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              中国の宮廷音楽と宗教音楽
       朝日カルチャーセンター・新宿教室 2018/12/21 加藤徹
 今から2500年前、春秋時代の乱世に生まれた孔子は、個人レベルでも国家レベルでも「礼楽」(礼儀と音楽)による秩序化を提唱しました。以来、古代中国の音楽は、楽器や楽曲などの具体的な面でも、音楽についての考えかたなど抽象的な面でも、私たち東洋人に大きな影響を与えてきました。
 漢字の「暗」「闇」に「音」が含まれるのは、なぜでしょう? 古代中国人の宗教観と関係があるのでしょうか?
 『論語』には、昔、孔子は斉の国で太古から伝わる「韶」という宮廷音楽を聴いて感動し「三月、肉の味を知らず」という状態になった、とありますが、どんな音楽だったのでしょうか? 今も楽譜は残っているのでしょうか?
「ろれつが回らない」の「ろれつ」は、古代中国音楽の「呂律(りょりつ)」の意ですが、呂律とは何でしょう? そもそもなぜ古代中国の術語が、現代日本語の言い回しに残っているのでしょう?
 本講座では、中国文化の予備知識がない人、五線譜が読めない人にもわかりやすいよう、視聴覚資料なども使いつつ、古代中国音楽の奥深い世界をご紹介します。
 
 YouTubeビデオリスト「20181221朝日カルチャー」
 https://www.youtube.com/playlist?list=PL6QLFvIY3e-mD8a43KQsNX90PraTEL5p8
 
音楽という芸術の特殊性
 目に見えない。冥界性、宗教性。
 後に残らない。時間芸術、再生芸術。
 ひとりでも、みんなでもできる。
 記憶だけでもできる。
 
『論語』に見る孔子(前552-前479)の音楽観
 孔子の儒教では「礼楽」つまり「儀礼」と「音楽」を重視した。『論語』でも音楽の話は多い。
 
八?:子曰:「人而不仁,如禮何? 人而不仁,如樂何?」
子(し)曰(いわ)く、人(ひと)にして不仁(ふじん)ならば、礼(れい)を如何(いかん)せん。人にして不仁ならば、楽(がく)を如何せん。
 
八?: 子語魯大師樂。曰:「樂其可知也:始作,翕如也;從之,純如也,t如也,繹如也,以成。」
子(し)、魯(ろ)の大師(たいし)に楽(がく)を語(かた)りて曰(いわ)く、楽(がく)は其(そ)れ知るべきなり。始め作(おこ)すに翕如(きゅうじょ)たり。之(これ)を従(はな)ちて純如(じゅんじょ)たり。t如(きょうじょ)たり。繹如(えきじょ)たり。以(もっ)て成(な)る。
 
述而: 子在齊聞韶,三月不知肉味。曰:「不圖為樂之至於斯也!」
子(し)、斉(せい)に在(あ)りて韶(しょう)を聞きく。三月(さんげつ)肉(にく)の味(あじ)を知(し)らず。曰(いわ)く、図(はか)らざりき、楽(がく)を為(つく)ることの斯(ここ)に至(いた)らんとは。
参考 https://www.youtube.com/watch?v=R1lwTYH42aI
  中和韶楽(韶?)・元平之章 中国雅楽 karaoke
 
泰伯: 子曰:「興於詩,立於禮。成於樂。」
子し曰いわく、詩しに興おこり、礼れいに立たち、楽がくに成なる。
 
子罕: 子曰:「吾自衛反魯,然後樂正,雅頌各得其所。」
子曰く、吾(われ)衛(えい)より魯(ろ)に反(かえ)りて、然(しか)る後(のち)に楽(がく)正(ただ)しく、雅頌(がしょう)各?(おのおの)其(そ)の所(ところ)を得(え)たり。
 
先進: 子曰:「先進於禮樂,野人也;後進於禮樂,君子也。如用之,則吾從先進。」
子曰く、先進(せんしん)の礼楽(れいがく)に於(お)けるや、野人(やじん)なり。後進(こうしん)の礼楽に於けるや、君子(くんし)なり。如(も)し之(これ)を用(もち)うれば、則(すなわ)ち吾(われ)は先進に従(した)がわん。
 
