中国の妖しい鏡

朝日カルチャーセンター新宿教室 シリーズ「鏡の迷宮へ」

加藤徹 2018/2/26

 

  日本の鏡のルーツは、古代中国にある。

 西洋の「白雪姫」の魔法の鏡は、挿絵では楕円形に描かれることが多い。一方、日本古来の「神鏡」も、卑弥呼と同時代の遺跡から出土する青銅鏡も、近世に普及した柄鏡(えかがみ)も真円である。その理由は、古代中国の「天円地方」の宇宙観にある。中国では4千年前の遺跡から真円の「斉家文化銅鏡」が出土している。

 古代中国の「かがみ」は、水鏡系の「監()」と、青銅鏡系の「鏡」の二つがあった。日本語でも使う成語「殷鑑遠からず」「亀鑑」「破鏡重円」は中国の鏡の歴史を反映している。万物を映す鏡は、霊界への出入り口でもあると考えられた。『抱朴子』は合わせ鏡を使って魔物を呼び出す秘法を載せる。『原化記』では漁民が「レントゲン」のように内臓を映す霊鏡を網にかける。『池北偶談』で仙鏡を奪われ神仙になりそこねた美女は巧妙な復讐をする。『聊斎志異』に載せる「鳳仙」と「鏡聴」は、鏡の中の美女と、鏡を使った占いの怪談である。

 鏡には霊的なパワーがあるという迷信は世界各地にある。日本の家庭でも、昭和中期までは鏡を使わないときは布をかけて覆う習慣があった。本講座では、中国の鏡にまつわる歴史や面白い話を取り上げ、日本人の鏡に対する感覚を再考する。(講師記)

 

鏡の起源

★伝説 黄帝の時代に最初の鏡が発明されたという伝説

 今から五千年前、黄帝の妃の一人、母は才徳を備えた賢い婦人だったが、顔は不細工だった。『物原』によると、母は山で石板堀りの手伝いをした。彼女は他のどの女性よりも多い二十枚もの石板を掘り出した。石板にはキラキラと、自分の姿が映った。彼女は研ぎ師に石板を研磨させ、石の鏡を発明した。

【余談】『文選』所収の王褒「四子講徳論」に「姆倭傀、善誉者不能掩其丑(醜)」とある。通説では、姆も倭傀も古代の伝説的な醜女の名前とするが、これを「姆は倭人(日本人の祖先)の魁傑(すぐれた大人物)」とこじつける人もいる。

★考古学的な鏡の起源

 水鏡、石鏡、金属鏡など、さまざまな鏡があった。西洋伝来のガラス鏡が中国で普及するのは近世以降。

★鑑=水鏡

 皿のなかに水を注ぎ上からのぞき込む水鏡を、古代中国では「監」と呼んだ。「監」という漢字のパーツは、「濫」や「覧」と共通性がある。後に金属鏡が普及すると、水鏡にも金へんをつけて「鑑」と書くようになった。鏡より鑑のほうが古代的なイメージがあり、故事成語などでよく使われる。

★鏡=金属鏡

 鏡の字源は「境」と関連があるらしい。金、銀、鉄などさまざまな金属のなかで、鏡に使われたのは青銅などの銅合金による銅鏡である。2018年現在、中国最古の銅鏡は、4千年前の斉家文化(甘粛省黄河上流域)の遺跡から出土した真円の「斉家文化銅鏡」で、大きさや形状など基本的なデザインはその後の中国鏡と全く同じであった。

 

鏡に関する故事成語

 ★「殷鑑(いんかん)(とお)からず」デジタル大辞泉の解説

《「詩経」大雅・蕩から》殷が鑑(かがみ)とすべき手本は、遠い時代に求めなくても、同じく悪政で滅んだ前代の夏()にある。戒めとすべき例はごく身近なところにあるものだというたとえ。

★きかん【亀鑑】大辞林 第三版の解説

〔「亀」は昔、その甲を焼いて吉凶を判断したもの、「鑑」は鏡の意〕

人のおこないの手本。模範。 「以て世人の−に供す可し/学問ノススメ 諭吉」

★はきょう-じゅうえん【破鏡重円】の意味 出典:新明解四字熟語辞典(三省堂)

 離ればなれになったり、離婚したりした夫婦が、また一緒になることのたとえ。二つに割られた鏡が、再び元の丸い形にもどる意から。▽「破鏡」破鏡之嘆はきょうのなげき。「重」は重ねて、再びの意。「重」は「ちょう」とも読む。

出典『太平広記』一六六に引く『本事詩』。中国南朝の陳の徐徳言(じょとくげん)が戦乱の中、妻と別れるとき、再会のために鏡を半分に割って、それぞれが所持していたところ、果たして無事に夫婦は再会できたという故事から。

★唐の太宗皇帝の「三鏡」

『旧唐書』魏徴伝

 太宗、群臣に謂ひて曰く、夫れ銅を以て鏡と為さば衣冠を正すべし。古を以て鏡と為さば興替(興廃)を知るべし。人を以て鏡と為さば得失を明らかにすべし。朕は此の三鏡を常に保ちて己の過ちを防ぐ。今、魏徴は殂(ゆ)き、尤なる一鏡を亡(うしな)へり、と。

