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道の文化誌

道の文化誌 シリーズ「道」 2019/01/12土曜
朝日カルチャーセンター・新宿教室 講師名 明治大学教授 加藤 徹
最初の公開20190112 最新の更新20190112

講座内容 『論語』に「下学上達」という言葉があります。身近な物事から学び始めて真理の高みをめざす、という意味です。本講座では私たちが毎日使っている「道」を取り上げ、日本と世界の歴史を振り返ります。
 日本語の「道」(みち)の語源は? 「町」や「市(いち)」の語源との関係は?
 道という漢字にはなぜ「首」が入っているのか?
 北海道だけなぜ「県」ではなく「道」なのか?
 日本各地の道祖神の石像に性的なものがまま見られるのはなぜ?
 江戸時代までの日本人はなぜ道路の舗装に熱心ではなかったのか?
 日本の「電車」をぴったり表現する英語や中国語が存在しない理由は?
 私たちが毎日使っている道には、実は謎があふれています。道の謎と歴史を、多方面から説き明かします。(講師記)
★道という漢字にはなぜ「首」が入っているのか?
 漢字「道」は、首(くび)と辵(ちゃく。「いってんしんにょう」辶や「にてんしんにょう」辶)を組み合わせた文字である。この首が何を意味しているかについて、学者の解釈は分かれる。

〇白川静説 「切断した首」説。古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導(みちびく)といい、祓い清められたところを道(みち)とした。(平凡社『常用字解』等)

〇藤堂明保説 「抜け出る」説。首は「(胴体から頭部が)抜け出る、ある方向へ伸びる」というイメージをもつ記号で、道は形声文字。道は一定の方向へ伸びて人が通り抜けるルートを示す。また口から言葉がのびて出て行く、述べる、言う、という意味も派生する。(学研『漢字源』等)

★日本語の「道」(みち)の語源は?「町」や「市(いち)」の語源との関係は?
 日本語「みち」の語源についての一説(諸説があります)
 道の語源は「み(御)ち(路)」。町(まち)、市(いち)、辻(つじ)も道の関連語。
 古代日本語の「ち」は、ほとばしる命のエネルギー、を指す。命(いのち)、力(ちから)、血(ち)、乳(ち・ちち)、風(東風=こち、疾風=はやち/はやて)、雷(いかずち)、蛟(みずち)、大蛇(おろち)などの「ち」も同じ。
 ただし上記の説は、諸説のなかの一説にすぎない。

★日本各地の道祖神の石像に性的なものがまま見られるのはなぜ?
 昔の人の呪術的世界観を理解する必要がある。
 21世紀の現代のオカルト用語「霊道(れいどう)」に似た考え方は、古代からあった。
 道はヒトやモノだけでなく、目に見えない悪いモノノケにもなってしまう、と考えられた。科学知識のレベルが低かった昔の民衆は、伝染病や不景気、その他の偶発的な災いなどもモノノケのせいにした。
 モノノケは「陰」や「死」の存在であるので、これを防ぐためには「陽」や「生」の呪術が有功である、と古代の民衆は信じた。性的な道祖神は「陽」と「生」の呪術の一例である。中国発祥の石敢当(石敢當。いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)も同様の発想から生まれた魔除けで、今も沖縄県や鹿児島県、東京都内のあちこちで見ることができる。
 