衛靈公:顏淵問為邦。子曰:「行夏之時,乘殷之輅,服周之冕,樂則韶舞。放鄭聲,遠佞人。鄭聲淫,佞人殆。」
顏淵(がんえん)、邦(くに)を為(おさ)むることを問う。子曰く、夏(か)の時(とき)を行(おこな)い、殷(いん)の輅(ろ)に乗り、周(しゅう)の冕(べん)を服(ふく)し、楽(がく)は則(すなわ)ち韶舞(しょうぶ)し、鄭声(ていせい)を放(はな)ち、佞人(ねいじん)を遠(とお)ざく。鄭声は淫(いん)にして、佞人は殆(あやう)し。
 
季氏: 孔子曰:「天下有道,則禮樂征伐自天子出;天下無道,則禮樂征伐自諸侯出。自諸侯出,蓋十世希不失矣;自大夫出,五世希不失矣;陪臣執國命,三世希不失矣。天下有道,則政不在大夫。天下有道,則庶人不議。」
孔子曰く、天下に道(みち)有(あ)れば、則(すなわ)ち礼楽(れいがく)征伐(せいばつ)天子(てんし)より出(い)ず。天下に道無ければ、則ち礼楽征伐、諸侯(しょこう)より出ず。諸侯より出いれば、蓋(けだ)し十世(じっせい)にして失(うしな)わざること希(まれ)なり。大夫(たいふ)より出ずれば、五世にして失わざること希なり。陪臣(ばいしん)国命(こくめい)を執(と)れば、三世にして失わざること希なり。天下に道有れば、則ち政(まつりごと)大夫に在(あ)らず。天下に道有れば、則ち庶人(しょじん)議(ぎ)せず。
 
陽貨: 子曰:「禮云禮云,玉帛云乎哉?樂云樂云,鐘鼓云乎哉?」
子曰く、礼と云(い)い、礼と云う、玉帛(ぎょくはく)を云わんや。楽(がく)と云い、楽と云う、鐘鼓(しょうこ)を云わんや。
 
陽貨: 子曰:「惡紫之奪朱也,惡鄭聲之亂雅樂也,惡利口之覆邦家者。」
子曰く、紫(むらさき)の朱(しゅ)を奪うを悪(にく)む。鄭声(ていせい)の雅楽(ががく)を乱(みだ)るを悪む。利口(りこう)の邦家(ほうか)を覆(くつ)がえす者を悪む。
 
陽貨: 宰我問:「三年之喪,期已久矣。君子三年不為禮,禮必壞;三年不為樂,樂必崩。(以下略)
宰我(さいが)問(と)う。三年の喪(も)は、期(き)已(すで)に久し。君(くんし)子、三年、礼を為(な)さざれば、礼、必ず壊(やぶ)れん。三年、楽(がく)を為さざれば、楽必ず崩れん。(以下、略)
 
微子: 齊人歸女樂,季桓子受之。三日不朝,孔子行。
斉人(せいひと)女楽(じょがく)を帰(おく)る。季桓子(きかんし)之(これ)を受けて、三日(さんじつ)朝(ちょう)せず。孔子、行(さ)る。
 
儒教の経典と音楽
 
『詩経』
大辞林 第三版の解説 しきょう【詩経】
 中国最古の詩集。五経の一。孔子の編と伝えるが未詳。西周から春秋時代に及ぶ歌謡三〇五編を、風(民謡)・雅(朝廷の音楽)・頌(しよう)(祖先の徳をたたえる詩)の三部門に分けて収録。風は一五に、雅は小雅・大雅の二つに、頌は周頌・魯頌・商頌の三つに分かれる。現存のものは漢代の人毛亨(もうこう)が伝えたとされ、「毛詩」ともいう。
 
