漢字と元号・姓名・地名
朝日カルチャーセンター・新宿教室 2018/12/24 担当 加藤徹
 
 なぜ「武蔵」はブゾウでなくてムサシなのか? 「相模」がソウモでなくサガミである理由は? 韓国の首都ソウルは漢字で書けないのに(中国語では漢字を当てる)日本の首都はなぜ「東京」と漢字で書けるのか? その理について、話は713年、奈良時代の初めに元明天皇(女帝)が発した「(諸国郡郷名著)好字令」にさかのぼる。
 日本の地名は、国号「日本」も含めて、漢字2文字が多い。現代の鉄道名も「総武」線(下総と武蔵を結ぶ鉄道)とか「京成」線(東京と成田を結ぶ鉄道)など二文字が多い。中国や朝鮮半島の地名と比較しつつ、日本の地名の特徴と歴史をわかりやすく解説する。
 
中国史では古代の一字地名から二字地名へ
 現代中国の地名は二字地名がデフォ。しかし古代は一字地名がデフォ。
 現代中国でも、行政区の略称は古代の一字地名を使うことが多い。
 現代でも昔の旧国名を使う点は、日本とよく似ている。千葉県と東京を結ぶ電車は「総武線」つまり下総と武蔵を結ぶ線と呼ぶ。
 以下は中国の例。料理や芝居や方言の名称、鉄道路線の名前、自動車のナンバープレートなど、現代でもよく使われる。
 下記の略称のうち、現代の二字地名から単純に類推できないものは、古代の地名を利用しているものが多い。
 
直轄市 北京市→京 天津市→津 上海市→滬 重慶市→渝
河北省→冀 山西省→ 晋 遼寧省→遼 吉林省→ 吉 黒竜江省→黒 江蘇省→蘇
浙江省→浙 安徽省→皖 福建省→? 江西省→? 山東省→魯 河南省→豫
湖北省→鄂 湖南省→湘 広東省→粤 海南省→瓊 四川省→川とか蜀
貴州省→貴とか黔 雲南省→雲とか? ?西省→?とか秦 甘粛省→甘とか隴
青海省→青 ※台湾省→台
内モンゴル自治区→蒙 広西チワン族自治区→桂 チベット自治区→蔵
寧夏回族自治区→寧 新疆ウイグル自治区→新
香港特別行政区→港 マカオ特別行政区→澳
※中華人民共和国では「台湾省」と呼ぶ。
 
古代中国では、人名も地名も「固有名詞部分」は一文字が原則だった。
 
殷周期の地名
 亳(はく)
 商→大邑商(現在は「殷墟」と呼ばれる)
 朝歌 これは例外的に二字地名。
 ?邑(洛陽の古名)
異民族の名称・地域名は二字でもよかった。
 葷粥(くんいく。北方の異民族の名前漢の時代の「匈奴」の先祖という説あり)
 ?允(けんいん。北方の異民族の名前)
 
 春秋戦国時代の中国にあった「国名」も一字名がデフォだった。古代中国の「国名」は地名、都市名の概念とも重なっていた。
 
唐の長安に見る地名の変遷
「唐の都・長安」は、現在の中華人民共和国陝西省西安市にあたる。西安および郊外の一部の地名も「一字地名」から「二字地名」へ変遷した。
 西周の都・豊邑or豊京(ほうけい)
 西周の武王の鎬京(こうけい)
 秦の始皇帝の咸陽(咸水すなわち咸という名前の川の日当たりのよい北側、の意)
 漢の劉邦から「長安」という二字地名になった。「長」と「安」に分解すると地名ではなくなる。
 長安はその後、西都、西京、大興、京兆、奉元などとも称された。
 明朝のはじめ、元朝の奉元路を廃止して西安府を設置した。以後、西安が基本的な地名となる。
 
日本の地名
日本最古の地名は
 漢字が伝来・普及する以前の地名は不明。
 対馬は、『三国志』のいわゆる「魏志倭人伝」の中に「対馬国」(紹熙本では「対海本」)として見える。日本では「津島」と書かれたこともあったが、律令制のもとで「対馬」の表記に定まった。
 魏志倭人伝の末盧国は「松浦」国、狗古智卑狗は「菊池」彦、などに比定する説が有力だが、実証はされていない。
 
武蔵の語源は諸説紛々
 東京や埼玉の昔の地名「むさし」の語源は不明で、諸説紛々。
 賀茂真淵の説では、もともと身狭(むさ)国があったが、のちに身狭上(むさがみ)と身狭下(むさしも)に分かれて、それぞれがのちに相模と武蔵となった、とする。
 本居宣長の説では、武蔵国はもともと駿河や相模と共に佐斯(さし)国と呼ばれ、後に佐斯上(さしがみ)と下佐斯(しもざし)に分かれたが、それぞれがさらに変化して相模と武蔵となった、とする。
 「むさし」の漢字表記は、7世紀の遺跡から出土する木簡史料によると「无射志」「牟射志」「牟佐志」「無邪志」「胸刺」など一定していなかった。
 
