種々な二豎先生の来臨を辱ふする折からなれば、貴殿の如き残柳衰蒲も宜しくといふ優にやさしき殿御は、必ず療養専一摂生大事と勉強して女の子の泣かぬやう余計な御世話ながら願上候。」

 

★福澤諭吉の漢詩  彼は健康のため日本刀の素振りをしていた。

腰間秋水一揮揚 腰間の秋水一とたび揮揚す

自是先生養老方 自から是れ先生の老を養うの方なり

二豎多年侵不得 二豎多年侵さんとして得ず

知他寶剣吐龍光 知んぬ他の宝剣の龍光を吐けるを

 

★芥川龍之介「野人生計事」

 室生(犀星)の陶器を愛する病は僕よりも膏肓にはひつてゐる。尤も御同様に貧乏だから、名のある茶器などは持つてゐない。

 

★『淮南子』精神訓より「耳目は日月なり、血気は風雨なり」↓拙著『怪の漢文力』

 

 夫精神者所受於天也、而形体者所稟於地也。故曰、一生二、二生参、参生万物。万物背陰而抱陽、冲気以為和。

 夫れ精神は天より受くる所にして、形体は地より稟()くる所なり。故に曰く、一は二を生じ、二は参を生じ、参は万物を生ず。万物は陰を背にして陽を抱き、冲気以て和を為す、と。

 

 故曰、一月而膏、二月而[月失]、参月而胎、四月而肌、五月而筋、六月而骨、七月而成、八月而動、九月而躁、十月而生。形体以成、五蔵乃形。

 故に曰く、一月にして膏(あぶら)たり、二月にして[月失](てつ)たり、参月にして胎たり、四月にして肌あり、五月にして筋あり、六月にして骨あり、七月にして成り、八月にして動き、九月にして躁ぎ、十月にして生る。形体以て成り、五蔵乃ち形す、と。

 

 是故肺主目、腎主鼻、胆主口、肝主耳、脾主舌。外為表而内為裏、開閉張歙、各有経紀。

 是の故に肺は目を主り、腎は鼻を主り、胆は口を主り、肝は耳を主り、脾は舌を主る。外を表と為して、内を裏と為し、開閉張歙、各々経紀あり。

 

 故頭之円也、象天、足之方也、象地。天有四時・五行・九解・参百六十六日、人亦有四支・五蔵・九竅・参百六十六節。天有風雨寒暑、人亦有取与喜怒。故胆為雲、肺為気、肝為風、腎為雨、脾為雷、以与天地相参也、而心為之主。是故耳目者日月也、血気者風雨也。日中有[]烏、而月中有蟾蜍。日月失其行、薄蝕無光、風雨非其時、毀折生災、五星失其行、州国受殃。

 故に頭の円なるや、天に象り、足の方なるや、地に象る。 天に四時・五行・九解(九野)・参百六十六日有り、人に亦た四支・五蔵・九竅・参百六十六節有り。天に風雨寒暑有り、人に亦た取与喜怒有り。 故に、胆を雲と為し、肺を気と為し、肝を風と為し、腎を雨と為し、脾を雷と為し、以て天地と相参(まじ)はりて、心、之が主たり。 是の故に耳目は日月なり、血気は風雨なり。日中に[](しゅんう)有り、月中に蟾蜍(せんじょ)有り。日月、其の行を失へば、薄蝕して光なく、風雨其の時に非ざれば、毀折して災を生じ、五星其の行を失へば、州国、殃(わざわひ)を受く

 

★聖人は已病を治めず、未病を治む

 『黄帝内経』の思想。

『黄帝内経』上古天眞論篇 第一より。

 

 女子七歳、腎気盛、歯更髪長。 二七而天癸至、任脈通、太衝脈盛、月事以時下、故有子。 三七腎気平均、故真牙生而長極。 四七筋骨堅、髪長極、身体盛壮。 五七陽明脈衰、面始焦、髪始墮。 六七三陽脈衰於上、面皆焦、髪始白。 七七任脈虚、太衝脈衰少、天癸竭、地道不通、故形壊而無子也。

 女子は七歳にして、腎気盛んにして歯更り髪長ず、二七(14)にして、天癸至り任脈通ず、太衝の脈盛んにして、月事(月経)時を以て下る、 故に子有り、三七(21)にして、腎気平均す、故に真牙生じて長極す、四七(28)にして、筋骨は堅く髪は長じ極まる、身体盛壮なり、 五七(35)にして、陽明の脈が衰え、面始めて焦(やつ)れ髪始めて堕つ、六七(42)にして、 三陽の脈が上に衰え、面皆焦れ髪は始めて白し、七七(49)にして、任脈虚し太衝の脈衰少し、天癸竭(つ)く、地道通せず、故に形壊(くず)れて子無きなり

 

 丈夫八歳、腎気実、髪長歯更。 二八腎気盛、天癸至、精気溢写、陰陽和、故能有子。 三八腎気平均、筋骨勁強、故真牙生而長極。 四八筋骨隆盛、肌肉満壮。 五八腎気衰、髪墮歯槁。 六八陽気衰竭於上、面焦、髪鬢頒白。 七八肝気衰、筋不能動、天癸竭、精少、腎蔵衰、形体皆極。 八八則歯髪去、腎者主水、受五蔵六府之精而蔵之、故五蔵盛乃能写。 今五蔵皆衰、筋骨解墮、天癸尽矣、故髪鬢白、身体重、行歩不正、而無子耳。

 丈夫八歳にして腎気実し、髮長じ歯更る。 二八(16歳)にして腎気盛し、天癸至り、精気溢写し陰陽和す。故に能く子あり。 三八(24歳)にして腎気平均し、筋骨勁強たり。故に真牙生じて長極まる。   四八(32歳)にして筋骨隆盛にして、肌肉満壮たり。 五八(40歳)にして腎気衰え、髮墮ち、歯槁る。 六八(48歳)にして陽気上に衰竭し、面焦れ、髮鬢頒白たり。 七八(56歳)にして肝気衰え、筋動くこと能ず。天癸竭き、精少なく、腎藏衰え、形体皆極れり。 八八(64歳)にしてすなわち歯髮去る。腎は水を主り、五臓六腑の精を受けてこれを蔵す。

 

以上