風・・・諸国の民間歌謡。日本で言えば、民謡や流行歌にあたる。
雅・・・公開の宮廷音楽。日本の明治時代の「鹿鳴館」の命名の由来。『詩経』小雅にある「鹿鳴の詩」の「??鹿鳴、食野之苹」(ゆうゆうとして鹿の鳴くあり、野のよもぎを食らう)より。
頌・・・非公開の廟堂音楽。日本で言えば、大嘗祭の御神楽(みかぐら)などにあたる。
 
 音楽人口の大きさと、国家の深奥からの距離の遠さの順に並べると、風、雅、頌の順になる。宮廷音楽は社交・外交的な音楽、廟堂音楽は宗教的・儀礼的な音楽である。広義の宮廷音楽は「雅」と「頌」を含む。
 
六芸 りくげい  日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
(1)儒家の奉じた六種の経典。六経(りくけい)の別称。『荘子(そうじ)』天道篇(へん)に「詩・書・礼・楽(がく)・易(えき)・春秋」をさして「六経」と称したが、前漢(ぜんかん)、儒家を諸子(しょし)から離して国教化するに伴い、治政のための術芸、政術・経芸の書、つまり政治の基本用具としての経典に「六芸」の名が与えられた(『史記』『漢書(かんじょ)』)。『漢書』芸文志(げいもんし)で、六芸は『易』と『春秋』を軸に経学(けいがく)的な世界観の確立を示し、とくに『易』を他の五経の原理の源泉に位置せしめた。(2)中国古代の卿大夫(けいたいふ)(高級官僚)以上の子弟が学ぶ六種の教養課目。『周礼(しゅらい)』大司徒(だいしと)・保氏(ほうし)の職官に「六芸、つまり礼・楽・射・御・書・数」を教える。礼容と奏楽、弓射と馬術、書写と算数のことである。また、孔子(こうし)の弟子3000のうち「六芸」に通暁した者72人といわれた(『史記』孔子世家)。[戸川芳郎]
 
『礼記』月令
 孟春之月,日在營室,昏參中,旦尾中。其日甲乙。其帝大r,其神句芒。其蟲鱗。其音角,律中大蔟。其數八。其味酸,其臭?。其祀?,祭先脾。東風解凍,蟄蟲始振,魚上冰,獺祭魚,鴻雁來。(中略)是月也,命樂正入學習舞。乃修祭典。(以下略)
 書き下し文は、国会図書館のサイトでも読めます。
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1118535/85
 
 毎月ごとに天子が行うべき儀礼が定められている。それぞれの月には、それぞれの月に配当された音楽を演奏しなければならなかった。
 
古代中国の音律と楽器
 古代ギリシア・・・ピタゴラス音律 ピタゴラス(前582-前496)
 古代中国・・・京房(前77年-前37年)三分損益法
 
 古代中国では、シルクの弦楽器「琴」と、竹の笛が優雅な楽器であった。
 本来、二胡や琵琶などは俗な楽器だった。
 
中国の伝統音楽の分類
 文人音楽 ・・・琴学、等
 宮廷音楽・・・雅楽、燕楽、等
 宗教音楽・・・儒教音楽、仏教音楽、道教音楽、等
 民間音楽・・・民歌、民間歌舞、民間器楽、説唱、戯曲、等
 
中国音楽の略歴
 浙江省の河姆渡文化や河南省の仰韶文化の新石器時代遺跡から、現在の「?」(シュン、けん)に似た原始的なオカリナの土器が出土。
 『史記』などの伝承によると、殷王朝の紂王(ちゅうおう)は酒池肉林の騒ぎをして、淫靡な音楽を好み、国を滅ぼしたとされる。ただし史実は不明
 孔子は、人間の内面を「仁」の心でやわらげ、人間の外面を「礼楽」で秩序化することで太平の世を実現しようと考え、音楽を重視した。
 前漢の時代、儒教の国家教学化が進み、儒教的音楽が中国の伝統音楽の最もオーソドックスなものとなる。
 漢から唐にかけて、シルクロードを通じて中央アジアやインドなどの音楽が中国に伝わり、中国音楽に影響を与える。琵琶やチャルメラ、胡琴(二胡などの総称) などは、西方から伝来した楽器である。
 唐の時代、特に玄宗皇帝の時代には、西方から伝来した音楽が宮廷でも流行した。これらの音楽文化は遣唐使によって日本にもたらされた、日本の「雅楽」となった。なお日本の「雅楽」の中の中国伝来音楽は、中国では雅楽ではなく「燕楽」すなわち宮中のパーティーでの音楽とされていたものが多い。中国の「雅楽」は、江戸時代の明楽などの例外をのぞき、実はあまり日本に伝わらなかった。
 