 

鏡を使って神霊を召喚する方法

 一枚の鏡を使う方法と、二枚や四枚の鏡を使う方法がある。

★『抱朴子』雜應「……或用明鏡九寸以上自照,有所思存,七日七夕則見神仙,或男或女,或老或少,一示之後,心中自知千里之外,方來之事也。明鏡或用一,或用二,謂之日月鏡。或用四,謂之四規鏡。四規者,照之時,前後左右各施一也。用四規所見來神甚多。或縱目,或乘龍駕虎,冠服彩色,不與世同,皆有經圖。……」

 九寸以上の明鏡を自照させ、心の中で念ずると、七日七夕ののちに神仙を見ることができる。神仙は男や女、老人や若者の姿で、神仙が姿を示したあとは、心のなかで千里はなれた出来事も、未来の出来事も知ることができるようになる。明鏡は一枚使ってもよいし、二枚使ってもよく、この場合は日月鏡と呼ぶ。四枚使う場合は四規鏡と呼ぶ。四規とは、照らすときに前後左右に一つづつ配置するからこう呼ぶのである。四規の合わせ鏡に来る神は非常に多い。目が縦についている神、竜や虎に乗る神もいる。神々の冠服や色どりはこの世とは違うが、それぞれみな経図に記載がある。

 『抱朴子』(ほうぼくし)は晋の葛洪(283-343)の著。

 

 ★『原化記』のレントゲン神話

霊鏡 http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1301_11897.html より転載

 唐の貞元年中、漁師十余人が数艘の船に小網を載せて漁に出た。蘇州の太湖が松江に入るところである。

 網をおろしたがちっとも獲物はなかった。やがて網にかかったのは一つの鏡で、しかもさのみに大きい物でもないので、漁師はいまいましがって水に投げ込んだ。それから場所をかえて再び網をおろすと、又もやかの鏡がかかったので、漁師らもさすがに不思議に思って、それを取り上げてよく視ると、鏡はわずかに七、八寸であるが、それに照らすと人の筋骨から臓腑まではっきりと映ったので、最初に見た者はおどろいて気絶した。

 ほかの者も怪しんで鏡にむかうと、皆その通りであるので、驚いて倒れる者もあり、嘔吐を催す者もあった。最後の一人は恐れて我が姿を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。

 あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。

 

鏡の恨み  岡本綺堂『中国怪奇小説集』池北偶談

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/2242_11907.html より転載

 荊州の某家の忰は元来が放埒無頼の人間であった。ある時、裏畑に土塀を築こうとすると、その前の夜の夢に一人の美人が枕もとに現われた。

「わたくしは地下にあることすでに数百年に及びまして、神仙となるべき修煉がもう少しで成就するのでございます。ところが、明日おそろしい禍いが迫って参りまして、どうにも逃れることが出来なくなりました。それを救って下さるのは、あなたのほかにありません。明日わたくしの胸の上に古い鏡を見付けたらば、どうぞお取りなさらないように願います。そうして元のように土をかけて置いて下されば、きっとお礼をいたします」

 くれぐれも頼んで、彼女の姿は消えた。あくる日、人をあつめて工事に取りかかると、果たして土の下から一つの古い棺を掘り出して、その棺をひらいてみると、内には遠いむかしの粧をした美人の死骸が横たわっていて、その顔色は生けるがごとく、昨夜の夢にあらわれた者とちっとも変らなかった。更にあらためると、女の胸には直径五、六寸の鏡が載せてあって、その光りは人の毛髪を射るようにも見えた。忰は夢のことを思い出して、そのままに埋めて置こうとすると、家僕の一人がささやいた。

「その鏡は何か由緒のある品に相違ありません。いわゆる掘出し物だから取ってお置きなさい」

 好奇心と慾心とが手伝って、忰は遂にその鏡を取り上げると、女の死骸はたちまち灰となってしまった。これには彼もおどろいて、慌ててその棺に土をかけたが、鏡はやはり自分の物にしていると、女の姿が又もや彼の夢にあらわれた。

「あれほど頼んで置いたのに、折角の修煉も仇になってしまいました。しかしそれも自然の命数で、あなたを恨んでも仕方がありません。ただその鏡は大切にしまって置いて下さい。かならずあなたの幸いになることがあります」

 彼はそれを信じて、その鏡を大切に保存していると、鏡はときどきに声を発することがあった。ある夜、かの女が又あらわれて彼に教えた。

「宰相の楊公が江陵に府を開いて、才能のある者を徴したいといっています。今が出世の時節です。早くおいでなさい」

 その当時、楊公が荊州に軍をとどめているのは事実であるので、忰は夢の教えにしたがって軍門に馳せ参じた。楊公が面会して兵事を談じると、彼は議論縦横、ほとんど常人の及ぶところでないので、楊公は大いにこれを奇として、わが帷幕のうちにとどめて置くことにした。忰は一人の家僕を連れていた。それは女の死骸から鏡を奪うことを勧めた男である。