★北海道だけなぜ「県」ではなく「道」なのか?
 中国でも日本でも、行政区分としての「道」が使われていた時代があった。いわゆる「道州制」の「道」である。
 古代の「帝国」は、中央集権を強化するため、いわゆる「古代道路」を作った。アケメネス朝ペルシアのダレイオス一世(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)の「王の道」、前312年のアッピア街道敷設に始まる「ローマ街道」、秦の始皇帝(在位紀元前246年 - 紀元前221年)による「馳道」「直道」「同文同軌」など。
 日本でも、飛鳥時代から平安時代の前期までは、古代道路が整備されていた。
 中央政府の権力は、古代道路に沿って地方に伸びていった。漢字文化圏では、古代道路をもとに行政区画とすることもあった。日本と朝鮮半島においては、今も「道」という行政区画が法律的にも有効である。
 中国では、唐の時代に「道」という行政区画を設けたが、後の王朝では「省」など別の発想に基づく行政区画を採用するようになった。
 日本も、律令時代は全国を「五畿七道」に分けた。都の周辺を畿内五国、それ以外の地方を七道とした。五畿は畿内ともいい、大和、山城、摂津、河内、和泉の五国。七道は東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道。七道は駅路の名称でもあった。  古代の七道は、「東山道」のように現在の行政区画の感覚とはかけはなれたものもあれば、山陽道や山陰道、北陸道のように現在の感覚とも近いものもある。「南海トラフ地震」のように、現代的な用語でも使われる。
 なお、鶴屋南北作の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」の「東海道」について、四谷は江戸なのになぜ「東海道」とつけたのか、その理由についても諸説があるが、「五畿七道」の分類では江戸・東京の地域も「東海道」に含まれる。
 明治2年(1869)、蝦夷地と松前地が「北海道」となり、「五畿八道」となった。1871年の廃藩置県のあとも五畿八道はしばらく併用されて残っていた。
   1908年、台湾と沖縄県を合併して「南洋道」とする計画が提起されたが、各方面からの反対もあり、翌年に立ち消えとなった。

★江戸時代までの日本人はなぜ道路の舗装に熱心ではなかったのか?
 土の道のほうが、人の足にはやさしいから。
 舗装道路のほうが、建設費や維持費が高いから。
 江戸時代の政治家が、舗装道路のメリットよりも「リスク」を懸念したから。
 鋪装は、馬車など車の使用と深い関係がある。
 松平定信の寛政の改革のとき、儒学者の中井竹山は、馬車の使用許可を松平定信に進言したが、拒否された。馬車による高速大量輸送が実現すると、幕府への反乱者の武器輸送も簡単になり、かごかきや飛脚などの失業問題が発生し、その他、世の中が変わってしまう懸念があるから、というのが拒否の理由だった。
ただし昔の日本に舗装道路が全くなかったわけではない。江戸時代の東海道も実は意外に舗装率が高く、石畳で鋪装した山道や、石畳による牛車専用レーン(京都−大津間)などが見られる。

★日本の「電車」をぴったり表現する英語や中国語が存在しない理由は?
 道路の歴史の違い。
 近代的な鉄道の敷設は、旧来の街道・道路の権益と衝突する可能性があったため、特に都市部においては不自然な形になることが多かった。
 鉄道先進国であるヨーロッパでは、もともと馬車道路が発達しており、その後、鉄道ができた。都市部の既得権益を保護する意味合いもあり、昔のヨーロッパの各都市の鉄道は、都市の中央部にまで延伸せず、「終着駅」があった。
 なお、日本でも同様の理由で、地方都市では鉄道駅が繁華街から離れていることが多い。中央線が、青梅街道から離れたところに直線的に敷設された理由も同様である。
 近代日本ではそもそも馬車道路がなかったので、明治政府は、新たに敷設する鉄道路線に、馬車道的機能も持たせることにした。東京の中心部では、地方からの鉄道は都市の中央部にまで進出し、路線が互いにからみあっているためヨーロッパ的な意味での孤立型終着駅は存在しない。他国の都市では「地下鉄」が負う機能を、東京など日本の都市では地上の鉄道「電車」がになっている。
 日本の電車は、国際的には「都市高速鉄道」にあたる。日本人の感覚では、山手線や中央線など在来線は高速鉄道ではないが、海外の感覚では路面電車とくらべて立派な「高速鉄道」である。例えば、シンガポールのマス・ラピッド・トランジット(Mass Rapid Transit, MRT、大衆捷運系統、地鉄)は、日本の地下鉄ないし電車である。
日本の地方都市では、鉄道の駅と、繁華街の中心部がずれていることが多い。

以上
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