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説  梨園 りえん
 演劇界、劇壇の意。中国、唐の玄宗(げんそう)皇帝は音楽を愛好して、宮廷の楽人の子弟300人を梨園に集めて自ら教えた。これを梨園の弟子(ていし)という。宮廷内の梨(なし)を植えた庭に教楽府が置かれたのは714年(開元2)ごろのことであるが、後世演劇の始祖神に祀(まつ)られる玄宗にちなむこの「梨園」ということばは、やがて劇壇全体を称するものとなる。わが国にも伝わって江戸時代には主として歌舞伎(かぶき)界をいう雅称となり、昭和の初期までよく用いられていた。[傳田 章]
 
玄宗皇帝と楊貴妃と「霓裳羽衣の曲」(げいしょうういのきょく)
参考 http://www.geocities.jp/cato1963/20140529kato.htm
大辞林 第三版の解説  げいしょううい【霓裳羽衣】
@ 〔「羽衣」は、はごろも〕 天人などの美しい衣。
A 唐の玄宗皇帝が月宮殿で聞いた曲を写したという舞曲。 「楊貴妃に−の舞をまはせて/太平記 37」
 
日本の雅楽
 日本の雅楽は、日本固有の伝統音楽と、アジア各国の古い音楽をまとめた音楽ジャンルである。
 江戸時代、漢学者で政治家だった新井白石は、来日した朝鮮通信使に日本の雅楽を見せて、朝鮮半島や中国大陸で亡びた古典音楽が日本でのみ保存されていることを誇示した。
http://www.geocities.jp/cato1963/singaku-32.html#01
 
中国伝統音楽の音階
五音・・・宮商角徴羽(きゅうしょうかくちう)
 それぞれ「ドレミソラ」(移動ド)にあたる。ファは嬰角、シは変宮。
 
十二律・・・西洋音楽の「レ・レ♯・ミ・ファ・ファ♯・ソ・ソ♯・ラ・ラ♯・シ・ド・ド♯・レ」(固定ド)にあたる、東洋の音名。
 中国の雅楽では、黄鐘(こうしょう)を基音とし、大呂(たいりょ)・太簇(たいそう)・夾鐘(きょうしょう)・姑洗(こせん)・仲呂(ちゅうりょ)・?賓(すいひん)・林鐘(りんしょう)・夷則(いそく)・南呂(なんりょ)・無射(ぶえき)・応鐘(おうしょう)。
 日本の雅楽では、壱越(いちこつ)を基音とし、断金(たんぎん)・平調(ひょうじょう)・勝絶(しょうせつ)・下無(しもむ)・双調(そうじょう)・鳧鐘(ふしょう)・黄鐘(おうしき)・鸞鏡(らんけい)・盤渉(ばんしき)・神仙(しんせん)・上無(かみむ)。
 中国でも日本でも、民間の俗楽は昔から、もっと適当な調子を使っていた。
 
参考 明清楽資料庫 http://www.geocities.jp/cato1963/singaku-20.html#04
 
雅楽が語源である日本語の表現は多い。
「ろれつが回らない」 語源は「律呂」から。
「二の舞」 語源は雅楽の中の唐楽の演目「二ノ舞」から。
その他「打ち合わせ」「音頭を取る」「(銀行の)頭取」なども雅楽の演奏用語が語源とされる。
以上
http://www.geocities.jp/cato1963/singaku-20.htmlより