 こうして、その出世は眼前にある時、彼は瑣細のことから激しく立腹して、かの家僕を撲ぶち殺した。自宅ならば格別、それが幕営のうちであるので、彼もその始末に窮していると、女がどこからか現われた。

「御心配なさることはありません。あなたは休養のために二、三日の暇を貰うことにして、あなたの輿のなかへ家僕の死骸をのせて持ち出せば、誰も気がつく者はありますまい」

 言われた通りにして、彼は家僕の死骸をひそかに運び出すと、あたかも軍門を通過する時に、その輿のなかからおびただしい血がどっと流れ出したので、番兵らに怪しまれた。彼はひき戻されて取調べを受けると、その言うことも四度路しどろで何が何やらちっとも判らない。楊公も怪しんで、試みに兵事を談じてみると、ただ茫然として答うるところを知らないという始末である。いよいよ怪しんで厳重に詮議すると、彼も遂に鏡の一条を打ちあけた。そうして先日来の議論はみな彼女が傍から教えてくれたのであることを白状した。

 そこで、念のためにその鏡を取ろうとすると、鏡は大きいひびきを発してどこへか飛び去った。彼は獄につながれて死んだ。

 

★鳳仙 『聊斎志異』巻九

「鏡中美人」の怪談。鳳仙という狐が化けた美女が、劉赤水という人間の若者と恋人になった。彼女は彼に鏡を渡して立ち去った。彼が鏡を見ると、彼女の遠い後ろ姿が見えた。彼が科挙の受験勉強をすると、鏡の中の彼女はしだいに前を向いて近づいてくる。彼が勉強をさぼると、鏡の中の彼女の姿は見えなくなる。彼は鏡をはげみに勉強を頑張り、科挙の試験に合格した。すると、本物の彼女があらわれた、という話。かなり長い話で、日本語訳は、国立国会図書館デジタルコレクションの

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/983019/124?tocOpened=1

で著作権切れの和訳『聊斎志異』 (第一書房、大正十五年)を読める。鏡のところは、

http://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F983019&contentNo=129&outputScale=1

である。

 

★鏡聴

 「鏡卜」とも言う。日本では『帝都物語』とか漫画『xxxHOLiC』などでも紹介された。

 『聊斎志異』「鏡聴」あらすじ。

 (1)昔、鄭という兄弟がいて、ともに科挙の合格をめざして勉強していた。兄弟ともに妻がいた。兄は優秀で、両親は兄夫婦を偏愛した。(2)次男の嫁は「同じ男なのに、どうしてあなたは妻のために頑張れないの」と言い、別居した。次男は発奮して勉強し、両親も次男を少し見直したが、長男ほどかわいがらなかった。(3)次男の嫁は、夫にぜひ科挙に合格してほしいと思った。三年に一度の科挙の年を迎え、こっそり除夜に「鏡聴卜」をした。二人の人間がふざけて「おまえも涼みに行け」と言うのが聞こえた。嫁は、吉凶を判断できず、忘れてしまった。(4)科挙の試験が終わり、兄弟は帰宅した。暑い盛りで、二人の嫁は汗だくで炊事をしていた。長男の合格通知が届いた。母親は台所に行き長男の嫁に「合格したよ。おまえも涼みに行きなさい」と言った。次男の嫁はくやし泣きしながら炊事を続けた。続けて次男の合格通知が届いた。次男の嫁は餅杖を投げうち「わたしも涼みに行く」と言った。無意識に口から出た言葉だったが、ハッと気づいた。除夜の鏡聴卜のお告げは、これだったのだ。

 『聊斎志異』の原文を左に掲げる。

(1)益都鄭氏兄弟,皆文學士。大鄭早知名,父母嘗過愛之,又因子并及其婦;二鄭落拓,不甚為父母所歡,遂惡次婦,至不齒禮:冷暖相形,頗存芥蒂。(2)次婦每謂二鄭:“等男子耳,何遂不能為妻子爭氣?”遂擯弗與同宿。于是二鄭感憤,勤心思,亦遂知名。父母稍稍優顧之,然終殺于兄。(3)次婦望夫綦切,是大比,竊于除夜以鏡聽卜。有二人初起,相推為戲,云:“汝也涼涼去!”婦歸,凶吉不可解,亦置之。(4)闈后,兄弟皆歸。時暑氣猶盛,兩婦在廚下炊飯餉耕,其熱正苦。忽有報騎登門,報大鄭捷。母入廚喚大婦曰:“大男中式矣!汝可涼涼去。”次婦忿惻,泣且炊。俄又有報二鄭捷者。次婦力擲餅杖而起,曰:“儂也涼涼去!”此時中情所激,不覺出之于口;既而思之,始知鏡聽之驗也。

 異史氏曰:“貧窮則父母不子,有以也哉!庭幃之中,固非憤激之地;然二鄭婦激發男兒,亦與怨望無ョ者殊不同科。投杖而起,真千古之快事也!”

参考 https://baike.baidu.com/item/%E9%95%9C%E5%90%AC/14224693

 

以上