「諸国郡郷名著好字令」「好字令」「好字二字令」
  元明天皇の和銅六年(713年)五月に出た勅令。原文は「畿内七道諸国郡郷名、着(著)好字」。従来の説では、これ以後、日本の地名は中国の二字地名にならって、良い意味の漢字二字で表記するのがデフォとなったとされる。ただし、正倉院文書や出土木簡などの地名表記を見ると、すでに慶雲四年(707年)ごろまでには国名表記の二字化が完了していたので、和銅の好字令は令制国の名前ではなく「畿内と七道諸国の郡郷名」を対象としたもの、という説もある。
 
 日本古来の地名の二字表記統一化は、かなり無理があった。
 
「无射志」→「武蔵」ブゾウとしか読めないけれど、これで「ムサシ」と読む。
「上毛野」→「上野」カミツケヌのくに、から、コウズケのくに、へ。「毛」を省略。
「下毛野」→「下野」
 本来なら漢字一文字で表記できるのに、
「泉」→「和泉」
「車」→「群馬」
「木」→「紀伊」
「津」→「摂津」
など無理やり二文字に引き延ばされたものもあった。クルマのくにがグンマになったように、強引な二字地名化により本来の発音も変わってしまった例も多い。摂津の地名の由来は、天武天皇の時代に、津国を「摂する」ための機関「摂津職(せっつしき)」を置いたことにちなむ。
 
「やまと」の表記
 国名としては、倭→大倭→大和。
 魏志倭人伝の「邪馬台国」が「ヤマトのくに」であるかどうかは不明。
 古事記・日本書紀や万葉集では、夜麻登、山跡、野麻登、椰?等、夜麻苔、山常、也麻等、夜末等、夜万登、八間跡などさまざまな表記も。
 
「日下」を「くさか」と読むなぞ
 クサカは、『日本書紀』神武紀に「草香邑(くさかむら)」「草香津(くさかのつ)」「孔舎衙坂(くさかのさか)」などとして出てくる。現在の大阪府東大阪市日下町(くさかちょう)か。
 なぜ「日下」と書いて「クサカ」と読むのか。古来、諸説がある。
 枕詞説。クサカという地名の枕詞が「ヒノモトの」だった、と推定する説。ただし、そんな枕詞を使った古代の和歌は発見されていない。
 減画略字説。1997年の「NHK人間大学」の「景観から歴史を読む」で足利健亮氏が示した仮説。「日下」は「草下」の省略表記に由来する、という仮説。
 結局、日本の二字地名は「日下」も含めて、正確な由来が不明なものが多い。
 
多摩川と玉川と多磨霊園
 本来は同じ地名なのに、漢字表記では別々になってしまい、関係がわかりにくくなってしまったものも多い。
 多摩川と玉川と多磨霊園の関係。
 徳島県の阿波と千葉県の安房の関係。語源は「粟」の国。
 古代の安曇氏(あずみうじ)と熱海・安曇・阿曇・渥美・厚見・厚海・阿積・泉・飽海などの地名の関係。
 
平安京大内裏の「外郭十二門」の名前
 平安京を造営したとき、それぞれの門の工事を監督した氏族の名前からとった。殷富門は伊福部氏、美福門は壬生氏、皇嘉門は若犬養氏、陽明門は山氏、など。
 ではクイズ。待賢門の名前の由来となった氏族「建部氏」は、なんと読む?
 
応天門と大伴氏
 中国の歴代王朝の皇城にも「応天門」はあった。
 日本でも、平城京や平安京、現在の平安神宮に「応天門」がある。平安京の応天門の造営には大伴氏がかかわった。その子孫である伴善男(とものよしお)が応天門の変(866年)で失脚するのは、歴史の皮肉である。
 
さいたま市の謎
 埼玉県の県庁所在地はなぜ「埼玉市」ではなく「さいたま市」なのか?
 大宮市、浦和市、与野市の3市合併のとき、新しい市名の最終候補は、公募で集まった中から、
 1位「埼玉市」     7117票
 2位「さいたま市」   3821票
 5位「彩都市」     2495票
 7位「さきたま市」   1374票
 37位「関東市」     217票
の五つに絞られた。なぜトップの「埼玉市」が採用されなかったのか?
 表向きの理由は「埼玉県の由来は、埼玉県行田市にある地名・埼玉(さきたま)であり、行田市が反対したから」とされるが・・・・・・もしかしたら・・・・・・(以下は教室で)
参考サイト https://ncode.syosetu.com/n9118cy/4/
 
新駅の名前「高輪ゲートウェイ」について
 これは教室で。
 
2018/12/24